平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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水上勉『虚名の鎖』(光文社文庫 水上勉ミステリーセレクション)

虚名の鎖 (光文社文庫)

虚名の鎖 (光文社文庫)

新光映画の人気女優・小倉しのぶが千曲川で変死体となって発見された。地元、小諸署の牟田井刑事は、コートのポケットに残された小石の出所を追い、かたや警視庁・梶本警部補は映画界の内情を探った。双方の捜査が真相に肉迫するにつれ、華やかな世界の虚しい裏面が明らかになっていく。日本文学史に多大な功績を遺した水上勉ならではの抒情鮮烈なるミステリー!(粗筋紹介より引用)

「週刊明星」1960年10月30日号〜1961年5月21日号連載。1961年8月、カッパ・ノベルスとして刊行。



『霧と影』『海の牙』『飢餓海峡』等の作品により、松本清張に続く社会派推理小説作家として一世を風靡した水上勉の作品。粗筋にもあるとおり、コートのポケットに残された小石を手掛かりとして捜査を続ける小諸署の牟田井刑事と、映画界の内情から真相に迫ろうとする警視庁の梶本警部補側からの捜査を交互に書いていき、徐々に事件の全体像や犯人の正体が浮かび上がってくる。

細谷正充の解説によると、舞台となった新光映画のモデルは、1960年8月に社長と所属女優のスキャンダルがあった新東宝とのこと。関心の高い社会的なテーマを背景に、警察が地道に進める捜査の中で隠された人間像が浮かび上がってくるという手法は、社会派推理小説の一般的なスタイルである。刑事たちが事件の全体像を推理する箇所は出てくるが、それは論理的な思考に基づくものではなく、目の前に現れた事象から適当に作り上げているに過ぎない。歩いて新しい手掛かりを得たとき、再び全体像を推理する過程を繰り返す。現実に即した描き方となっているが、推理するという面白みは全くない。社会派推理小説の楽しみの一つは、捜査の過程によって犯人や社会の今まで見えなかった過去、真実、裏側、苦悩などが徐々に表へ出てくるところにあるのだが、本作品では作者自身が「失敗作でしょう」と書いているとおり、作者が書こうとした映画界の内幕への踏み込みが浅いため、警察側の地道な捜査の方が全面的に出てくるだけの結果となった地味で退屈な仕上がりとなっている。

ピークを過ぎていたとはいえ、当時の映画界は娯楽の王様であっただろうから、"虚名"というタイトルや犯人の動機などにも納得のいくものがあっただろうが、さすがに今読むとリアリティに欠ける部分があるかもしれない。今の読者からすると、捻りが足りないというところか。

社会派推理小説というジャンルが形になった頃の作品であり、時代を超えた強烈な感情が読者に訴えてくるわけでもないため、ほとんどの読者には古臭い退屈な作品という読後感しかないだろう。絶版状態だったのも仕方のないことか。現実社会をただ文章にしただけの推理小説では、世代を越えて読み続けられることはないといういいお手本である。

社会派推理小説ブームを広げるのに一役買った水上勉なので、その推理小説作品がほとんど読めないという現状はちょっと残念である。今回ミステリーセレクションが出るということで少しは期待していたのだが、他の作家と比べると今読むのは少々きつい。4冊で中断しているのも納得はいくのだが、カッパ・ノベルス時代は相当数出版していたのだから、光文社ももう少し出してほしいとも思う。