平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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森谷明子『千年の黙 異本源氏物語』(東京創元社)

千年の黙―異本源氏物語

千年の黙―異本源氏物語

帝ご寵愛の猫、『源氏物語』幻の巻「かかやく日の宮」――ふたつの消失事件に紫式部が挑む。平安の世に生きる女性たち、そして彼女たちを取り巻く謎とその解決を鮮やかに描き上げた、大型新人による傑作王朝推理絵巻!(粗筋紹介より引用)

2003年、第13回鮎川哲也賞受賞。同年10月、単行本化。



作品は二部構成となっており、第一部「上にさぶらう御猫」は失踪した中宮定子の猫の謎を追う話。第二部「かかやく日の宮」はそれから数年後で、式部が書いたはずの「かがやく日の宮」の巻が世に出ていなかった話。第三部「雲隠」は後日談とエピローグになっている。

源氏物語』を扱った作品で紫式部を探偵役にした有名な作品と言えば岡田鯱彦『薫大将と匂の宮』、長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』がある。前者は宇治十帖以降に起きた連続不審死事件の謎を紫式部が解く話、後者は光源氏の周辺で起きた連続殺人事件の謎を紫式部が解く話である。

本作も探偵役は紫式部なのだが、本作は「桐壺」と「帚木」の間にあると思われる「輝く日の宮」が失われた理由という、『源氏物語』そのものの謎に迫った話である。そういった点で、過去2作とは狙いが異なる。

源氏物語』には、「光源氏藤壺が最初に結ばれる」「光源氏六条御息所との馴れ初め」「朝顔の斎院の初登場」といった重要なシーンが書かれていない。そのため、「桐壺」と「帚木」の間には失われた巻があるのではないかという話は当時からあった(元々無かったという説もある)。ミステリでその謎に挑んだのは初めてであろう。その心意気は買いたい。

もっとも第一部は猫の失踪という「日常の謎」である。なお、猫が宮中に参内していたというのは実話である。式部に仕える女童・あてきの元気さと、童子・岩丸へのほのかな想いが物語に彩りを与えているのだが、謎そのものに魅力がなく、この調子で続かれたら困るなあと思っていたところに出てきたのだ、第二部だった。これは面白かった。

平安時代の入内をめぐる政治闘争、人間関係の複雑さなどが巻消失の謎と絡まり合い、見事な物語に組みあがっている。特に式部とあてきがしばらく巻消失に気付かなかった件はお見事だった。そして「なぜ巻は失われたのか」だけではなく、「式部はなぜ黙ったままなのか」という謎がいつの間にか追加される。うん、よくできている。第二部を読むことで、初めて第一部が必要だったこともわかる。最後の式部の想いや作家としての成長も合わせ、見事な仕上がりだった。藤原道長などの実在人物もよく描けていると思う。清少納言を使ったスパイスの入れ方もよかった。第三部の、これでもかというどんでん返しは少々しつこかったが。『源氏物語』に興味が無い人には、説明不足なところがあるかもしれない。

話しかたが現代風なのはまだしも、行動についても現代風なところが見られるのは少し残念だし、岡田鯱彦作ほどの気品はないが、それを新人作家に求めるのは酷だろう。今までの鮎川賞受賞作の中でもトップクラスにランキングされる作品であった。