平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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河村啓三『こんな僕でも生きてていいの』(インパクト出版会)

こんな僕でも生きてていいの

こんな僕でも生きてていいの

コスモ・リサーチ殺人事件を起こし、大阪地裁で死刑判決、現在大阪拘置所在監の確定死刑囚・河村啓三(現姓岡本)の、事件を起こし逮捕されるまでの半生記。「死刑廃止のための大道寺幸子基金」の第1回死刑囚の表現展優秀作品。(著書紹介より引用)

死刑廃止のための大道寺幸子基金」とは、生前に多くの死刑囚や獄中者に面会し、励まし、「生きて償う」ことを共に模索し、死刑囚の母として、社会、国際機関、メディアに対して、日本の死刑制度の実態、死刑囚処遇、死刑囚の人権について語り続けてきた大道寺幸子さんが2004年5月12日亡くなり、死刑廃止、死刑囚の人権保障という意思を生かすために、遺された1000万円を基に創設された基金。毎年6人に、再審請求のための補助金として10万円を渡すとともに、毎年死刑囚の表現展としてあらゆる分野のオリジナルな表現作品を募集し、優秀作品を選定している。本作品は第1回の優秀作品受賞作である。

本書の内容は、作者が生まれてから事件を犯して逮捕されるまでを書いたもの。河村以外の人物はすべて仮名となっている。タイトルは『こんな僕でも生きてていいの』とあるが、なぜ生きたいかなどは書かれていない。なお河村は毎日冥福を祈り続け、月に一度は教誨師に来てもらっているとのこと。そして今活かされているのも穂と絵の思し召しだと考え、明日、突然仏の命で召されることがあってもいいように、自分ができること、被害者の冥福をただひたすら祈り続け、その家族へ仏の加護があるように祈りたい、と書いている。また、Kさんの父親からはお詫びの手紙の返信をいただいたとも書かれている。その割には再審請求を提出し、命の引き延ばしを図っており、どこまで本心なのかはわからない。一応表紙には、本人が書いたと思われる般若信教が書かれている。

書いている通り、河村の転落の仕方は出来すぎたストーリーなのだが、これを読むと最後こそ自分が甘い、などと反省しているものの、やはり生育環境のせいにしている部分があるのは否めない。そして何より、見通しの甘さと楽観主義には恐れ入るぐらい呆れる。特に、事件で得た金のうちの1000万円を月三分の利息で組の相談役に貸しており、これで逃走中の生活費に困らないと考えているのだから呆れた。言い方は悪いが、ちんけな悪党が大それたことをした、そんなイメージの内容になっている。しかし、彼が犯したのは2人を殺害し1億円を奪った強盗殺人、死体遺棄事件である。個人的には、何かを隠した書き方になっている、自分の責任をできるだけ小さくしようとしている、というふうに読める。それはことあるごとに共犯者である末森博也に責任を押し付けようとしていることからも明らか。特に完全犯罪と思い込んでいた事件が表に出たのも、末森や共犯のIが悪いという書き方になっている。裁判でもどちらが主犯か争っていたという。裁判では河村が計画を言いだした主犯格となっているらしい(細かい部分は判決文を読まないとわからない)。本書ではそのことが書かれていない。あくまで末森に誘われたことになっている。河村には河村の言い分が、末森には末森の言い分があるのだろう。それにしても、被害者である社員のWさんのことについて「一番能天気だったのは、被害者の田辺(仮名)さんのようであった」など書いているようでは、被害者の心情など全くわかろうとしていないのであろう。所詮加害者は、被害者がどれだけ恐怖に怯えているのか想像もつかないに違いない。

はっきり言いますが、つまらない本です。コスモ・リサーチ事件を知りたいというのなら読んでみてもいいかもしれませんが、普通の人なら読後に不快になります。そしてこういう人物が、死刑が確定しても10年以上生き延びていることを不思議に思うでしょう。