「街をひとつ腐らせてほしい」諜報員としての任務の過程で何者かの策略により投獄され失職したダイに持ち込まれたのは、不正と暴力で腐敗した街の再生計画。1937年の上海爆撃で父親を失うも、娼館のロシア人女性に拾われ生きのびてきた。度重なる不運から心に虚無を抱えるダイは、この無謀な計略に身を投じる――。二度のMWA賞に輝く犯罪小説の巨匠が描く、暴力と騙りの重厚なる狂騒曲。(上巻粗筋紹介より引用)
元悪徳警官、元娼婦に、元秘密諜報員。街を丸ごと腐らせる計画を託されたダイたちは、賭博や買春を黙認し賄賂を受け取る警察や風紀犯罪取締班の不正を訴え、スワンカートンの要人たちを次々に排斥していく。弱体化した街には各地のマフィアが群がり、かくして悪党どもの凄惨な共食いがはじまる――。予測不能な展開に一癖も二癖もある輩たち。濃密なる‶悪の神話〟も、ついにクライマックス!(下巻粗筋紹介より引用)
1970年、発表。2023年5月、邦訳刊行。
新潮文庫の「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」シリーズの1冊。原題の"The Fools in Town Are on Our Side"(町の愚か者たちは我らが味方)は、『ハックルベリー・フィンの冒険』の一節から採られている。ロス・トーマスはほとんど読んでいないけれど、邦訳は全部出ていると思っていた。作者の第六長編で、初期の作者の集大成という広辻万紀評がある。
米国秘密情報部「セクション2」の秘密諜報員であるルシファー・C・ダイは香港での作戦で予期せぬトラブルに巻き込まれ、とある小さな島国の監獄で三か月過ごす羽目になる。国際問題に発展し、出獄したダイは二万ドルの小切手を渡されて解雇された。とりあえずホテルに泊まったダイを訪ねてきたのは、ヴィクター・オーガットとという若手実業家。メキシコ湾に面した腐敗だらけの小都市スワンカートンを再生させるために、街を腐らせてほしいという依頼であった。
久しぶりにロス・トーマスを読んだが、やっぱりすごいわと唸ってしまった。ストーリーは『血の収穫』を思い起こさせるような、街中の悪党の対立に主人公が関わるプロットだが、さらに主人公であるダイのクロニクルを組み合わせたところが素晴らしい。このダイの過去がかなり悲惨で、よくぞここまで生きてきたなと思わせる壮絶なもの。そんな過去の記憶と感情がストーリーに投影され、より深い作品に仕上がっている。それでいて、主人公にも作者にも余裕があるところがさすが。ユーモアに富みながらもシニカルな会話と視線。個性的な数々の登場人物。そして予想外のストーリーと、静かな余韻が漂う結末。ロス・トーマスの名人芸である。
ハードボイルドで、アクション小説で、スパイ小説。こんな傑作が未訳だったなんて信じられない。新潮文庫、ありがとうといいたい。