平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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清水一行『捜査一課長』(集英社文庫)

捜査一課長 (集英社文庫)

捜査一課長 (集英社文庫)

身障害者の施設「光明療園」の浄化槽内で、二人の園児の死体が発見された。事件は神奈川県警捜査一課長・桐原を中心に不眠不休の捜査が続くが、複雑な園内の人間関係、職員組合の支持政党間の抗争などが絡み難航する。割り出された容疑者の物証・動機さえも掴めず、捜査陣の焦りと不安の日は続く……。事件の推移と警察の捜査活動をドキュメントタッチで活写する問題作。(粗筋紹介より引用)

1978年2月、集英社よりハードカバーで刊行。1979年5月、祥伝社NON NOVELより新書版刊行。1983年7月、集英社文庫より刊行。



この作品は、舞台こそ横浜市となっているが、扱っている題材は兵庫県西宮市で「甲山事件」であることは、事件を知っている人なら一目瞭然である。

甲山事件の特徴といえば、21年3ヶ月に及ぶ長期裁判であることだろう。意外かも知れないが、被告となったYさんは一度も有罪判決を受けていない(差し戻し=有罪ということではない)。真相は闇の中であるが、これだけ長期間、裁判を続けるということは非常に問題があったと思われる。



清水一行『捜査一課長』は粗筋にあるとおり、証拠らしい証拠、動機らしい動機もつかめず、園内の人間関係や支持政党抗争に振り回されながらも、必死に犯人である田辺悌子に迫ろうとする警察の姿を描いている。本書では、神奈川県警捜査一課長である桐原重治の必死の捜査により、物証として被害者のセーターの繊維片が田辺のコートに着いていたことを発見し、ついに逮捕。とうとう田辺が自供し、一件落着したかに見えたが、田辺はすぐに自供を翻し、再び無罪を主張。結局検察も起訴できず、田辺は釈放される。桐原は、再捜査の意志を固めるのである。被害者の傷みに悲しみを抱き、苛立ちを覚えつつも必死に捜査を続ける警察の姿は、それなりの迫力があると言ってもよいだろう。ただし、警察の捜査を描きたいのなら、なぜ実際に起きた事件をモデルにする必要があったのかという点については疑問が残る。嫌な言い方をすれば、想像力がないから、もしくは忙しくて考える時間がないから、現実の事件を拝借した、という見方もできそうだ。

もっとも、この作品にはもう一つの側面がある。この作品が発表されたのは1978年2月。甲山事件でYさんが再逮捕される直前に出版されているのである。この作品を読んだ人ならば、ほとんどは田辺が犯人であると確信するだろう。と言うことは、モデルとなった甲山事件の犯人はYさんであると訴えているとしか思えない作品なのである。

すでにYさん自身が無罪となっていることから詳細な描写は避けるが、この本に出てくる田辺悌子は、どう見ても犯人としか思えない描写がされている。また、彼女を応援する園長や支援団体(社会党系)なども、犯人を隠そうとする悪者としか描かれていない。明確な言及こそ避けているものの、これを読んだら間違いなく彼女に非があると思ってしまうだろう。



当然ながらYさんサイドは作者や出版社に抗議している。集英社の単行本で5万部、祥伝社(発行元小学館)の新書で2万部、集英社文庫から10万部が刊行されたとのことだ。Yさんに無罪判決が言い渡された後の1986年2月25日、Yさんは著者である清水一行、出版社である集英社祥伝社小学館に損害賠償と謝罪を求めて提訴した。争点は名誉毀損と共に、本来秘密にされるべき捜査資料の引用などYさんのプライバシーの侵害であった。清水側は、小説内で田辺を犯人と断定しているわけではなく、結末においても犯人が不明のまま終了していると主張した。

1994年9月に結審し、大阪地裁は和解を勧告したが決裂。1995年12月19日、大阪地裁はモデル小説について「モデル本人の名誉を棄損する内容の時は、原則的に違法性を有する」とのはじめての判断を示した上で、この小説中の事実を「作者の資料・取材に基づく事実」(素材事実)と、「作者が想像で補った虚構の事実」(虚構事実)に分類。モデル小説を「小説の描写中で素材事実の一部や全部が、本来の事件を容易に具体的に想起できる程度に使用された場合」と定義し、そのうえで、モデル小説について(1)事実の客観的な論評や批判を意図したり、目的としたものではない(2)モデル個人の犠牲において作者らが営利を得るもの― ―などの特質を指摘。また、表現方法についても「(ノンフィクショ ンに近い)他の表現手段を取り得る以上、プライバシーや名誉権が表現の自由より優先する」と指摘し、名誉を傷つける内容の場合、原則的に違法性を有するとした。さらに、例外的に違法性がない条件として「公共の利益に関する事柄で、真実と信じる相当の理由があると立証した場合で、モデルの名誉棄損を押しても執筆、出版する必要がある時」を挙げ、同書は、「状況や登場人物など基本的に同一でモデル小説の典型」で、「刑事裁判中の原告の社会的評価を低下させ、真実性の立証もない」と断じ、清水・集英社祥伝社に総額176万円(請求額は2200万円)の賠償金支払いを命じた。単行本については、時効が成立すると判断した。

判決を不服として原告・被告側は控訴した。1997年10月9日、大阪高裁も「プライバシーや名誉との関係で、小説の表現の自由が常に優先するとは言えない」と一審判決を支持して控訴を棄却した。1999年2月4日、最高裁第一小法廷は「二審の事実認定は証拠関係に照らし、正当と認められる」と判断し、被告側の上告を棄却した。

作者の清水一行は、「言論、表現の自由についてきちんとした判決をしてほしかった。ただ、今回の裁判の是非を論ずる前に、20年を超えるような(甲山事件の)裁判を続けていることの方がはるかに大きな人権侵害。人権侵害をしているのは裁判制度そのものだ」とコメントしているが、かなりピントが外れた答えとなっている。



なお本書の執筆において清水は三人体制の取材スタッフを組織して、マスコミを中心とした周辺取材、甲山事件に関する新聞雑誌類の記事等を収集(ただしYさんや遺族等への面会はしていない)するとともに、清水自身も舞台である神戸市を2回訪れ、紹介されたマスコミ関係者から供述調書、鑑定書等の捜査資料から引用した箇所もあるメモを借りた、甲山事件の捜査主任であった兵庫県警察の警部と会ったが、捜査に関連した話を聞くことができなかったこと、取材スタッフの一人が不起訴を不当する検察審査会の議決書のコピーを入手したこと、繊維メーカーや電子顕微鏡の製作会社を訪問したことを明らかにしている。

それなりの取材はしていたようだが、肝心の本人や遺族に取材をしていない、というのはどういうことか。やはり小説だから、という甘えがあったのかも知れないし、流行作家ゆえの忙しさもあったのかも知れない。

いずれにせよ、安易にノンフィクション・ノベルを書こうとすると、対象の人物から訴えられるよ、という良い見本にはなっただろう。もっともトータル17万部売れた作品であることを考えると、総額176万円という賠償金が高いとは言えないように思える。作者や出版社からしたらわずかな傷でしかないだろう。



当然本書は絶版になっているが、私は地方の古本屋で簡単に見つけることができた(といっても2005年頃の話だが)。それなりに流通したこともあるし、入手は簡単だと思われる。