平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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亜木冬彦『殺人の駒音』(角川文庫)

殺人の駒音 (角川文庫)

殺人の駒音 (角川文庫)



死神の異名をもつ八神香介。十三歳の天才棋士に敗れ、一度は挫折した男が、それから十六年後、将棋の表舞台に現れた。第五期龍将ランキング一回戦。それはアマチュア最高位から、プロ棋士に挑む、命をかけた戦いとなるはずだった。しかし対局当日、相手プロは姿を見せず、自宅で何者かに殺されていた! 卓抜したストーリーと熱気で読者を魅了し、横溝正史賞初の特別賞を冠せられた、伝説の傑作。(粗筋紹介より引用)

1992年、第12回横溝正史賞特別賞受賞作。



再読である。1992年の発売当時、喜んで読んでいた記憶がある。この作品は、何回か繰り返して読んだなあ。将棋ファンでなくても対局の臨場感が伝わってくると思うし、将棋にとりつかれた男たちが将棋にかける思いと狂気も感じ取ることができるだろう。将棋を取り扱った小説では、間違いなく上位に来るだろう。

まあ、この程度のことを書くぐらいなら、わざわざ感想を書く必要もなかっただろう。今頃になって、ちょっと書きたくなったことを一つ。



この作品に出てくる棋士のエピソードって、ほとんどが実際にあったこと。登場する棋士真剣師の多くが、実在する棋士に似せてある。あまり取り上げられない特殊な世界を舞台にするとき、リアルに見せるため、実在の人物に似せた人物を登場させることはよくある話である。最近のミステリ界で有名なのは乱歩賞受賞作、不知火京介『マッチメイク』。これはひどかった。登場人物のほとんどが実在プロレスラーをモデルとしているのだから。だけど『殺人の駒音』も多くの登場人物が実在人物をモデルとしている(さすがに全員じゃない)。なのに、『マッチメイク』は駄作で、『殺人の駒音』は傑作である。この差は何か。愛情の差……とも思えない。不知火京介がプロレスのことをあまり知っていないのは、『マッチメイク』を読めばわかる。亜木冬彦が将棋のことを知っているのかどうかはわからない。ただ、一部の文章から見ると、それほど将棋を知っているようには思えないのだ。

結局は、物語を創る巧さの違いだけなのだろうか。それだけではないはずだ。この小説を書くときだけでも、作者は将棋というゲームの魔力に魅せられていた。だからこそ、この傑作を書くことができたのだ。そうとしか解釈できない。不知火京介になくて亜木冬彦にあったもの。それは、プロレスにしろ、将棋にしろ、その魔性に取り憑かれたか否か、その違いが大きな差になったのだと考える。

何もわからない世界を一から調べ、一つの小説を創り上げるには、一時にしろ、その世界にどっぷりとはまる覚悟がなければ、凡作で終わってしまう。この作品は、そのことを教えてくれたのだと思う。