平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

ピエール・ルメートル『わが母なるロージー』(文春文庫)

 パリで爆破事件が発生した。直後、警察に出頭した青年は、爆弾はあと6つ仕掛けられていると告げ、金を要求する。カミーユ・ヴェルーヴェン警部は、青年の真の狙いは他にあるとにらむが……。『その女アレックス』のカミーユ警部が一度だけの帰還を果たす。残酷にして意外、壮絶にして美しき終幕まで一気読み必至。(粗筋紹介より引用)
 2012年、"Les Grands Moyens"のタイトルで発表。2014年、改題して再刊。2019年9月、邦訳刊行。

 

 パリ警視庁犯罪捜査部のカミーユ警部が主人公の中編。作品が書かれた経緯は、作者による序文に詳しい。発表されたのはシリーズ2作目である『その女アレックス』の直後であり、作品中の時系列も同様。粗筋紹介にある「一度だけの帰還」というのは、単に日本での翻訳が遅れただけに過ぎない。
 残された6つの爆弾の在り場所を探すタイムリミットサスペンスであると同時に、犯人である青年の真の狙いを推理する心理闘争が同時展開するため、ページをめくる手が止まらない。シリーズの主要メンバーは登場するし、短いながらもそれぞれの魅力も出ている。よくできている中編といえる。
 はっきり言って、もう少しページを足して、長編にしてほしかったぐらいの作品。犯人であるジャン・ガルニエと、母親のロージー・ガルニエの関係は、もう少し深掘りしてほしかった。
 この作者の作品はカミーユ警部シリーズしか読んだことがないのだが、他も読んでみようと思わせる一冊だった。

長岡弘樹『教場0 刑事指導官・風間公親』(小学館文庫)

 T県警が誇る「風間教場」は、キャリアの浅い刑事が突然送り込まれる育成システム。捜査一課強行犯係の現役刑事・風間公親と事件現場をともにする、マンツーマンのスパルタ指導が待っている。三か月間みっちり学んだ卒業生は例外なくエース級の刑事として活躍しているが、落第すれば交番勤務に逆戻り。風間からのプレッシャーに耐えながら捜査にあたる新米刑事と、完全犯罪を目論む狡猾な犯罪者たちとのスリリングな攻防戦の行方は!? テレビドラマ化も話題の「教場」シリーズ、警察学校の鬼教官誕生の秘密に迫る第三弾。(粗筋紹介より引用)
 『STORY BOX』2014~2017年に随時掲載。2017年9月、小学館より単行本刊行。2017年9月、文庫化。

 

 タクシー会社の御曹司との結婚が決まった日中弓。2年関係を持っていた芦沢健太郎に別れ話を持ち出すも、裸の写真をばらまくと脅され、タクシー車内で殺してしまう。「第一話 仮面の軌跡」。
 画家で画廊を営む向坂善紀は四年前に離婚した。高校二年の息子匠吾は画の才能があるが、元妻の再婚相手で歯医者の苅部達郎は、それを許さなかった。「第二話 三枚の画廊の絵」。
 夫が遺した建設会社を経営する佐柄美幸の息子である小学三年生の研人は、いじめで不登校となっている。しかし担任である諸田伸枝は、頑なに認めようとしなかった。「第三話 ブロンズの墓穴」。
 IT関係の仕事をしている佐久田肇は、隣に住む劇団女優の筧麻由佳に惹かれていた。休みの日、焦る麻由佳に助けを求められて部屋に入ると、劇団の俳優元木伊知朗が首吊り自殺をしようとしていた。止めようとしたが、元木は椅子を蹴飛ばした。「第四話 第四の終章」。
 デザイナーの仁谷継秀は、認知症になった二十歳年上の妻・清香の介護で疲れ果てていた。さらに仁谷には、別の恋人がいた。仁谷が外出中、清香はガス中毒で亡くなった。「第五話 指輪のレクイエム」。
 国立T大学法医学教室の教授である椎垣久仁臣は、司法解剖中のミスで助教宇部祥宏に青酸ガス中毒による大けがを負わせてしまった。この事故が公になると、次期医学学長の就任予定が流れてしまう。「第六話 毒のある骸」。

 

 『教場』『教場2』の主人公、風間公親の前日譚。各話タイトルは、『刑事コロンボ』のエピソード名のもじりとのこと。倒叙ミステリの連作短編集だが、風間に教えを受けている若手たちが事件解決に挑むという形がちょっと新しい。風間がすべてを知っているようだが口を出してもヒント止まりで、あくまで若手刑事にまかせて解決しようとする。
 風間というキャラクターあっての作品集であり、しかも話があっさりめ。若手刑事たちからの風間の印象をそれぞれ語らせているというところからも、ドラマ化前提の作品集のような気がしなくもない。風間ファンならこれでいいのかもしれないが、そうでない人には物足りないだろう。

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html
 「死刑や犯罪についての雑記」にある「高齢死刑囚」を更新。執行ないし病死等があった場合に更新をしているが、今回は年初めに伴う更新。76歳以上の死刑囚を載せているのだが、今回の更新で3人追加。今年中に76歳を超えるのは他に2人いる。何のための制度なのだろうか、とは思ってしまう。
 リストを見直していて今頃気付いたが、大濱松三死刑囚が現在94歳6月。帝銀事件の平沢貞道元死刑囚の95歳2か月をあと8か月、(計算ミスをしていなければ)8月25日で超えてしまうことになる。確定後は全くといっていいほど消息が聞こえてこないが、今年はさすがにマスコミが大騒ぎするだろう。死刑制度に関する議論が拡がるかもしれない。

フレデリック・フォーサイス『帝王』(角川文庫)

 灼熱の太陽が照りつけるモーリシャスの沖、そいつは緑色の海水の壁を破って飛びだした。500kgを超える伝説のブルーマルリン、“帝王”がフックにかかったのだ! 渾身の力を込めて巻きとられるリール、必死の逃走を試みる巨魚…8時間に及ぶ壮絶なファイトの果てに、“帝王”を釣った男に訪れた劇的な運命の転換とは――?
 冒険、復讐、コンゲーム…短編の名手としても定評ある著者が“男の世界”を描き、小説の醍醐味を満喫させる、魅力の傑作集。表題作ほか7編収録。(粗筋紹介より引用)

 1982年、ロンドンで発表。同年、邦訳単行本刊行。1984年5月、文庫化。ただし、「殺人完了」「ブラック・レター」は『シェパード』(角川文庫)に収録されているため、本巻からは外されている。

 

 老人の家を強制撤去すると、暖炉の壁から死体が出てきた。しかし警察の取り調べにも、老人は一言もしゃべらない。「よく喋る死体」。
 バンゴー市でインドから留学していた医学生は、もぐりの家屋解体業でアルバイトをしていたが、虐待を受けたため復讐を誓う。1982年、エドガー賞短編部門受賞。「アイルランドに蛇はいない」。
 小悪党のマーフィーが時間と金をかけて計画した、極上のフランスのブランデー750ケースの強奪。荷物はフェリーから降ろされ、トレーラーで運ばれてきた。「厄日」。
 詐欺に加担したかのように新聞に書かれたビルは、新聞社と記者に抗議をするも無視される。名誉棄損で訴えようと弁護士に相談するも、時間と金ばかりかかって無駄だと諭された。しかしビルは『英国法』を読み、復讐の手段を思いつく。「免責特権」。
 資産家のティモシー・ハンソンは、癌の苦痛に耐えきれず自殺。弁護士は残された親族の前で遺言状を開く。「完全なる死」。
 カミン判事は四時間の汽車旅の中、車室で一緒になった貧相な小男、神父とマッチ棒を掛け金代わりにポーカーを始める。「悪魔の囁き」。
 フランス、ドルゴーニュ地方の田舎で私の車はついに動かなくなった。妻と私は、小さな村の中年女の家に泊めさせてもらうことになった。作者のアイルランドの友人が体験した実話とのこと。「ダブリンの銃声」。
 勤める銀行の報奨制度で、モーリシャスでの一週間の旅行と休暇を与えられた支店長マーガトロイド。同行者は恐妻エドナと、同じ報奨を得た本店勤務の若者ヒギンズ。ヒギンズに誘われ、エドナに黙ってゲーム・フィッシングに出かけたマーガトロイドは、“帝王”と呼ばれるブルーマリンにヒットする。「帝王」。

 

 フォーサイスというと大長編のイメージしかなかったのだが、この短編集はどれを読んでもひねりが利いていて面白い。多岐なジャンルを楽しむことができ、どれも読者を満足させるものばかりである。小説が巧い人は、やはり短編を書ける人だと改めて思い知った。
 「帝王」の結末には思わず喝采を挙げてしまったし、「アイルランドの蛇はいない」の結末の不気味さには背筋が寒くなった。「完全なる死」の騙しのテクニックにも感心した。一番面白かったものを挙げろと言われれば、迷うことなく「免責特権」と答えるだろう。この痛快な復讐劇は、大きな権力に虐げられてきた弱者が留飲を下げること、間違いなしだ。
 これは読まないと損をする短編集。絶版状態の今頃にこんな書き方をするのも恥ずかしいが、傑作なのだから仕方がない。これは復刊すべき、それだけの価値がある一冊である。

今年一年、有難うございました

 今年は月10冊読了のノルマ達成。お笑いスタ誕も月2回更新できたのでホッとしています。

 本を読むのもしんどくなってきましたし、パソコンの前にずっと座っているのもきつくなってきました。まあ、来年もぼちぼちとやっていこうと思います。

クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(早川書房)

「それが、ここに流れてるあたしたちの血。あたしたちは無法者なの」
 アメリカ、カリフォルニア州。海沿いの町ケープ・ヘイヴン。30年前にひとりの少女が命を落とした事件は、いまなお町に暗い影を落としている。自称無法者の少女ダッチェスは、30年前の事件から立ち直れずにいる母親と、まだ幼い弟とともに世の理不尽に抗いながら懸命に日々を送っていた。町の警察署長ウォークは、かつての事件で親友のヴィンセントが逮捕されるに至った証言をいまだに悔いており、過去に囚われたまま生きていた。彼らの町に刑期を終えたヴィンセントが帰ってくる。彼の帰還はかりそめの平穏を乱し、ダッチェスとウォークを巻き込んでいく。そして、新たな悲劇が……。苛烈な運命に翻弄されながらも、 彼女たちがたどり着いたあまりにも哀しい真相とは――? 人生の闇の中に差す一条の光を描いた英国推理作家協会賞最優秀長篇賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2020年、イギリスで刊行。2021年、英国推理作家協会(CWA)賞ゴールド・ダガー賞(最優秀長篇賞)受賞。オーストラリア推理作家(ACWA)賞(ネッド・ケリー賞)最優秀国際犯罪小説賞、シークストン賞最優秀賞受賞。2022年8月、邦訳刊行。

 

 作者の第三長編。出版当時から話題になっていたが、2022年のミステリ三冠となったので手に取ってみる。
 舞台は2005年6月のカリフォルニア州、ケープ・ヘイヴン。30年前に7歳のシシー・ラドリーを殺害して逮捕されて10年の刑を受け、さらに刑務所内で殺人を犯して20年の刑が追加されたヴィンセント・キングが出所する前日から物語は始まる。主人公は、13歳の“無法者”と自称する少女、ダッチェス・デイ・ラドリー。シシーの姉である母スターと、弟ロビンとの三人暮らし。そしてもう一人の主人公は、ヴィンセントの幼馴染かつ元親友であり、現在はケープ・ヘイヴン警察の所長であるウォーカーである。
 ダッチェスに降りかかる不幸の連鎖、新たな殺人事件とヴィンセントにかかる容疑、ヴィンセントの無罪を信じて動くウォーク。殺人とその解決はあるものの、どちらかといえば人間ドラマを見ているような作品である。世間の無常さと、人としての希望。
 殺人事件の伏線などは丁寧に描かれているし、ウォークがヴィンセントの無実を信じて動き回る姿は、正式な署員は一人しかいない警察署とはいえ、警察小説、刑事小説といえるかもしれない。しかし読者が気になるのは、ダッチェスが救われるかどうかである。
 第一部で殺人事件が起きるが、第二部の舞台に、ダッチェスの祖父ハルが住むモンタナが加わる。ダッチェス、ロビン、スターはハルの許に移り、それぞれの心を癒していく。一方、ウォークは30年前の恋人、弁護士のマーサ・メイと再会し、過去の傷に触れつつも殺人事件の真相を求める。全く別の話が平行線で描かれているようで、実は繋がっている二つの物語。そんな物語が第三部で交わり、第四部の結末へ向かっていく。
 計算された、心揺さぶられる物語。小説の最初から最後まで、作者の想いが太陽の光のように浴びせられている、そんな作品である。どんな不幸でも、どこかには希望がある。孤独なようでも、誰かが自分のことを見ている。運命は絶望ばかりではない。そして、人の心は汚されていても、世界は美しい。
 先にも書いたが、重厚な人間ドラマの長編。これはもう、泣くしかないよな。この作品の登場人物たちに、救いが来ますようにと祈りたくなる作品。傑作と評されるのも当然だろう。