- 作者: ミステリー文学資料館
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/04/12
- メディア: 文庫
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捕らえられた鼠小僧次郎吉は処刑前日、鼠に化けるという変身術を用いて脱獄する。そして再び泥棒家業を始めた。岡田鯱彦「変身術」。鼠小僧が鼠に化けるという発想は面白いし、結末もペーソスあふれるものだが、どことなくユーモアが漂ってくる作品でもある。
南町奉行所の新参与力・花房律之助は、冬木町の卯之吉殺しですらすらと自白したお絹の口書に不審を抱き、再捜査を始める。山本周五郎「しじみ河岸」。謎解きらしい謎解きはないが、貧しき者たちの哀しみを書いた作品。お絹の最後の叫びは、現代の介護問題にも通じる気がする。
誤って人を殺した仙太は三宅島へ遠島が決まった。仙太は大いびきかきだった。牢にいる連中が楽しみは食うことと眠ること。同囚70人以上の眠りを邪魔するものはどうなるのか、と仙太は怯えていた。松本清張「いびき」。設定は面白かったけれど、後半の島抜けの話は読みたくなかったかな。
稀代の遊女である松葉屋の花魁薫は奇行で有名だった。いちばん有名だったのは、お忍びできた津軽越中守を振った話だった。越中守のお抱え絵師は、薫を題材にした枕絵を描けと命令されて悩む。山田風太郎「怪異投込寺」。葛飾北斎などの絵師が登場して、芸術の深淵に迫る話でもある。反骨心とエロティシズムに加え、最後は山風らしいトリックまで用意されている。本短編集の中のNo.1。
流れ者の祈祷師・江田松本坊とささら者・於大の間に生まれた国松は、やがて東照山円光院に入り浄慶と名乗ったが、悪童ぶりが過ぎて9歳で寺から去った。そして悪党に騙されて五百貫で願人酒井常光坊に買われた。成長後、還俗して世良田二郎三郎元信と名乗り、今川家から松平元康の嫡男・竹千代を攫って担ぎ出した。南條範夫「願人坊主家康」。村上素一郎の家康別人説を基に書かれた短編。スパンが長すぎて、盛り上がりに欠けてしまったところは残念。
源実朝が鶴岡八幡宮で甥・公暁に殺害されてから2年。当時武士として警護の列に居た僧と、公暁の恋人だった遊女、御家人三浦氏の家人の娘だった尼層の3人が当時のことを語りだす。多岐川恭「雪の下−源実朝−」。語り手が変わるたびに真相が変わるというのはミステリらしい仕掛け。史実の裏を語るにふさわしい一品。
新選組へ新たに入った富豪の三男で前髪を残したままの美少年・加納惣三郎。ほどなく、惣三郎と同期の田代彪蔵が修道の関係になったといううわさが流れる。司馬遼太郎「前髪の惣三郎」。衆道ならではの嫉妬と、剣に生きた新選組の舞台ならではという展開ではあるが、話の筋はやや単純。もう一ひねりあってもよかったような気はする。
轟屋の番頭貞吉が失踪した。一方、藩の勘定方柳沢欣之介は、轟屋からの紅花の上納金が年々減っていることを見つけ、その理由までを突き止めたのだが、同僚ともいえる古参の奥田勘右衛門は気にする風ではなかった。永井路子「からくり紅花」。貞吉の恋人であるすみが哀れであるが、それ以上に哀れなのは正義と思ってやった行為が自分に跳ね返ってきた欣之介である。
街中で4人の武士を叩きのめした浪人山口七郎を見た土浦藩の武士、夏目半五郎は、父の仇である浪人井関十兵衛を斬ってほしいと依頼する。池波正太郎「だれも知らない」。仇討ちという制度は返り討ちにあったり逃げた相手が見つからなかったりと相当苦労したものと聞く。そんな制度を皮肉った作品だが、ややあっさりしすぎか。
小匣の桑の実が芽を出して花が割き、小石をパンに変えるなどの奇跡を見せる南蛮僧が現れた。そして1か月前に死んで柩の中に入れられ埋められたぱあてれ・ぽーる(ポール神父)が予言通り、掘り出された柩の中から復活した。キリスト教に入信する人はどんどん増え、長崎の町は切支丹の町になっていった。新羽精之「天童奇蹟」。『幻影城』に掲載されたという一品。奇跡のインチキを暴くという話はありがちであり、その続きをもうちょっと読みたかった気がする。
火消しになることを夢見て鳶の猪助に拾われた文次だが、火事場に行っても怯え体が動かなくなってしまう。猪助の紹介でひさご屋という一善飯屋で下働きをする文次だったが、あるじの角蔵から臆病が無くなって火事場から守ってくれるだるま猫という頭巾を手渡された。宮部みゆき「だるま猫」。時代小説でも第一人者である宮部らしい人情味あふれる作品でもあるが、ラストは少々呆気ない。
『幻の探偵雑誌』『甦る推理雑誌』に続く新企画として、「名作で読む推理小説史」が編まれた。テーマごとに昭和、平成のミステリの傑作短編を精選すると共に、その流れを解説している。2005年に刊行された本巻は、時代ミステリを取り上げている。
戦後から平成までの短編11作を収録して時代ミステリの流れを追うもの。いわゆる大御所の短編も多い。ただ、ミステリと意識して書かれた作品は少なく、「名作で読む推理小説史」という名前に値するかと言われると疑問が残るのも事実。もっとも、代わりにどんな時代ミステリがあるのかと聞かれても困るのだが。
もっとも、時代ミステリという言葉にこだわらなければ楽しく読める作品ばかりなのは事実。普段は時代小説を読まないから、こういう企画で読むことができたのは幸運だった。