平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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西村寿行『鬼女哀し』(徳間文庫)

鬼女哀し (徳間文庫)

鬼女哀し (徳間文庫)

高速道路を驀進する横暴トラックがたて続けに狙撃され、大惨事が続いた。犯行の目的は爆走するトラックへの膺懲か──。犯人の銃撃で重傷を負った警視庁刑事・斗樫宗弘(とがしむねひろ)は最初の事件の被害者が勤めていた山梨急送の周辺を洗うべく甲府に赴いたが……

今なお過去の革命幻想にすがり、社会との糸を1本1本断って幻の城に閉塞する醜女(おに)──女の性の深遠に鬼女の慟哭がひびく、巨匠の描く長編ハードロマン!(粗筋紹介より引用)

『アサヒ芸能』1979年8月〜1980年5月連載。1980年10月、徳間書店より単行本を刊行。1983年12月、徳間文庫化。



野口庸子のモデルは、連合赤軍事件の主犯の一人、永田洋子である。醜女という点については………ノーコメントとするが、革命でしか生きる道を見出せなかったという点はなるほどと思わせるところがある。庸子は男の誰からも相手にされない哀しさを漂わせているとこは、一応坂口弘という夫がいた永田洋子と異なる点ではある。しかし、執拗さ、底意地の悪さ、加虐趣味を全面に押し出す野口庸子という姿は、裁判の判決で「不信感、猜疑心、嫉妬心、敵愾心」「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」と断罪された永田を投影した結果だろう。逆に言うと、あまりにも愚か、幼稚である野口の姿こそが、永田の真の姿であるとまで作者は言いたかったのかもしれない。だからこそ作者は、彼女らのことを「革命ごっこ」と突き放したのだろう。逆に言うならば、永田の容姿がもう少し良かったのならば、連合赤軍事件は起きなかったのかも知れない……うん、ありそうな話だ。そのとき、学生運動や左派運動はどのような結末を迎えていただろうか。今の日本とは違った姿を迎えていただろうか。もっとも、一般大衆が参加しようとしない革命など、独善でしかないのだが。

野口庸子は醜女で知識があるというわけでなく、通常であったら誰からも見向きされない存在だった。劣等感の塊であった彼女は、自らが人を統率する革命運動にこだわっていた。この点も永田洋子に通じるところがある。ただし、野口たちが引き起こす事件は、規模の大きさの割に中身は幼稚。そんな彼女たちに呆れ果てたか、作者は途中から元軍人で三光作戦にも携わったという塚田という爆弾を投じる。社会の片隅でひっそりと暮らし、野口に目を付けられて関係を持っていた塚田は、野口たちの行き当たりばったりぶりを見て、かつての実力を発揮してアッと言う今にリーダーに収まり、囲まれていた山中からの脱出に成功する。後半からは西村寿行らしい「暴力と性」の暴走。幾ら日本政府でもここまで弱腰ではないと思いたい。

西村寿行からの、革命幻想に対するアンサーが本書だろう。戦争時における軍人の残虐ぶりと比較し、当時の「革命ごっこ」はあまりにも惨めな遊戯にしか見えなかったに違いない。