平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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稲見一良『男は旗』(光文社文庫)

男は旗 (光文社文庫)

男は旗 (光文社文庫)

 

  かつて“七つの海の白い女王”と歌われたシリウス号。客船としての使命を終え、今は船上ホテルとして第二の人生を送っていた。ところが経営難から悪徳企業に買収される羽目に。しかしひと癖もふた癖もあるクルーたちが納得するはずがない。やがて謎の古地図に示された黄金のありかを捜し求めて、ふたたび大海原へと出航! 爽快かつファンタジックな冒険譚。(粗筋紹介より引用)
 前半「男は旗――プレス・ギャングの巻」は『小説新潮』1991年11月号掲載。後編「宝島の巻」を書き下ろし、1994年2月、新潮社より単行本刊行。1996年12月、新潮文庫化。2007年3月、光文社文庫化。

 

 解説を読むと、もともとは前半の「プレス・ギャングの巻」だけで完結させる予定だったらしい。ところが編集者が作者の了解を得ず、副題の「プレス・ギャングの巻」を付けたとのことである。そんな勝手が許されるのか、ということはともかく、これに関してはよくやったといいたい。おかげでさらに面白い物語を読むことができたのだから。作者は出版された9日後に亡くなっている。船のモデルは、沼津に係留されている船上ホテル兼レストラン、スカンジナビア号とのこと。主役の船長・安楽も、実在の人物がモデルである。
 はっきり言ってしまえば、ファンタジー冒険。こんなに都合よく物事が進むはずもないし、うまくいくはずもない。それでも読者は物語に酔いしれる。ロマンを求めたクルーたちの冒険を。もうこればかりは、素直に小説世界に没頭すればよい。そしてスカッとすればよい。現実の鬱陶しさを忘れ、楽しめればよい。大藪春彦ユートピア願望に近い気もするけれど。
 魅力的な登場人物、魅力的な舞台、そして魅力的な船と海。世界はまだまだロマンと冒険に満ち溢れ、生きることの楽しさと充実感を教えてくれる一冊である。あとはもう、余計な言葉はいらないかな。

若竹七海『静かな炎天』(文春文庫)

静かな炎天 (文春文庫)

静かな炎天 (文春文庫)

 

  ひき逃げで息子に重傷を負わせた男の素行調査。疎遠になっている従妹の消息。依頼が順調に解決する真夏の日。晶はある疑問を抱く(「静かな炎天」)。イブのイベントの目玉である初版サイン本を入手するため、翻弄される晶の過酷な一日(「聖夜プラス1」)。タフで不運な女探偵・葉村晶の魅力満載の短編集。 (粗筋紹介より引用)
 バスとダンプカーの衝突事故を目撃した晶は、事故で死んだ女性の母から娘のバッグがなくなっているという相談を受ける。晶は現場から立ち去った女の存在を思い出す……「青い影 7月」
 かつて息子をひき逃げで重傷を負わせた男の素行調査。疎遠になっている従妹の消息。晶に持ち込まれる依頼が順調に解決する真夏の日。晶はある疑問を抱く……「静かな炎天 8月」
 35年前、熱海で行方不明になった作家・設楽創。その失踪の謎を特集したいという編集者から依頼を受けた晶は失踪直前の日記に頻繁に登場する5人の名前を渡される。……「熱海ブライトン・ロック 9月」
 元同僚の村木から突然電話がかかってきた。星野という女性について調べろという。星野は殺されており、容疑者と目される男が村木の入院する病院にたてこもっていた。……「副島さんは言っている 10月」
 ハードボイルド作家・角田港大の戸籍抄本を使っていた男がアパートの火事で死んだ。いったいこの男は何者なのか?……「血の凶作 11月」
 クリスマスイブのオークション・イベントの目玉になる『深夜プラス1』初版サイン本を入手するため、翻弄される晶の過酷な一日を描く「聖夜プラス1 12月」。(以上、「BOOK」データベースより引用)
 『別冊文藝春秋』2015年に掲載された短編に書き下ろし「血の凶作」と「富山店長のミステリ紹介ふたたび」を含み、2016年8月、文春文庫オリジナルとして発売。

 

 タフだが不運続きのフリーの探偵、葉村晶シリーズ第四作。とはいえ、これには最初に出てくる『プレゼント』が入っていな勘定になっているんだな。古本屋でバイトをするようになってからは初めて読むけれど、別に前作を読んでいなくても全然問題なく作品世界に入り込める。
 ユーモアに隠されたほろ苦さ、相も変わらずの若竹節。タフさや行動力、シニカルな視点など、海外で流行った女探偵ものとの接点も多いけれど、自身の恋愛ネタが一切ないのは読んでいて逆にほっとする。
 とはいえ、なんとなく読んだら終わり、という感もあるんだよね。葉村という探偵の本領発揮は、短編よりも長編のほうが似合っている気がする。面白かったけれどね。

 

 

 電池切れの状態です。ボロボロです。体が痛いです。1日ぐらいの休みだと、ダメージは回復しないですね。しかし2日でも回復しないし、もう体力そのものがないんでしょう。同年代の他の人はまだまだ元気なので、若いうちに体を鍛えていなかったつけがまわっているということ。

中川右介『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)

手塚治虫とトキワ荘

手塚治虫とトキワ荘

 

  手塚治虫という革命家が始めた「ストーリーマンガ」は、トキワ荘グループによって拡大し、ひとつの体制として確立した――戦後マンガ史を一行で書けばこういうことになる。こういう歴史の見方を「手塚・トキワ荘史観」というが、全ての「史観」がそうであるように、絶対的に正しいわけがない。手塚・トキワ荘史観に対しても批判がある。それは手塚の神格化に対する批判でもある。そういう批判や反論があることっ分かったうえで、この本は、あえて手塚・トキワ荘神話を再構築する。(帯より引用)
 東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘。1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、藤子不二雄A藤子・F・不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫らが居住したことで、このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった。戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命、そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。膨大な資料をもとに、手塚治虫トキワ荘グループの業績を再構築し、日本マンガ史を解読する「群像評伝」。(「BOOK」データベースより)
 2019年5月、刊行。

 

 1953年1月に手塚治虫トキワ荘に入る。12月に寺田ヒロオが、1954年に手塚と入れ替わる形で藤子不二雄A藤子・F・不二雄が入る。1955年に鈴木伸一が、さらにその部屋に森安なおやが一緒に住む。1956年には石ノ森章太郎赤塚不二夫が入る。1957年には寺田ヒロオが出る。1958年に短期間で水野英子が、さらによこたとくおも入る。1961年には皆が出る。通い組には初期の永田竹丸つのだじろうなどがいる。
 もはや伝説となったトキワ荘。『COM』に掲載された漫画を集めた『トキワ荘物語』、石森章太郎『章説・トキワ荘・春』、藤子不二雄トキワ荘青春日記』、丸山昭『まんがのカンヅメ―手塚治虫トキワ荘の仲間たち』、梶井純トキワ荘の時代―寺田ヒロオまんが道』、伊吹隼人『「トキワ荘無頼派-漫画家・森安なおや伝』など、トキワ荘に関する著書は数多い。NHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』、アニメ『ぼくらマンガ家 トキワ荘物語』や映画『トキワ荘の青春』もある。藤子不二雄Aまんが道』は著者のライフワークとなり、この作品を読んで漫画家となった者も多い。
 トキワ荘ものはかなり好き。最初はやはり『まんが道』から入り、その後いろいろな本を買うようになった。本書を読んでアッと思ったのは、今までの作品は個人を中心としたものばかりだったこと。こうやってすべての事象を最初から最後まで時系列に並べて書かれたのは、初めてじゃないだろうか。そうか、こういう視点があったのかと感心してしまった。
 こうして読んでみると、上京は寺田が1953年、藤子が1954年、赤塚が1954年、石森が1955年。トキワ荘に入った年でつい考えてしまうから、赤塚や石森はかなり遅いイメージがあったのだが、実際はほとんど同時。勝手な思い込みだけど、こうやって各人のエピソードを並べて読んでみて、初めてその事実に気づいた。
 ほかにも劇画の話、ちばてつやなど他の漫画家などについても触れられている。既知の内容も多いが、数々の資料を基に、個人の記憶にたどらない歴史の記録としてまとめたことは特筆すべきだろう。惜しむべきなのは、「トキワ荘」という舞台を通して、どのような作風の漫画が描かれていったのかについても考察が欲しかったところ。特に寺田ヒロオが求めていた『漫画少年』の漫画と、その世界観から離れていく各人の漫画との乖離を突き詰めてほしかった。寺田ヒロオは、『ドラえもん』など藤子Fの児童漫画も認めていなかったのだろうか。
 トキワ荘を舞台にした一代歴史書として記憶に残る一冊であった。

澤村伊智『ぼぎわんが、来る』(角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

 

  “あれ”が来たら、絶対に答えたり、入れたりしてはいかん――。幸せな新婚生活を送る田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。それ以降、秀樹の周囲で起こる部下の原因不明の怪我や不気味な電話などの怪異。一連の事象は亡き祖父が恐れた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか。愛する家族を守るため、秀樹は比嘉真琴という女性霊能者を頼るが……!? 全選考委員が大絶賛! 第22回日本ホラー小説大賞<大賞>受賞作。 (粗筋紹介より引用)
 2015年、第22回日本ホラー小説大賞受賞作。応募時名義澤村電磁、応募時タイトル「ぼぎわん」。タイトルを変え、2015年10月、KADOKAWAより単行本刊行。2018年2月、文庫化。

 出版当時、ホラー界に大物新人現れる、みたいな感じで大きく取り上げられたのを覚えている。それが気になって、いつか読もうと思っていたが、ようやく手に取ることができた。読んでみると、確かに大物感はあるなと感じた。ただ、あまり好きになれない作品でもあった。
 ぼぎわんという化け物自体は、日本の妖怪ものを調べれば似たようなものは出てくるだろう。そもそも宣教師によってブギーマンと名付けられたものが日本語よみのぼぎわんになった、というのが設定だ。最初は単に妖怪小説の現代版焼き直しなのかな、と思ってい読んでいたら、いつの間にか現代の社会問題であるDVやイクメンなどが絡んできて、あらあらとなってしまう。第1章が田原秀樹の視点、第2章が妻の香奈の視点、そして第3章がオカルトライターである野崎崑の視点となっている。正直言って、ここまで登場人物を悪く描かなくてもいいじゃないか、と読みながら思ってしまった。そのせいか、感情移入できる人物が誰もいない。それが本当に苦痛だった。
 事件を解決する霊能力者の比嘉琴子・真琴姉妹も、なんか性格的にダメ。悪く描かれているわけではないのだが、生理的に受け付けない。結局、嫌な気分のままで読み終わってしまった。これじゃ、素直に楽しめないよね。そりゃ人間って、何らかの闇は抱えているだろうけれど、それをここまで醜く描かなくてもいいじゃないか。
 比嘉姉妹ってシリーズになっているようだが、これでは次を読む気が起きない。読者を選ぶ作品だったな、これは。