平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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坂上泉『インビジブル』(文藝春秋)

インビジブル

インビジブル

  • 作者:泉, 坂上
  • 発売日: 2020/08/26
  • メディア: 単行本
 

 昭和29年、大阪城付近で政治家秘書が頭を麻袋で覆われた刺殺体となって見つかる。大阪市警視庁が騒然とするなか、若手の新城は初めての殺人事件捜査に意気込むが、上層部の思惑により国警から派遣された警察官僚の守屋と組むはめに。帝大卒のエリートなのに聞き込みもできない守屋に、中卒叩き上げの新城は厄介者を押し付けられたと苛立ちを募らせるが――。はぐれ者バディVS猟奇殺人犯、戦後大阪の「闇」を圧倒的リアリティで描き切る傑作長篇。(帯より引用)
 2020年8月、書き下ろし刊行。

 

 本屋で見て一目ぼれした一冊。初めてみる作家だが、2019年の松本清張賞受賞作家。そういえば『へぼ侍』って本屋で見かけた記憶がある。<br>
 昭和24年の新警察法で、人口5千人以上の市町村が運営する自治体警察、通称「自治警」と、財力のない零細町村部を所管する国家地方警察、通称「国警」に再編された。大阪市警視庁も「自治警」の一つで、民主警察の象徴とされた代表格。しかし昭和29年、警察庁が全国都道府県警察を統括する改正案が国会に提出されていた。そんな時期の大阪市警視庁が舞台。
 主人公は中卒で、東警察署の刑事課に4月に異動したばかりの最年少、新城洋。新城が組む相手は、帝大卒で国警大阪府本部警備部二課の守屋恒成警部補。方や中卒4年目、方や帝大卒エリートで捜査は初めて。たたき上げとエリートがぶつかり合いながら捜査を進めていくというのは王道。相手の意見を聞くうちにいつの間にかお互いを認め合うようになるのも王道。エリートだが一本気な性格が捜査本部でも認められるようになるのも王道。言ってしまえばよくあるパターンなのだが、それでも面白いのは王道に忠実なことに加え、連続殺人事件の謎と捜査が面白いこと。麻袋を顔に被せさせれた死体が続けて発見されれば、背景に何があるのか気になるところ、各章の冒頭で犯罪に手を染める理由らしきことが匂わせられているし、その背景もすぐにピンと来るものなのだが、それでも少しずつ事件の全様が明らかになってくる展開は、これまた王道なれど面白い。
 他の登場人物もよく描けている。特に新城の姉の冬子、本庁一課強行犯二班長の古市、同じく五班長の西村などは魅力的だ。また当時の大阪の街や人たちも目に浮かび上がるようだ。
 この小説の凄いところは、新城たちが関わるエピソードのすべてが事件解決までつながっているところ。戦争の傷跡、時代に翻弄される人々、それでもたくましく生きる人々。そして傷つき打ちひしがれる人々。当時の時代背景が、そして傷跡がさらけ出され、事件に深くかかわっていく。若い作者なのに、よくぞここまで調べ、違和感なく小説世界に織り込むことができたものだと感心してしまった。すべてを計算し、無駄なくエピソードを鏤め、主人公やそれ以外の魅力的な登場人物たちを浮き彫りにしつつ、戦争の傷跡が残した連続殺人事件の謎をよくぞ書けたものだ。
 警察小説の定型的なフォルムでも、時代背景と登場人物と事件の謎をしっかり書き込めば、これだけ面白くなるのだと、改めて筆の力はすごいと感じた。これは傑作。警察小説に新たな一ページが加わったと思う。問題は、シリーズ化できるのかといったところぐらいだろうか。作者の清張賞受賞作も読んでみたくなった。新刊が楽しみな作者が、また一人増えた。