昭和20年……アメリカ兵を刺し殺した凶器は忽然と消失した。昭和43年……ナイフは2300キロの時空を飛んで少女の胸を貫く。昭和62年……「彼」は同時に二ヶ所に出現した。平成19年……そして、最後に名探偵が登場する。推理作家協会賞受賞の「トリックの名手」T・Mがあえて別名義で書き下ろした究極の恋愛小説+本格ミステリ1000枚。(帯より引用)
2008年1月、書き下ろし刊行。2009年、第9回本格ミステリ大賞受賞。
牧薩次といえば初期作『仮題・中学殺人事件』から登場するスーパー&ポテトシリーズのポテトである。そして作者辻真先のアナグラムでもある。ということで、今更ながら話題になったこの作品を読む。
「完全恋愛」とは作者の造語。「他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ では他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか?」と冒頭にある通り、他者に知られなかった恋愛をテーマに取り扱っている。本書は事件を解決した牧薩次が、洋画界の巨匠・柳楽糺こと本庄究に許可を取って書いた一代記という形式になっている。
家族を空襲で亡くし、福島県の刀掛温泉郷の湯元である伯父に引き取られていた究は、疎開していた美術界の巨匠・小仏榊の娘、朋音に出会ったときから物語は始まる。
第一の殺人は昭和22年、温泉に居た素行の悪い進駐軍の大尉が殺害される。しかし凶器はどこにもない。
第二の殺人は昭和43年、朋音が嫁いだ成金の真刈夕馬の娘・火菜と、真刈が倒産させた浅沼興業の若社長・宏彦にナイフで殺害される。しかし火菜は西表島におり、宏彦は福島と山形の県境にある飯森山の山腹に居た。宏彦もまた雪崩をひき起こし、自殺する。
第三の殺人は昭和62年、刀掛温泉を丸ごと買い取ろうとしていた真刈夕馬が磐梯山のゲストハウスの近くの沼で溺死する。夕馬と一緒にいた画家の野々山はゲストハウスで究と会ったと主張するも、究は東京の自宅におり、証人もいた。弟子として30年前から究を世話しており、火菜の娘・珠美と結婚した藤堂魅惑は究が犯人ではないかと疑うものの、アリバイを崩すことはできなかった。
そして平成19年、牧薩次が残された謎を解く。
個々の事件を見る限りではそこまで大それたトリックを使っているわけではなく、粗もある。特に三番目の事件のアリバイトリックは、反則だろうと言いたくなるぐらいの禁じ手である。それでも本書が傑作となったのは、本庄究という男の一代記を描き切ったこと、そして究にまつわる登場人物の想いを描き切ったところにあるだろう。人の心の謎が絡むことにより、各々の事件が連結され、そして一つの本格ミステリが完成されたと言える。一部の謎については想像しやすいものだろう。それでも物語の全体像をすべてつかみきることはできなかったはずださらにタイトルで書かれた謎が最後でようやく明らかにされる。ここまで書かれると、少々の矛盾などはどうでもよくなるから不思議だ。それと時代描写はさすがだ。
言い方が悪いけれど、これだけのベテランがこれだけの仕掛けを持った作品を書き切ったことに驚嘆した。やはり傑作と言っていいだろう。