平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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トム・ミード『死と奇術師』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 一九三六年、ロンドン。高名な心理学者アンルセム・リーズ博士が自宅の書斎で殺された。現場は完全な密室状態。手掛かりも、犯人の目撃者も、凶器もなかった。この不可解な事件の捜査を依頼された元奇術師の私立探偵ジョセフ・スペクターは、容疑者である博士の患者たちに翻弄されながら、彼が隠していた秘密へ近づいていく。だが、不可能犯罪と奇術は紙一重だと語るスペクターの前に、再び奇妙な密室殺人事件がおこり……。精緻なロジックと、魅力的な謎で読者に挑戦する、本格謎解きミステリの傑作。(粗筋紹介より引用)
 2022年、イギリスで発表。2023年4月、邦訳刊行。

 トム・ミードはイギリス生まれ。『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』『アルフレッド・ヒッチコックミステリ・マガジン』などに短編を発表。本書で長編デビュー。本書で登場する私立探偵ジョセフ・スペクターは、短編でいくつか登場している。謝辞ではジョン・ディクスン・カー、エラリイ・クイーン、エドワード・D・ホック、ヘレン・マクロイ、ヘイク・タルボット、クレイトン・ロースン、クリスチアナ・ブランド……に知的な刺激を与え続けてくれることに感謝している。さらにポール・アルテ島田荘司の名前も挙げている。本書は父、母、そしてJDCに捧げられている。
 舞台が1936年のロンドン。しかも密室殺人×2。謎を解くのは元奇術師の私立探偵。読者への挑戦状があり、解決篇は袋とじになっている。これ、読まなきゃだめでしょ。黄金時代の本格ミステリを今、読むことができる。そのことに感謝、感謝。
 高名な心理学者とその娘、使用人。音楽家、女優、作家という怪しげな患者たち。さらにそれらを取り巻く人々。登場人物の配置や性格付けもよくできているし、難事件に振り回される警部補やその部下たちもいい。途中で『三つの棺』になぞらえた密室トリック検討も登場するが、すぐに終わるのでホッとした。下手な作家は二番煎じと気付かず、ここで長々と書いちゃうんだよな。それがなかっただけでも上等。
 密室トリックは大掛かりなものではないが、逆にその点は地に足が着いているという感じ。無駄にトリックに走る日本の新本格より好ましい(それはそれでいいところもあるが)。限られた容疑者から犯人を導き出すロジックは面白いし、容疑者を集めて犯人を指摘するくだりは楽しかった。
 はっきり言って黄金時代の本格ミステリを再現しただけ、という気がしなくもないが、そのことに挑戦してくれるのが嬉しい。それでいてノスタルジーに浸る作品になっておらず、普通にミステリとして楽しめることに感心した。売れるとは思えないのだが、ピーター・ラウゼイらから賞賛を受けたということはそれなりに評判がよかったのだろう。次作が2023年に刊行予定とのことなので、そちらも翻訳を待ちたい。それと、解説の千街晶之による袋とじミステリの歴史はお薦め。