- 作者: 鮎川哲也
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2003/07
- メディア: 文庫
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苦節八年、遅咲きの文学青年が得たF賞受賞作に盗作疑惑が生じた。「ブロンズの使者」。
人妻の依頼を受け、尾行していた男性は奇妙な行動をとったあげく、投身自殺に巻き込まれる。「夜の冒険」。
道楽息子の家のパーティーで宝石盗難事件が起きた。しかも後日、その道楽息子が殺害された。「百足」。
貝マニアの翻訳家が殺害された。同じ貝マニアの作家が容疑者として浮かび上がるが、肥った弁護士は作家の元妻の犯行ではないかという。「相似の部屋」。
女流推理作家が死んでいた。降り積もった雪に残されていたのは、作家と発見者である編集者の足跡だけ。警察は自殺と判断したが、弁護士は自殺でない証拠を見つけてくれという。「マーキュリーの靴」。
タワー東京のてっぺんに昇った元人気歌手が上着だけを残して消えた。「塔の女」。
肥った弁護士の依頼を受けた「わたし」が、三番館のバーテンに事件の謎を解いてもらう三番館シリーズ第三集。
こういうことを書くと非難を浴びそうな気がするが、私は鮎川哲也という作家が一部ファンがいうほど凄い作家とは思っていない。同時期に活躍した本格推理作家である高木彬光、土屋隆夫あたりと比べたら、ずっと下の方に位置すると思っている。本格ミステリ一本を書き続けてきたことには感嘆するが、逆に他の形式の作品を書けなかったのではないかとも思っている。
本作品集を読んで特に思うのだが、この人が書いているのは推理クイズの小説版でしかないんじゃないだろうか。「探偵小説とは割り算の文学である。事件÷推理=解決」といったのは土屋隆夫であるが、この言葉から文学の部分を差し引いたのが鮎川哲也という気がしてならない。鮎川哲也は、推理とは関係ない無駄な部分を極力排除しようとしている。本格ミステリという形式を考えたら、それはそれで正しいことだと思うのだが、推理以外の部分を楽しみたいと思うのは私だけだろうか。事件の裏には、関わった人それぞれのドラマがある。それを楽しみたいと思うのは私だけなのかもしれない。
本作品集でも、たとえば「マーキュリーの靴」は、消失トリックを扱った作品としてかなり優れたものだろう。ただこの作品はそれだけではなく、事件の結末まできちんと書いているからいいのだ。「ブロンズの使者」はシンプルに書きすぎて失敗した例。謎そのものが見え見えなせいもあるが、結末の呆気なさは本格ミステリに拘った失敗である。本来なら被害者の心情などをもっと膨らませるべきだっただろう。
鮎川哲也の長所と欠点が混在する作品集、それが三番館シリーズなのだと思う。
(と書いたが、鮎川の他の作品集がどうだったか思い出せない。なんといい加減なことか)