手塚治虫先生、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、『墨汁一滴』、新漫画党など今まで書かれなかったエピソードでおくるトキワ荘青春物語。(帯より引用)
2011年6月、刊行。
作者は昭和15年、大連生まれ。昭和35年秋、石森章太郎に誘われ、アシスタントとして宮城から上京してトキワ荘に入り、石森や赤塚不二夫のアシスタントを務め、昭和37年3月に独立して退去した。以後は赤塚のアシスタントを務めながら単独の仕事もこなし、赤塚設立の「七福神プロダクション」(赤塚不二夫、赤塚登茂子(最初の妻)、高井研一郎、よこたとくお、長谷邦夫、横山孝雄、山内ジョージ)に参加。昭和38年から高井研一郎と組んだ「太宰勉」のペンネームでギャグマンガを描き、昭和43年ごろまで連載を持つ。以後は児童漫画から離れ、動物で文字を仕立てる動物絵文字の方向に進み、絵本の発表や個展開催などの活動を行う。平成7年、中国引揚げ漫画家の会を結成(赤塚不二夫、ちばてつや、森田拳次、北見けんいち、古谷三敏、山内ジョージ、高井研一郎、横山孝雄、石子順)し、『ボクの満州―漫画家たちの敗戦体験』(亜紀書房)を出版。平成13年、山口太一、バロン吉本、林静一の3氏も加わり、中国引揚げ漫画家の会編『少年たちの記憶』(ミナトレナトス)を出版。平成14年、同作で文化庁メディア芸術祭マンガ部門特別賞受賞。同年、「「私の八月十五日」の会」に参加。平成16年、「私の八月十五日」の会『私の八月十五日―昭和二十年の絵手紙』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門奨励賞受賞。平成17年、同作で第34回日本漫画家協会賞大賞受賞。平成22年、『徹子の部屋』出演。
作者の『墨汁一滴』時代、トキワ荘入居から退居、石森や赤塚のアシスタント時代、合作ペンネーム「太宰勉」時代の話などを収録。巻末に「トキワ荘座談会」として高井研一郎、よこたとくおとの座談会を収録。
トキワ荘最後の住人となった山内ジョージによる、トキワ荘本。トキワ荘は色々書かれているが、私はやはり藤子不二雄Aを中心とした新漫画党時代のころの本を中心に読んでいるので、トキワ荘時代晩年(って言い方変かな)の思い出話は結構貴重だった。
この時代を生きた漫画家が少なくなってくるようになった今、色々な作家に証言してもらいたい。よこたとくおのトキワ荘時代なんて、一冊で読んでみたいけれどな。