平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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柚月裕子『最後の証人』(宝島社文庫)

最後の証人 (宝島社文庫)

最後の証人 (宝島社文庫)

元検察官の佐方貞人は刑事事件専門の敏腕弁護士。犯罪の背後にある動機を重視し、罪をまっとうに裁かせることが、彼の弁護スタンスだ。そんな彼の許に舞い込んだのは、状況証拠、物的証拠とも被告人有罪を示す殺人事件の弁護だった。果たして佐方は、無実を主張する依頼人を救えるのか。感動を呼ぶ圧倒的人間ドラマとトリッキーなミステリー的興趣が、見事に融合した傑作法廷サスペンス。(粗筋紹介より引用)

2010年5月、宝島社より書き下ろし刊行。2011年6月、文庫化。



『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した作者の受賞後第一作となる長編で、主人公となる佐方貞人弁護士は後にシリーズ化される。

二つの物語が交互に語られる。一つは佐方弁護士が弁護人を務める裁判員裁判、もう一つは地元建設会社社長・島津が酔っ払って運転する車に小学5年の息子が轢かれた高瀬夫妻の物語である。

裁判はホテル内で起きた刺殺事件で、被告が無罪を主張するものの、状況証拠も物的証拠もそろって検察側有利の状況で、切れ者ヤメ検である佐方がどのような弁護をするかが焦点となる。高瀬夫妻の方は、一人息子がひき殺され、しかも息子の信号無視が原因とされたことに落ち込んだ七年後、癌にかかった妻の美津子が復習を計画する話である。子供を失った悲しみ、夫婦のつながり、家族愛といった要素がちりばめられ、さらに敏腕弁護士がどのようにして被告を無罪に導くか、タイトルにある最後の証人とは誰か、どのような証言をするのか、といった話題満載の長編……と言いたいけれど、内容は三文ドラマレベルだった。特に、裁判そのものが作者に都合よくねじ曲げられている点は大いに問題である。小説だから現実とはある程度異なる部分が出てくるかもしれないが、社会や法律といった抜本的な部分を変えてはいけないし、変えるならその旨を事前に説明しなければいけない。裁判の初歩ぐらい勉強してきてから、小説を書いてほしいものだ。佐野洋がいたら、怒りまくっていただろう。



申し訳ないが、ここからはネタバレ有りで話をする。

裁判中、被告の名前が出てこない時点で、ああ、被告は建設会社社長の島津だな、死んだのは高瀬の妻だな、と簡単に想像が着いてしまう。それぐらいならいいが、佐方は事件の真の「動機」を暴くことで、島津を無罪に導こうとする。いくら何でも被告を守る弁護士が被告の隠された罪を暴き立てるのは、弁護士倫理として問題である。これ一つで懲戒処分を受けたとしても、文句は言えない。

その点は「正義の弁護士」という言い方でごまかしがきくかもしれない。ただ、問題点は他にもある。ありすぎるぐらいある。

雨が降るのがわかっているのに、子供を自転車で送り出す母親というのがまず信じられない。仕事で忙しいわけでもないのに。いくら男の子でも、夜の10時なら車で迎えに行くのが普通じゃないだろうか。

本来酔っ払い運転であったはずの島津を警察が捕まえなかったのは、島津が公安委員長だから、という理由だが、公安委員長なんて警察外部の人間だから、かばうということがまずあり得ない。かばった人間、よっぽど金でももらっていたのか、と言いたくなるぐらい。

解剖しているのだから、被害者=妻が癌にかかっていることなど、すぐにわかるだろう。そんな人物が不倫をするかなんて、警察だってそこまで間抜けじゃない。

鑑定内容から、刺されたかどうかぐらい、わかるはず。素人の弁護士ですらわかるものを、プロの警察や鑑定医が分からなかったなんて有り得ない。

しかも、警察がたかが7年前の過去を調べられなかったなんて考えられない。別の県ならまだしも、同じ市内の話なのに。

佐方は「最後の証人」にこだわったが、旦那である高瀬をなぜ証人に呼ばないか、理解に苦しむ。高瀬に過去の事実を突きつければ、いくらでも弁護は可能だろう。

検察側の論告の後、最終弁論の途中で証人を呼び出すなんてまず不可能だし、できたとしてもその裏を取るために検察側の反対尋問だって必要。それが事実だったとしたら、検察側の論告はやり直しだ。そんな当たり前の手続すら取られていない。法律違反そのもの。

そもそも、裁判官権限で被告でもない人を証人として引っ張りだすことは可能なのか。相当の越権行為なのだが。

検察側も弁護側も、推論ばかりで腹が立つ。最後の佐方の弁論なんて、手続の取っていない証人の、裏を取っていない証言を元に述べたものでしかない。それを元に裁判官が判決を下すというのも問題だし、しかも裁判官が別の事件について証拠もないまま一証言だけを元に被告を断じるなんて論外。今まで検察側が示していた証拠って何だったの? それだったら、最後の証人なんか出さなくても、無罪が出たでしょう。弁護側も、旧悪を暴かなくても十分弁護できただろうに。

裁判員裁判で、しかも有罪無罪を争っている裁判で、最終弁論のわずか4時間後に判決を出すわけがない。議論紛糾するのが当たり前じゃないか。有罪の争いがない裁判でも、殺人事件の裁判だったら普通は論告・弁論と判決の期日は分けているし、審議の時間を取っている。

横山秀夫が絶賛していたらしいけれど、自分、『64』で交通事故の加害者の名前を警察が明かさなかった、と言って記者から責められている主人公の話を書いているだろう。いくら子供の不注意(という警察の見解)だからといっても死亡事故なのだから、加害者の名前が隠蔽できるわけがない。マスコミから名前を明かせと責められるのが当たり前。



なんか、他にもあったと思うが、ありすぎて思い出せない。それぐらい呆れる内容が多かった。一つや二つぐらいなら笑って許せるかもしれないが、ここまで並べられるとどうにもならない。これを出版させる方もさせる方。ドラマ化されたらしいけれど、よく突っ込まれなかったものだ。あ、テレビドラマなんてそんなものか。

こういう作品、どう評価すればいいかなあ。駄作、じゃなくて愚作かね。
いやー、久しぶりに突っ込みどころ満載な作品を読んだ。ここまで不勉強な作品も、本当に珍しい。