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D・K・ウィップル/ファーガス・ヒューム 訳横溝正史『横溝正史翻訳コレクション 鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』(扶桑社文庫 昭和ミステリ秘宝)

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

横溝正史は、一流の翻訳者でもあった。雑誌「新青年」編集長時代から積極的に海外作品を自ら翻訳し、紹介しつづけた正史。本書では、これまであまり触れられることのなかった翻訳者・横溝の業績に光を当てる。「八つ墓村」ほか、一連の創作の発想源ともなったウィップルの「鍾乳洞殺人事件」、19世紀末の一大ベストセラーとして名高いヒュームの「二輪馬車の秘密」の二長編を収録。後者では、単行本版と結末の異なる雑誌掲載版も併録した。時を経てなお古びない正史の闊達な訳文の妙を、ぜひご堪能あれ。(粗筋紹介より引用)。

アメリカ南部セナンドアの渓谷で新たに発見された洞窟を検分するため、地質学者のアシ博士と秘書のヘゼル・カーチスはカーター洞窟の所有者を訪れた。そこには見学者も何名か来ていた。ところが、所有者であるアンドリュウ・カーターが洞窟内で殺害された。ただの旅行者と思われた人たちは、いずれも何らかの関係があった。さらに起こる連続殺人。事件の要因となった洞窟の謎とは。アシ博士がすべての謎を解き明かす「鍾乳洞殺人事件」。

メルボルン市内にある警察署に横付けされた二輪馬車には、一人の男の死体が乗っていた。外套を着た紳士が酔いどれていた男を介抱し、その後馬車に一緒に乗るが、紳士は男を馬車に置き去りにして去っていった。男はクロロフォルムによる中毒死だった。警察署の鬼刑事であるゴービイ探偵の捜査により、男はイギリスから来た青年紳士、オリヴァー・ホワイトであることが判明。ホワイトは百万長者であるマーク・フレトルビイの娘であるマッヂに横恋慕し、マッヂの婚約者であるブライアン・ゲラルドの怒りを買っていた。ゴービイ探偵はゲラルドの部屋から証拠を見つけ、殺人犯として逮捕する。ゲラルドは何かを知っていたが、それを喋ろうとはしなかった。弁護士であるダンカン・カルトンはゲラルドの無実を晴らそうと、ゴービイ探偵のライバルであるキルシップ探偵の力を借りて、無実を証明しようとする。「二輪馬車の秘密」。



久々に出版された「昭和ミステリ秘宝」は、横溝正史が翻訳した二長編を収録。翻訳者としても名高かった横溝正史の業績に光を当て、巻末には翻訳リストを載せるなど力の入った一冊ではある。ただ、研究家ではない自分にとっては、翻訳家としての横溝正史にはあまり興味がない。業績そのものをまとめるという仕事は大変であるし、すばらしいことではあると思うが、自分には縁のない話である。

本作がすばらしいのは、幻の長編と化していた『鍾乳洞殺人事件』『二輪馬車の秘密』が出版されたことである。特にミステリ史に名前が載るばかりで、全然読むことのできなかった『二輪馬車の秘密』を読むことができたのは、凄く嬉しい。もちろん、内容にはそれほど期待していなかったが。

『鍾乳洞殺人事件』は、洞窟内で起きた連続殺人事件を解き明かすサスペンスで、1934年の作品。動機のある人物が大勢揃っている中で起きる連続殺人を、探偵役であるアシ博士が推理で犯人を捕まえるが、本格ミステリとして読むと失望する、というか大した期待を持っちゃいけない。まあ、意外な結末を用意しているだけでもましと思った方がいいだろう。賞賛されるべきは、その怪奇趣味溢れる舞台設定。確かにこれは横溝正史が好きそう。魅力的な鍾乳洞、さらにそれに曰くありげな登場人物の数々である。後年、『八つ墓村』で主人公が語る「鍾乳洞を舞台とした探偵小説」とはこの作品の事らしい。訳文自体も読みやすいし、気軽に読めるサスペンスとしては合格点の作品だと思う。

『二輪馬車の秘密』は1886年に発表されたヒュームの最初の作品。弁護士秘書だったヒュームはメルボルンでこの本を出版し、後に英国で五十万部以上の大ベストセラーとなった。後にイギリスで専業作家となり、130冊以上の著書を残した人気作家となったが、「その大半が独創性に乏しい通俗作品で現在ではほとんど読まれていない」(『世界の推理小説総解説』より)。

大ベストセラーとなった本作も、無実を証明する青年を助けようと弁護士が捜査をつづける過程で、名家が隠していた醜聞が徐々に明らかになるという、メロドラマ的なミステリ。謎解きやサスペンスなどの要素はほとんどなく、今読んだら退屈なだけであった。ヘイクラフトが『娯楽としての殺人』で「今日ではほとんど読むに耐えない」といっているのもわかる気がする。解説の杉江松恋はフォローしているけれど、個人的には歴史上に残っている一冊、以上の評価は与えられない。まあ、横溝版は完訳ではないので、新潮文庫からでた完訳版を一度読んでみたいものだ。

個人的には横溝訳ということに関係なく、幻の長編二作品を読めたことに満足した。作品としては、書かれた時代が50年近く違うということも当然あるだろうが、『鍾乳洞殺人事件』は今読んでもそれなりに楽しめる。