平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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柄刀一『時を巡る肖像 絵画修復士御倉瞬介の推理』(実業之日本社)

時を巡る肖像

時を巡る肖像

フリーの絵画修復士である御倉瞬介が、修復する絵画にまつわる事件の謎を解き明かす短編集。

自ら刃物で突いて片目を喪失した“天眼”を持つ天才画家、冷泉朋明が持つ絵画を修復するため、御倉は冷泉邸に泊まり込んでいた。最後であるピカソの絵を修復し終わる直前の夜中、来客である大学教授が殺された。「ピカソの空白」。

母方の叔父である建築デザイナー志野正春の亡くなった兄が模写した安井曾太郎の『金蓉』。安井はこの絵を描くために、モデルの元へ何ヶ月も通ったという。正春の妻、香蓉子の肖像画を描いてもらうために、御倉は同じ手法を取る古関誠を紹介した。志野家にある幾つかの模写画を修復するために通っていた御倉は、事件に遭遇する。「「金蓉」の前の二人」。

オランダの天才画家、フェメールの「デルフトの眺望」の模写画を修復する御倉。この絵の持ち主である抽象画家、中津川顕也は三週間前に殺害されていた。その事件の遠因は、七年前に離婚した妻、琴美が住み始めた柳川で三ヶ月後に行方不明になり、さらに三ヶ月前、近くの雑木林で白骨死体となって発見されたことにあった。琴美は資産家の娘であったことから、琴美の父は資産を琴美の娘である雅子を跡取りに指名した。しかし、一族のものは、雅子がしていた琴美の指輪を元に、琴美殺害犯が雅子であると騒ぎ出したのだ。御倉は事件の謎を解き明かす。「遺影、「デルフトの眺望」」。

絵画修復の講師を務める文化教室の教え子、上岡すずかの紹介で、御倉はともに西洋画家である藤崎高玄とその娘藤崎冬泉(本名ナツ)の家を尋ねた。すずかはナツの孫に当たる。ところがその日、高玄は毒を飲んで死んだ。いつも飲む薬に混じっていた毒は強烈な味のする農薬だったことから警察は自殺と思ったが、高玄が膠原病にかかり味覚障害であったことが判明し、毒殺事件として捜査されることとなった。そして疑いは、薬を持っていたナツにかかる。「モネの赤い睡蓮」。

依頼された肖像画の持ち主は、国際的に著名な建築家であり、最近は地政学、地脈、風水などを導入した建築コンサルタントとして超一流有名人の仲間入りをしている戸梶祐太朗であり、画の人物は“酔いの先見”と呼ばれていた名士であった祖父戸梶樹康であった。御倉は、交通事故に遭遇する。運転手は、飛び出してきたのではなく、いきなり目の前に現れたため、避けることができなかったと主張した。その死者は、戸梶の右腕的存在である野木山幸作だった。御倉は戸梶を疑うが、彼には完璧なアリバイがあった。「デューラーの瞳」。

御倉が修復した三枚の肖像画にまつわる話。「時を巡る肖像」。

「J-novel」に掲載された5編に書き下ろし1編を加えた短編集。



柄刀一には本格ミステリを重視するあまり、読者を置き去りにする傾向があるというイメージしか持っていなかったが、本作は全然違った。絵画に秘められた謎を解き明かす御倉を主人公とした短編で、謎を解き明かす部分はきちんとした本格ミステリだが、どちらかといえば謎にまつわる登場人物の心理描写を重点に置いた作品集のように思えた。まあ、謎そのものを解き明かす過程が、登場人物の心理を解き明かすところから始まっているのだから、当然といえば当然なのだろうが。

作品そのものは地味かもしれないが、絵画修復士という主人公の特性を生かし、絵画にまつわる背景をうまく取り込んでいるから、読み応えがある。短い枚数でこれだけきっちりと登場人物を描写し、心理的な謎を書き込んだ作品を久しぶりに読んだ気がする。途中で織り込まれる御倉と息子の圭介、そして家政夫である加護とのやり取りは物語に清涼な風を吹き込んでおり、読んでいて心地よい。派手な謎が取り扱われているのは、被害者がいきなり自動車の前に現れたという「デューラーの瞳」ぐらいで、あとは謎そのものが地味ではあるが、本格ミステリファンに薦められる作品集であるといえるだろう。

この作者、こんな面白いものも書けるんだな。作者名だけで敬遠してはいけない、きちんと人の評判を確認するべき、ということを改めて教えられました。今更だけど、昨年のベストに入れたいな。