- 作者: 山崎百合子
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 1989/04
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
本作品は死刑囚・武田二郎と群馬に住む女流俳人・山崎百合子の文通をまとめたものである。正確に書くと、武田からの便りと、それに対する山崎の想い、そして返信をまとめたものとなる。序章では、執行から16年後、秋田にある武田の実家を訪ねた山崎の様子が書かれている。武田の父親、祖母が山崎の若さに驚いているのだが、著者紹介から計算すると山崎が文通していたのは25か26歳。俳人というと年を取っているというイメージがあるだろうし、武田が「先生」と呼んでいたことから、もっと年輩の方だと思ってもおかしくはない。
武田と山崎が実際に文通をしていた期間は、昭和34年8月から執行される昭和35年5月27日までの約10か月。粗筋紹介ではいきなり死刑囚と書いているが、武田は当初、死刑囚であることを隠していた。武田が死刑囚であることを打ち明けたのは、文通を始めてから1か月後である。武田二郎は当然仮名。H・Jが起こしたのは「杉並重役夫人殺人事件」である。
武田の長すぎる手紙に戸惑いながらも、一人の俳人として句作を評価し、死刑囚に接し続けた山崎。死を間近に控えた錯乱も当然あっただろうが、あまりにも不躾な内容もありながら、武田に向かい続けた山崎。死刑囚に向かい、「死ぬことが使命」と言い切れるのは、どれだけ勇気がいったことだろうか。彼女の勇気と精神力には脱帽せざるを得ない。ただ正直に言うと、文通期間が10か月程度だからまだ続けられたという気がしなくもない(私だったらすぐに音を上げるので、10ヶ月つづけたことだけでもすごいことなのだが)。これが1年、2年、5年と続いていたならどうなっただろうか。山崎は同じように接し続けることができただろうか。それとも愛が深まって結婚しただろうか。逆に付いていけなくなり、文通を止めていただろうか。意地の悪い自分はそんなことを考えてしまうのである。
本書は死刑囚の変わり続ける心情がよく描かれており、死刑囚を知るという意味でも興味深い一冊である。俳句の出来に関しては私は素人であるが、季語も知らないような最初のものと比べると全然違うことぐらいはわかる。多分かなり早い上達だったのだろう。こうして世に出ることができ、武田も地の底で喜んでいるに違いない。