平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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夕木春央『時計泥棒と悪人たち』(講談社)

 油絵画家の井口が、出獄した元泥棒で友人蓮野に相談を持ち込んだ。以前井口の父が美術収集家の加右衛門氏に譲ったオランダ王族由来の置時計が贋物であり、加右衛門氏が私立美術館の造設を進めているという。美術館に時計が展示されれば、加右衛門氏は大恥を晒す。井口は蓮野とともに美術館に潜入して本物の時計との交換を試みる。「加右衛門氏の美術館」。
 元士族で資産家の蓑田明良が5年ぶりにイギリスから帰ってくるというので、蓑田家はパニック。妾が三人いる47歳の長男幸正、我儘で二度離婚した40歳の長女美千江、保険会社に勤める37歳の次男明正、週四回娼館に通う32歳の従兄弟明彦、すでに子供二人を外に作っている不良青年で20歳の三男篤良。盗み聞きが悪習である女中の亜津子を含め、てんやわんや。そんなある日、だらしない家族内の調整役だった明正が密室の部屋で殺された。「悪人一家の密室」。
 井口が妻の紗江子とともに義兄夫婦の谷苗家に泊まった翌日、谷苗家の一人娘である峯子が誘拐され、身代金を要求する脅迫状が届いた。井口は皆と相談のうえ、警察には届けず、蓮野に助けを求める。蓮野は脅迫状を読んで、違和感を抱いた。「誘拐と大雪 誘拐の章」。
 峯子が誘拐されてから助けられるまでの顛末と、さらになぜか犯人が殺害された謎を峯子視点で書いた「誘拐と大雪 大雪の章」。
 井口のパトロンである晴海社長が蓮野に依頼したのは、四か月前に病死した妻・やよいに送られてきたフランスからの手紙に心当たりがないため、調べてほしいとのことだった。やよいは双子で、晴海社長の最初の奥さんは双子の姉・つきよだった。「晴海氏の外国手紙」。
 陽東海運の大型貨物船光川丸が印度から帰ってくる途中、東京湾沖で航行不能に陥った。曳航の手配に手間取り、西田船長を残して全員が陸に引き上げていた。陽東海運の社長である広川浩太郎は船成金で、黒鳥会という珍味を食する秘密倶楽部を主催していた。光川丸に積まれていたのは二頭の虎だった。そこで広川は、客とコックをヨットで運び、船上で会合を催すことにした。その客の中にいたのは、井口と蓮野、画家で晴海社長に世話になっている大月。そして三人と同行した雑誌編集者の南である。黒鳥会で給仕をしている照江は、殺されて臀部の肉を抉られた南の死体を発見。慌てて広川を呼んだが、市血痕は残っているものの、死体は消えていた。「光川丸の妖しい晩餐」。
 井口の祖父が骨董商をしていた時に取引したフィリップ・ファン・ロデウィック伯爵の次男より、オランダ王族由来の置時計を拝見させてほしい、できることなら買い戻させてほしいという手紙が届いた。ところが、置時計に散りばめられていたルビーだけが盗まれていたのだ。それだけではなく、井口の妻・紗江子の周りでルビーが盗まれる事件が相次いでいた。「宝石泥棒と置時計」。
 全て書下ろしで、2023年4月、講談社より単行本刊行。

 『絞首商會』で登場した元泥棒の蓮野と、油絵画家の井口が事件に挑む6編を収録した連作短編集。『絞首商會』の前日譚となっており、前作で語られていた峯子の誘拐事件も収録されている。前作に登場した大月なども登場。作品は時系列で並べられている。
 『方舟』が面白かったので、『絞首商會』と新刊の本作を続けて読んだ。大正時代が舞台なのだが、電話がないことを除けば、大正時代というイメージはほとんどない。もうちょっと時代背景を描いた方がリアリティが増すとは思うのだが。前作までは堅苦しい文章で読むのがちょっと辛かったが、本作ではだいぶ柔らかくなっている。ちょいとくどいなという説明はまだ残っているが。
 蓮野が論理的に謎を解き明かす展開は、短編でも変わっていない。そのロジックは読んでいて楽しい。だがバラエティな内容になっている割に、印象に残る作品があまりないのは、書き方がくどいわりに内容が淡白なせいだろうか。舞台がイメージとしてなかなか湧いてこないというのも珍しい。「光川丸の妖しい晩餐」なんて本来なら事件の結末にいたるまでの内容が強烈なので印象が強い作品になるはずなのに、今一つ物足りない。大型貨物船と言われても、書かれている内容からはピンと来ない。そもそも、これだけしか客が来ないのかい、というツッコミもしたくなる。
 楽しめることは楽しめるのだが、物足りなさが残るのも確か。もっと大正ロマンらしく書けないものだろうか。せっかくの設定なのに勿体ない。大正という舞台とロジックの面白さが融合できれば、もっと跳ねるに違いない。