平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』(創元推理文庫)

 キャソン・デューカーは、奇矯な振舞いに魅かれる犯罪者コレクター。ある夜、平生の堅物ぶりをかなぐり捨てて痛飲する銀行家に興味をそそられ話を聞いたところ、架空の事実を盾に取る狡猾な強請に屈したのだという。正義感も手伝って卑劣な男に立ち向かおうとするキャソンは、僅かな手掛かりをもとに犯人像を描き、特定、張込み、接近と駒を進めていくが、その途上で思いも寄らない事態に直面し……。間然するところのない対決ドラマは、瀬戸川猛資氏の言う「ミステリ的おもしろさを超えた何か」をもって幕を閉じる。クライム・クラブ叢書の一冊として名を馳せた傑作、新訳刊行成る。(粗筋紹介より引用)
 1955年、イギリスで発表。1959年、東京創元社より邦訳刊行。2006年8月、新訳のうえ創元推理文庫より刊行。

 

 ウィリアム・モールのデビュー作。植草甚一小林信彦瀬戸川猛資といった名書評家が絶賛した英国サスペンスミステリの幻の傑作が、ついに新訳刊行、といって騒がれていたな……。例によって今頃読む。
 本業はワイン商人の犯罪コレクター、キャソン・デューカーが恐喝事件を見分し、僅かな手掛かりから容疑者を絞り込み、特定し、行動を監視し、そして少しずつ近づいていく。容疑者に辿り着くまでの行動が何ともねちっこい。さらに徐々に近づいていく様は、今だったらストーカーと何ら変わらないぐらい不気味さ。そして心理的に少しずつ容疑者を追い詰めていく様は、真綿で首を締めるという言葉がこれほど似合う物語もない、といっていいぐらいである。乱歩がこれを読んでいたら絶賛していたんじゃないだろうかと思うぐらい、「奇妙な味」を象徴した作品である。
 そしてなんといってもこの作品のすごいところはラスト。これぞ、まさに古き良き英国精神!と言いたくなるぐらいの終わり方である。とはいえ、好き嫌いの差がはっきりしそうな終わり方ではあるが。
 作者はキャソン・デューカーが3作、単独作品が2作、そしてウィリアム・ヤンガー名義で詩集やノンフィクションを出版している。作者のプロフィールはほとんど明らかにされていなかったというが、実は英国情報部保安部(MI5)の諜報部員。しかも破壊活動防止セクションのトップだったマックスウェル・ナイト(ジェイムズ・ボンドのボス、“M”のモデル)の個人補佐官まで務めていたという。そう言われると、どことなくスパイ小説らしい目標相手への接近の仕方といえようか。なお、妻のエリザベス・ヤンガーも本作の4年後に犯罪小説を書いてデビューしている。
 帯にある通り、「伝説の逸品」という名にふさわしい作品。こういうのが読めるだけで満足。かつてのクライム・クラブで出ていた作品は、もっと新訳を出してほしい。