平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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水上勉『水上勉社会派短篇小説集 無縁の花』(田畑書店)

 本書は水上勉が一九六〇年から一九六三年の間に書いた短篇小説から九作品を選んで編んだものである。
 この時代の水上は『霧と影』(一九五九年)でいわば二度目のデビューを飾り、『海の牙』(一九六〇年)で日本探偵作家クラブ賞を、『雁の寺』(一九六一年)で直木賞を受賞、そして『飢餓海峡』(一九六三年)を発表するという充実期に入っていた。読書界は推理小説ブームを迎えており、その中で過去の『フライパンの歌』(一九四八年)のような私小説路線から松本清張と並ぶ社会派推理小説(当時の言い方だと「社会派」)の作家へと転じた水上は、一躍売れっ子作家となったのである。
 本書に収めたのは、この「社会派」時代に数多く発表された短篇小説である。『飢餓海峡』が代表的だが、水上の社会派推理小説には長編に傑作が多いことが知られている。しかし、こららと並行して矢継ぎ早に発表された短篇にも、現代から見て価値の高いものが多い。これらは多くが絶版でまたおそらく水上の意思で全集未収録であったが、そのまま埋もれさせるには惜しいと考え新編集での単行本化を企画した次第である。
 現代の推理小説はトリックの面白さ、謎解きの見事さを競ういわゆる「本格」の系譜に人気の中心があるようだが、これに対して「社会派」は犯罪者がその事件を起こした動機を重視するもので謎ときに主眼はない。さらに、当時の「社会派」は純文学と大衆文学の間を狙った「中間小説」の成立の中で、間口の広い芸術小説を目指した、いうなれば戦後の「純粋小説」(横光利一)運動であり、ルポルタージュなど小説以外の作品をも包含する呼称であった。とりわけその一翼を担った水上の「社会派」小説は、純粋なジャンル小説とは異なる物語性や問題意識に満ちている。そのような認識から、本書のタイトルには現在一般に用いられている「社会派推理小説」「社会派ミステリー」ではなく「社会派」のみを冠することとした。(「刊行にあたって」より抜粋)

 

 昭和20年2月24日の大雪の朝、日本海側のP県S郡にある猿ヶ嶽国民学校の家政科教師津見菊枝は山上にある分教場に向かっていた。出発したはずの津見が、助教水島勇吉と生徒が待つ分教場に着いていないことがわかったのは雪がやんだ27日のことだった。津見は分教場に向かう途中の山の窪地で死体となって発見された。昭和19年4月から、途中入隊除隊を挟んで20年9月まで、故郷の青郷国民学校高野分校に代用教員として勤めた水上自身の体験を基に書かれた作品。「雪の下」。
 昭和12年11月末の夜、京都の六孫王神社で起きた殺人事件。偶然現場を通りかかった近所の屑物回収業の田島与吉は、落ちていた凶器の包丁を拾ったことから殺人犯として逮捕される。冤罪は晴れたが、厳しい検事の取り調べで衰弱した与吉は、釈放後一人娘で6歳の蝶子を残し死亡。20年後、成長した蝶子は上七軒で芸妓となっていた。「西陣の蝶」。
 福井県大飯群岡田の西方寺に残る無縁仏の過去帳。そこに書かれていた昭和12年5月に縊死した女性の身元の手がかりは「宮川町、島」と書かれていた御守りのみ。同じ頃に京都で青春時代を過ごし、宮川町遊郭でも遊んだことのある作者はその縁から彼女の身元を調べ始める。当時の巡査を訪ねた作者は、女性がある男性のもとを訪ねていたことを知る。「無縁の花」。
 疎開先から終戦早々に上京し、浦和に住みはじめた瀬野誠作きみ子夫妻。昭和23年、失職した誠作に代わってきみ子は日本橋ダンスホールに勤め、人気を呼び、羽振りが良くなる。きみ子は、故郷から姉を呼び、浦和の崖下の一角に家を建てることを考える。そんな時、きみ子はダンスホールの常連客佐沼からあることを頼まれる。昭和23年、神田から浦和に移り住んだ水上の体験をもとにした作品。「崖」。
 昭和20年8月1日、第二小隊第五分隊所属の瀬木音松は、宇治黄檗山万福寺に向かって行軍をしていた。招集されたばかりの寄せ集め部隊には、左眼に大きな傷を負った片目の男がいた。休憩中、彼は自分の眼を傷つけたのは畠山軍曹だと話し、強い憎しみを瀬木に語る。休憩後、行軍が再開されてしばらくすると、部隊後方から叫び声が聞こえてきた。昭和19年に召集され輜重隊に所属した時の体験をもとにしている。「宇治黄檗山」。
 昭和3X年10月12日の夕刻、佐渡の宿根木から沖に漕ぎ出た漁師が、岩陰に浮かぶ大きな木箱を発見する。中から現れたのは美しい女性の絞殺死体だった。現場に駆けつけた新潟県警の多田利吉は、女性が着ていたゆかたを唯一の手がかりに捜査を開始する。と同時に新潟大学の内浦保教授から、民間伝承として伝わる死体を入れた舟「うつぼ舟」の孫自在を知らされる。「うつぼの筐舟」。
 福井県南部の山岳地帯の寺泊部落に住む古茂庄左とさと夫妻。渓下の日蔭田のつらい労働にも仲良く精を出す評判の夫婦だった彼らだったが、ある時以来、さとの姿が見えなくなっていた。近所の人が庄左に問いただすと、さとは神護院に参詣に行って留守なのだと答えた。だがいつまでも帰ってこないことを不審に思った知人が家を訪ねると庄左は意外な言葉を口にした。水上本人が気に入っている作品で、作中の沼や田んぼは幼少時代の記憶をもとにして書いたのだという。「案山子」。
 昭和26年4月26日に那智滝に無理心中した二人の男女。男は輪島に住む漆工、女は京都燈全寺塔頭昌徳院住職の妻だったという。二人の接点はどこにあったのか。「那智滝投身人別帳」を読んだ作者は、そこに書かれた情報をもとに、生前の二人の足取りを調べ、その結果を語り始める。「奥能登塗師」。
 昭和1X年の10月2日、京都にある真徳院は17歳の少女によって放火された。京都神崎村出身の孤児だった彼女は、真徳院近所の下駄屋で下女をしていた。片目が不自由だが美しい彼女は真徳院に散歩に出かけるうちに、ある一人の寺の小僧と親しく言葉を交わすようになっていた。この作品は昭和37年に起きた壬生寺の放火事件から着想を得て書かれている。「真徳院の火」。(すべて粗筋紹介より引用)
 他に角田光代「序 時代と場所と水上勉」、野口富士男による水上論「慕情と風土」を収録。
 2021年10月、刊行。

 

 「社会派」の代表的作家であった水上勉の、全集・単行本未収録を含む社会派短編小説傑作選。
 作者の生まれ故郷である福井県、そして最初に奉公に出された京都を舞台にした作品が多い。ここに出てくる登場人物は、いずれも弱者ばかりである。それも時代や地域、慣習などに縛られた人が多い。そして弱者は最後まで弱者である。そんななか、懸命に生きてきた証と、絶望の果てに手を染めることになった殺人。水上勉は、弱者の悲哀と叫びを書き続けてきたのではないか。そんなことを考えさせられる短編集である。
 確かにミステリに謎とトリックを求める読者からしたら物足りないかもしれない。しかし、小説には人が出てきて、人にはそれぞれの歴史と感情がある。それは日本の歴史には全くかかれない歴史であろう。だがそんな小さな歴史の積み重ねで、世の中は動いている。歴史から見たら名もなき人たちの叫びを、我々は読むことができる。そんな幸せをかみしめられる短編集である。