平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

柳広司『ジョーカー・ゲーム』(角川文庫)

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

ジョーカー・ゲーム (角川文庫)

結城中佐の発案で陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校“D機関”。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」。この戒律を若き精鋭達に叩き込み、軍隊組織の信条を真っ向から否定する“D機関”の存在は、当然、猛反発を招いた。だが、頭脳明晰、実行力でも群を抜く結城は、魔術師の如き手さばきで諜報戦の成果を上げてゆく……。

吉川英治文学新人賞日本推理作家協会賞に輝く究極のスパイ・ミステリー。(粗筋紹介より引用)

野性時代』掲載作品に書下ろしを加え、2008年8月に角川書店より単行本刊行。2009年、第30回吉川英治文学新人賞受賞。同年、第62回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。2011年6月、文庫化。



佐久間陸軍中尉は参謀本部の武藤大佐の命令により、結城中佐の発案で昭和12年秋に極秘に設置されたスパイ養成学校“D機関”へ連絡係として出向させられた。1年後、D機関には12人の学生が残った。佐久間は参謀本部から、スパイの容疑がかかったアメリカ人、ジョン・ゴードンの証拠をD機関のメンバーとともに見つけろと命令される。佐久間たちは憲兵隊に化け、ゴードンの家に踏み込むが、証拠は何も見つからない。「ジョーカー・ゲーム」。D機関設立が描かれた短編。陸軍中尉を出すことによって陸軍とD機関のメンバーとの違いを明確に浮き彫りにする設定は見事である。証拠となるマイクロフィルムの隠し場所についても、確かに盲点。タイトルもまた意味深だし、結末までの流れも面白い。傑作と言ってよい出来である。それにしても、当時の陸軍、というか軍隊って本当に馬鹿だったと思うし、新興宗教と何ら変わらないと思うのだが、今でもそれを認めない人はいっぱいいるのだろうな……。

横浜の憲兵隊が捕らえた支那人の取り調べより、皇紀二千六百年の記念式典で、爆弾による要人暗殺計画が進んでいることが発覚。しかし具体的なことが分からないまま、拷問で支那人を死なせてしまった。捜査の結果、全ての監視場所に立ち入った人物がいた。それが駐横浜英国総領事アーネスト・グラハム。国際問題になることを恐れた陸軍参謀本部憲兵隊の動きを押さえ、D機関に調査を依頼した。公邸に出入りしている洋服屋の店員蒲生次郎と入れ替わり、グラハムとチェスをする間柄になったが、蒲生の判断は、心証的にシロだった。ただし、0%ではなかった。「幽霊(ゴースト)」。状況はクロで心証はシロというねじれた現象の解明はなるほどと思わせる物であったが、いきなり蒲生がスーパースパイのような動きを見せるものだから、少々戸惑ってしまう。なにも、ここまで完璧でなくても。それにしても、当時でも情報合戦は恐ろしい、と思ってしまうが、考えてみれば戦国時代でも似たようなことをやっていたかと思いだした。当時の戦国武将たちは徹底したリアリストだったのに、なぜ日本の軍隊はロマンチストになったのだろうか。武士に対するアンチテーゼか。

前田倫敦写真館の甥としてロンドンに入った伊沢和男だったが、かれはD機関所属のスパイだった。しかし、ロンドン駐在になったばかりの外交官、外村均が英国のセックス・スパイに引っかかり、簡単に伊沢の正体をしゃべってしまったため、伊沢は英国諜報機関に捕まってしまう。取り調べに当たったのは、英国諜報機関の元締めの一人であり、結城中佐を知る、ハワード・マークス中佐。もちろん伊沢は、D機関で敵に捕まった場合の対処方法を学んでいた。「ロビンソン」。伊沢が如何にして相手をだまし、逃げることが出来るかどうかという話だが、もちろんそれにも裏があった。それはともかく、ここまで対処できるスパイって、本当に化物だと思うのだが、そう思わせないのがスパイなんだろうなと思ってしまう。まあ、本当に出来るのかどうかなんて知らないが、さすがにそれぐらいは作者も調べているだろう。

特高刑事で、上海に派遣された本間英司憲兵軍曹は、陸軍参謀本部からも高く評価されている及川政幸憲兵大尉より、憲兵隊の中にいる敵の内通者を調べろを命令を受けた。前任者は三日前、巡回中に背後から銃撃を受け殺されていた。その命令を受けている途中、及川の家が爆破された。各国が複雑に絡み合う上海の租界警察から派遣されたジェームズ警部は、まともに捜査する気がない。翌日、知り合いの上海の日本人記者より、D機関に入った大学時代の同級生、草薙行人が地元中国人の服装をしているところを見かけたと聞かされ、さらにD機関は中国国内の民間秘密結社青幇(チンパン)と手を組み、偽造紙幣を上海に持ち込んで中国全土に流通させ経済崩壊を企んでいると知らされた。「魔都」。いくら憲兵隊とはきえ、D機関の存在を知られてしかも人物まで特定されてどうするのかと思ったが、そういう真相があったのかと読み終わって納得。D機関の人物を主人公にするより、こうやって事件の裏側に位置する立場にある方が、その存在感がより強まると思う。

3年前、ドイツ有名新聞の海外特派員として来日したカール・シュナイダーは、連日酒宴と乱痴気騒ぎのパーティーを開いていたが、実は独ソの二重スパイだった。取扱いに困った各組織は、D機関に後始末を押し付けた。陸軍所属の飛崎弘行少尉は、大隊長に逆らって逆らって謹慎していたところを結城中佐にスカウトされ、卒業試験としてシュナイダーの調査を任された。飛崎は調査の結果、シュナイダーがドイツのスパイを演じながらも、実はソ連のスパイであった事を突き止め、日本国内のスパイ網を押さえた。あとはシュナイダーの身柄を確保するだけだったが、シュナイダーは死亡した。遺書が残っていたことから憲兵隊は自殺と結論付けたが、飛崎は自殺でなく、殺人の可能性があると指摘。D機関の面々は、調査を開始した。「XX(ダブルクロス)」。形的には密室殺人のように見えるのだが、それはさておいて、スパイとなる人物にも弱さ、盲点があったというのは、それはそれで面白い。



今まで歴史上の人物を扱ったミステリを書いてきた柳広司が、初めてオリジナルの人物を主人公に据えた連作短編集。どちらかと言えば知る人ぞ知るといった作者が世に知られるきっかけとなったヒットシリーズである。スパイと探偵とは似て非なるものであるが、スパイ小説と本格ミステリは通じるところがある。手がかりや言動をきっかけに事件の真相に気づく点は、どちらも同じだ。そういう意味では、スパイ機関を連作短編集の主人公に据えるという設定は、ありそうであまりなかったものであり、よくぞ見つけてきたものだと思う。登場するD機械のスパイの面々が超人すぎるところがやや気にかかるものの、当時の不安定な世界情勢を基に活躍する姿は、読んでいて実に痛快。協会賞などの受賞も当然であろう。

とはいえ、日本が戦争で負けたのは事実だし、諜報合戦ではお話にならなかったぐらいレベルが低かったのは歴史的事実。そことの整合性をどうとるかが、今後の課題だろう。そうしないと、ファンタジーの方向に流れてしまう。