- 作者: 坂本敏夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 新書
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2010年、刊行。
著書から読み取れる著者のメッセージはこんなところだろうか。
- 死刑執行は、犯罪抑止のメッセージに見えるが、凶悪犯罪への抑止力があるかと問われれば、死刑囚が激増している現状からは否定的にならざるを得ない。
- 効果的な矯正教育をせず、入れておくだけの刑務所と、犯罪歴のない善良な市民だがずぶの素人である保護司に頼る保護観察という犯罪者の処遇システムでは、再犯を繰り返したからといって社会内処遇の保護観察だけを批難することは誤り。
- 死刑の代替刑として導入するのでなければ、終身刑を導入すべきではない。いま以上に冤罪による悲劇が起こる可能性がある。いまの刑務所では終身刑受刑者の処遇はできない。
- 裁判所は自信を持って有罪にしたのだから、再審請求を堂々と受ければいい。検察庁も受けて立つべき。少なくとも、何回も再審請求をしている死刑囚の再審は全部認めてやってほしい。
- 裁判官は調書に書かれた自白と自白を補強する証拠、たとえそれが科学的には証明されなくても、それを何よりも信用するようだ。
- 冤罪をつくる最大の牽引力はマスコミにあるようだ。
- 取り調べの可視化を認めるのなら、司法取引、おとり捜査も認めるべき。
- どんな極悪人でも、人は必ず変わる。変われば世のため人のために役立つ人間になる可能性は普通人の何倍もある。
- 死刑制度はあっていいと思うが、見せしめ的・厄介払い的な執行には反対だ。
ただ、無期懲役囚の処遇を話している途中でいきなり足利事件の元被告の無期懲役時代の話が出てくるという脈絡の無さがあちらこちらでみられ、話がすぐに脱線してしまう。経験談を語ってくれるのはよいのだが、著者の主張との関わりが薄い過去まで張氏に乗って書いているため、作者の主張が見えにくくなり、説得力が欠ける結果になっているのは残念だ。「死刑と無期懲役」という主題であるのならば、冤罪の話はほぼ不要だろう。死刑廃止を訴えるというのならまだしも。よりによって免田事件や帝銀事件、袴田事件など、今まで至るところで語られていた事件を引っ張り出す必要などなかっただろう。
作者の主張で首をかしげるところもある。特に一番疑問なのは、「死刑執行は、犯罪抑止のメッセージに見えるが、凶悪犯罪への抑止力があるかと問われれば、死刑囚が激増している現状からは否定的にならざるを得ない」という部分だろう。過去の死刑囚、無期懲役囚が手に掛けた人数や量刑事情を考慮せずに、死刑囚の人数だけで語ってしまうのは誤りである。しかも本来なら、殺人事件の件数を第一に挙げるべきだろう。このような基本的なデータを無視した主張をされると、著者の能力を疑いたくなってくる。
また、「何回も再審請求をしている死刑囚の再審は全部認めてやってほしい」とは恐ろしい主張である。ただ執行を逃れるために再審を続けているような死刑囚まで再審を認めろとでもいうつもりだろうか。一度再審を認めたら二度とできないという風にするのならまだしも。もっともこれを認めると、再審の段階で引き延ばし作戦を続けるだろうから、認めるべきじゃないだろうが。そもそも簡単に認めたら、三審制の意味がなくなるじゃないか。もちろん、袴田事件のようなケースは再審を認めるべきと思っているが。
それと元刑務官という過去のせいかもしれないが、犯罪者側からの視点でしか物を語っていない。量刑を語るというのなら、被害者側からの視点も考慮に入れる必要があると考える。
言い方は悪いけれど、酔っ払った元刑務官が、過去を暴露しつつ根拠のない主張を壊れたレコードのように繰り返しているとしか思えなかった。経験談を語るのもよいけれど、実際に写真を見せるのとは違い、名前も出さず(出したらプライバシーの軒で問題だろうが)にぺらぺら薄く語られても、うそか本当かどうかもわからないし、心に響かないというのが正直なところ。この著者に必要なのは、内容の吟味と整理だろう。