平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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坂上泉『へぼ侍』(文春文庫)

 大阪の与力の跡取りとして生まれた志方錬一郎は、明治維新で家が没落し、商家へ奉公していた。時は明治10年西南戦争が勃発。武功をたてれば士官の道も開けると考えた錬一郎は、生きこんで戦へ参加することに。しかし、彼を待っていたのは、落ちこぼれの士族ばかりが集まる部隊だった――。松本清張賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2019年、『明治大阪へぼ侍 西南戦役遊撃壮兵実記』のタイトルで第26回松本清張賞受賞。同年7月、『へぼ侍』と改題して文藝春秋より単行本刊行。同年、第9回日本歴史時代作家協会賞新人賞受賞。加筆修正のうえ、2021年6月、文庫化。

 

 『インビジブル』が面白かったのでデビュー作を手に取ってみた。
 志方家は三河以来の徳川家臣で、大坂東町奉行所与力として数代前から土着するとともに、剣術指南の道場を営んできた。しかし主人公の志方錬一郎の父、英之進は鳥羽伏見の戦いに身を散らし、明治維新で生活が困窮。交流の深い薬問屋・山城屋の主人・久左衛門が手を差し伸べ、錬一郎は部屋住みの丁稚として引き取られた。暇さえあれば木刀を振り回していることから、三歳下の娘の時子からはへぼ侍と呼ばれる。10年後、錬一郎は手代に引き立てられた。その翌年、西南戦争が勃発。仕官して家を再興しようと考えた錬一郎は満17歳で官軍に潜り込むも、そこは落ちこぼれと厄介者の集まりだった。
 自称歴戦の勇者だが、賭け好きで借金取りに追われる松岡。鉄砲よりも包丁を持って料理する方が得意な沢良木。元勘定方で今はそろばんの腕を活かして銀行員になっているも、妻からは仕官しなかったことを責められて見返そうとする三木。一筋縄ではいかない仲間である。それにしても、三木の妻の考え方が当時を映し出していて面白い。
 戦闘シーンばかりでなく、彼らの日常が面白い。給料をもらっては博打に明け暮れる松岡。現地で食材を調達しては料理をふるまう沢良木。得意の算盤の腕を活かす三木。喧嘩をしたり、酒を飲んだり、時には遊女を買ったり。情報収集に頭を使う錬一郎の策については、清張作品を思い出させるところが憎い。
 実在の人物が錬一郎に影響を与えているところもうまい。新聞記者の犬養仙次郎(毅)、軍医の手塚良仙(手塚治虫の曽祖父)である。他にも乃木希典などが登場する。ここでこんな人が出てくるんだ、という驚きも提供してくれる。
 西南戦争武家の時代の終わりを告げるものだった。落ちこぼれの士族たちを通し、当時の時代や風景、世情が丹念に描かれているところに巧さを感じる。作者は調べたことを自ら咀嚼し、物語に溶け込ますことに長けている。そして最後は、主人公たちの成長物語として幕を閉じる。この余韻が美しい。
 結論として、面白い小説だった。その一言に尽きる。作者はデビュー作から巧い作家だった。四作目が非常に楽しみだ。