- 作者: 新堂冬樹
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
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『ポンツーン』連載に加筆修正、2004年3月に幻冬舎から単行本刊行。2007年3月、文庫化。
「銀行籠城」といえば、すぐに思いつくのは「三菱銀行猟銃立てこもり事件」。犯人の梅川昭美は、今も犯罪史に名を残す存在だ。この小説でも、梅川の名前が出てくる。いや、梅川の事件を元に計画を立てている。
梅川は銀行強盗をしたはいいが、警察が駆けつけてきたので結果的に籠城する形となっている。はっきり言えば行き当たりばったりだ。本作の主人公であり、犯人でもある五十嵐は、綿密な計画を立てる。それは初めから籠城することが目的であった。金を要求するわけでもなく、政治的目的もない。しかし愉快犯でもない。自ら名前を明かし、顔をテレビにさらけ出す。プロである警察側も、今までの立てこもり犯とは異なる姿に翻弄されるばかり。
五十嵐は銀行の中で籠城し、人質たちを一人だけ除いて裸にし、名前を胸にマジックで書かせ、見張りに立たせ、バリケードとする。行員の人間関係の裏側が浮き彫りになり、鬱屈した気持ちが表に出る。自らの生のため、愛する者のため、様々な人間模様が浮かび上がる。そんな局限化でのドラマを冷酷に楽しむ五十嵐。
一方警察側でも、SITやSATといった組織の対立、キャリアとノンキャリアの醜い争いなどが繰り広げられる。
死の恐怖の中で生き残るために犯人の言いなりになる者、抵抗する者、刃向かう者、殺される者。籠城下の銀行でも、一人一人のドラマが繰り広げられる。そして最後に五十嵐は、ある人物との面会を求める。それは、既に別の男性と結婚していた自分の母親であった。
犯人側と警察側の視点が速いテンポで切り替わるのだが、それが逆に、人間ドラマを薄っぺらいものにしている。本来ならそれぞれの心情を深く書くべきではなかったか。五十嵐の行動を別にすると、そこで描かれるドラマはあまりにも定型的である(書かれている内容はえげつないが)。特に警察側の主導権争いなんて、必要なかっただろう。
更に最後が問題。五十嵐の動機があまりにも馬鹿馬鹿しすぎる。これだけのために、こんなことをしでかしたのか。残された者の苦しみ、苦悩という者は、五十嵐自らが一番知っているのではないか。壊れている人間が、いきなり子供に戻る瞬間。そこにあるのは、ただのエゴイズムでしかない。それも安っぽい。
梅川事件を下敷きに、最初から逃げることを考えない籠城犯という設定は悪くなかった。だったらもう少し、その点に絞ったドラマを描いてほしかったと思う。いずれにせよ、この作品の終わりのがっかり感は大きい。籠城の緊迫したドラマを読みたいのであれば、梅川事件のノンフィクションを読んだ方がいい。