平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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南條範夫編『残酷武士道―歴史ミステリー傑作選』(カッパノベルス)

866年、応天門が放火され消失した。数か月後、検非違使庁の下僚である怠け者の若輩、火長秦豊根が小鬼丸という野党を拷問したら、あっさりと放火を自供した。永井路子「応天門始末」。大納言・伴善男が流刑となった応天門の変の裏側を書いたものであるが、背景があまりにもストレートすぎて面白味に欠ける。

元弘三年(1333年)、幕府軍は千劔破城に籠る楠木正成を攻めあぐね、両軍は睨み合っていた。寄せ手の大軍の周囲には、多くの遊女が集まってきた。本間十兵衛秀貞という若武者は、あまりにも美しくて、しかも誰も客をとろうとしない遊女がいるという噂を聞き、その遊女が住むという小屋へ行ってみた。半村良太平記異聞」。ショートショートに近い長さだが、ある意味男にとっては幸せな結末かも。もっとも、この時代である必然性は感じられない。

岡豊城の城主は、城内に石牢を設け、みずから裁く罪人を入れておいた。そして、裁きの場では、神のごとく罪人の胸中を察し、空恐ろしいまでに罪状の虚実を看破した。領民は不思議がり、その"裁きの石牢"は、感謝と畏怖の象徴となっていた……。善政の裏にこめられた恐るべき領主の秘密の企みとは何か?(光文社文庫版粗筋紹介より引用)。南条範夫「裁きの石牢―岡豊城伝承記―」。岡豊城の城主とは、土佐の大名である長宗我部国親のこと。若くして長宗我部を継いだ国親が、年を重ねるにつれ力を蓄えていく姿の裏にある権謀術数がすさまじい。罪人の胸中を察するトリック自体はすぐに明かされるし大したものではないが、それが歴史の事実と重なりあうと、面白さは格段に上がる。本作品中のベストの一つ。

妙心寺の僧、鉄以は、旅で疲れ果てた片目でびっこの老武士を助ける。その男は信玄に仕えていた三枝十兵衛と言い、山本勘助の息子である鉄以を訪ねてきたのだ。寺の離れにある廃家に泊めた鉄以に向かい十兵衛は、山本勘助武田信玄に重用された軍師であり、川中島で奮戦し亡くなったという話をしたその夜、亡くなった。鉄以は子供の頃に別れた父・勘助の姿を求め、当時の信玄を知るものを訪ね諸国行脚の旅に出る。新田次郎まぼろしの軍師」。『甲陽軍鑑』の作者の一人とも言われた山本勘助の息子・鉄以が主人公。山本勘助は実在していなかったのではと言われていた頃に書かれたこともあるためか、哀愁漂う作品に仕上がっている。大作『武田信玄』とはちょっと異なるテイストで書かれた佳品。

肥前戦国大名・竜造寺隆信は、対立していた筑後柳川城主・蒲池鎮並を和睦の証として、猿楽の宴席に誘うが、鎮並は体調不良を理由に辞退し続けた。そして説得の使者として、正直者で知られる西岡美濃が出向くこととなった。しかし隆信の狙いは鎮並の暗殺であり、美濃もそのことに気づいていた。滝口康彦「謀殺」。戦国時代の"謀殺"はいろいろとあるが、蒲池鎮並という人物は初めて知った。歴史上では竜造寺隆信に殺害されるのだが、それを巡る駆け引きが面白い。キーとなるのは、鎮並の母・千寿に仕える侍女の深雪。戦国ならではの作品である。

天下分け目の関ヶ原の戦いで敗れ、捕らえられて処刑された石田三成。しかしそれは替え玉で、三成は生き延びていた。早乙女貢石田三成は生きていた」。悲劇的な最期を遂げたはずの人物が生きていたという伝説はよくある話だが、石田三成は珍しいのではないか。ただ本作は、そこからの動きが少なく、面白味に欠ける。

駿河から江戸に出てきた由井正雪は、手習所で大名や旗本の家臣たちに習字や謡曲を教えるうちに、源平合戦楠木正成の話などをするようになった。それが受け、口が巧いだけの正雪は軍学兵法を教える張孔堂を開いて多数の塾生を集めるようになった。様々な大名から呼ばれるようになった正雪に、大多数の浪人が仕官の斡旋を依頼する。星新一「正雪と弟子」。慶安の変の主役である由井正雪の「真の姿」を描いた短編。もちろん史実とは異なるのだが、歴史に伝えられた切れ者とは似ても似つかぬ姿に描かれた正雪の「実態」が実に面白い。紀州藩主・徳川頼宣の関わりなども上手く描かれている。そして最も面白いのは、正雪の弟子、林武左衛門を配置したことである。慶安の変の影の主役とも言えるこの人物の動きが、この作品をより面白いものに仕上げている。さらにこの弟子の「その後」もまた面白い。もちろん言い伝えられている時代は若干異なるのだが、なるほどと思わせる巧さは作者ならでは。これは一読の価値あり。

水戸家彰考館の甲斐田杉蔵に送られてきたのは、豊後府内藩の藩儒である笠春兆が書いた「豊府拾遺」であった。そこには文禄五年に起きた慶長豊後地震により別府湾にあった瓜生島が海没したという驚くべき記録が、参考文献とともにあった。春兆と杉蔵は同じ府内の藩儒太田朱山の塾で学び、春兆は神童と呼ばれた俊才、杉蔵は努力によって秀才と呼ばれるようになっていた。そして江戸の林家の弘文院へともに留学していた。しかし、彰考館へ推挙されたのは杉蔵であったことを、自信家の春兆は恨んでいた。白石一郎「幻島記」。1975年、直木賞候補作に選ばれた短編。幻の島と言われている「瓜生島」を題材に、プライドの高い天才学者の心情を如実に表した傑作。最後は昭和の論争にまでつながるこの物語、構成が見事というしかない。

最高裁判所の前で、死刑判決を受けた息子は無罪だと訴える老人。新聞記者の香月は、老人が働くデパートの役員である紀田と会う。無罪を信じる紀田が熱心に訴える理由は、自分の祖父がある事件で拷問により自白したものの、後に無罪となったことが要因となっていた。その事件とは、明治4年に起きた広沢真臣参議が暗殺された事件だった。三好徹「参議暗殺」。いくら何でも現代の事件の無罪主張から明治時代の未解決事件まで話が飛ぶという展開は、無理がありすぎる。作者は大久保利通陰謀説を採り上げているが、もう少し中身が欲しかったところ。

土佐の士族で今は警視庁の巡査である山本寅吉は、書生の杉本から国家を操る悪党である伊藤博文の暗殺をけしかけられその気になるが、仲間を集めに大阪へ行くという杉本に金を渡すもその杉本は帰ってこなかった。多岐川恭「ある憂国者の失敗」。明治11年に起きた伊藤博文暗殺未遂事件を扱った短編だが、どことなくユーモラスな仕上がりの作品。逆に言うと、薩摩長州に牛耳られている当時の士族の不満などがもう一つ欲しかった気もする。

産婦人科医の関口は、市ヶ谷監獄に入っている死刑囚の「自転車お玉」の赤ん坊を取り上げた。2ヶ月後、体調を崩したというお玉を診るため、再び監獄に行き話を聞くと、お玉は後ろ盾になっている政府の実力者が助けてくれると信じていた。関口はお玉を救おうとするが、お玉の知り合いは誰も助けてくれなかった。井上ひさし「自転車お玉」。「自転車お玉」は実在の女性死刑囚……らしい。築地界隈のホテルの周辺で、白いドレスを着て自転車を乗り回し、外国人の客を引いていたから、そう呼ばれていた。ただ作品について言えば、背景こそ藤田伝三郎の偽札事件ではあるものの、女性死刑囚だったら誰でもよかったわけで、無理に実在の人物を出さなくてもという気はした。関口がお玉を助けようとする手段は、なんというか……。

京城事件をめぐり、日本と清の関係が緊迫していた明治18年密偵の古川恒造は、第11代皇帝・光緒帝の従兄弟である遊蕩児「十刹海の貝勒」こと載澂と紅蓮亭で会食する。載澂は古川に青い瞳の狂女・虎女に迫られ、古川は避けようと背負い投げをかけたら打ち所が悪く、虎女は死んだ。数日後、載澂が密室の部屋で両目をえぐられて殺された。陳舜臣「紅蓮亭の狂女」。ラストは日清戦争直前の時代を扱ったミステリ。密室殺人が出てくるが、犯人は自ら告白しており、推理の楽しみはない。時代背景の割にあっさりとした終わり方で、物足りない。



1976年6月初版。歴史ミステリーのアンソロジーがどれだけ出ているかはわからないが、本作品集はなるほどと思わせるものが多く収められている。たぶんの他の作品集でも読めるものが多いのだろうが、それでもこれだけの傑作、佳作を一冊にまとめてくれると、実に読みごたえがある。購入時はそれほど期待していなかったが、思いもよらぬ拾い物であった。自分としては、戦国時代や江戸時代を舞台にした作品に傑作がそろっていたと思えた。単に自分が好きな時代だからかもしれないが、明治時代ともなるとどうも生臭いし、逆に室町より古いと色々と違和感があるのだ。

編者・南條範夫は歴史推理の最高傑作として、幸田露伴「運命」を挙げている。いつか読んでみたいものだ(と言っても、青空文庫にあるようだが)。