- 作者: 半村良
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2001/12
- メディア: 文庫
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飲み屋・安兵衛(名前が出ていないけれど、そうでしょう)に訪れていたのは、御家人の倅で蝦蟇油売りの榎洋一郎、小物問屋の息子の幸坊こと幸之助と百姓の倅春吉、易者の日光斎、貧乏医者の渡辺順庵。そして先ほど出て行った50過ぎの落ちぶれた男・敬助の話をおやじは始めた。「あまったれ」。
小料理屋・松留は女板前のお梅が評判だった。小間物屋の浜吉の妹・おきのは妹分として松留で働いていたが、失敗ばかりの役立たずだった。しかし、おきのに縁談が決まる。「役立たず」。
六間堀の北ノ橋のたもとに、橋を挟んで二軒の夜鷹蕎麦屋が出ている。片方は年寄りで、もう片方は若者。味や客対応がよいことから、どちらも評判となった。当然客の取り合いでにらみ合っているかと思いきや、実際は奇妙な因縁があった。「くろうと」。
悪事から足を洗った伊三郎だが、今の仕事は市ヶ谷左内坂の因業金貸し、桐山検校の用心棒である。自分の仕事に悩む伊三郎だったが、検校から金を借りた油問屋・大坪屋の内儀が幼馴染みで、亭主がぐず野郎だったことから、いつしか二人はできてしまった。「ぐず」。
井筒屋の後家・おけいは、旦那の喜平が亡くなってからは、商売敵だった福田屋に囲われていた。そんな母親の気苦労も知らず、二人の小さな男の子は乞食と仲良くなっていた。「おこもさん」。
40を過ぎても宮川屋の小番頭でしかない清吉は、嫁まで店に世話をしてもらう始末。出戻りのおこんは少しでも明るくなってもらおうと頑張るのだが、清吉は自分の殻に閉じこもったまま、会話すらない始末。「おまんま」。
銀座の町役人・岩瀬伝左衛門に仕える孤児の平吉は、ひどい蟹股から「この字」と呼ばれていた。愛嬌のある平吉は周囲から好かれ、二十歳の今では岡っ引きを任され、ちょっといい顔になっていた。本所で起こった夜鷹蕎麦屋殺しについて、事件を追うよう伝左衛門からの命を受けた平吉は、事件を掘り下げていくうちに、尊敬する伝左衛門やその息子・山東京伝に疑いの目を向けるようになる。長編『どぶどろ』。
1974〜77年、『小説新潮』に不定期連載(「いも虫」1974年4月号、「おまんま」1974年10月号、「あまったれ」『野性時代』1975年5月号、「くろうと」1975年10月号、「おこもさん」1975年11月号、「役立たず」1975年12月号、「ぐず」1976年4月号、『どぶどろ』1976年12月号〜1977年2月号)。1977年7月、新潮社から単行本刊行。1980年10月、新潮文庫化。1992年5月、廣済堂よりセミ・ハードカバーで刊行。2001年12月、復刊。
SF・伝奇作家として名高い半村良だが、本作品は時代小説。天明末から寛政を舞台としている。短編7作品はいわゆる人情もので、その日を必死に生きている人たちの苦しみと幸せを鮮やかに浮かび上がらせている。それぞれの短編で共通する登場人物も多いな、と思っていたら、最後の長編『どぶどろ』ではそれらの登場人物が全て出てくるという凝った仕掛けとなっている。
構成そのものは凄いと感嘆してしまう。地味だが心に染みるような完成度の高い短編が、いずれも最後の長編への伏線となっているのだ。読んでいる途中で、何回も前の短編を確認してしまった。ただ、最後の結末はあまりにも無常。市井の人々の小さな幸せも、あっさりと踏みつぶされてしまうのである。主人に仕えることに何の疑問を抱かなかった平吉の、見て見ぬ振りができない純粋さに涙が出てくる。タイトルの「どぶどろ」という言葉が、この作品や平吉の心情にあまりにもはまっていることが哀しい。
山東京伝が平吉に示唆した理由が語られないという不満が残る。結末にしても、大がかりな陰謀のその後が語られていないまま終わってしまう。それよりも何よりも、弱い立場の者達が強大な権力の元では簡単に散ってしまうことが空しい。
完成度の高さや味わい深さという点では素晴らしいが、後味の良さを時代小説に求める人には、読まない方がよいかも知れないという作品。なお短編では「おまんま」が秀逸。ここまで人を愛することができるのだろうか、という作品である。
解説の宮部みゆきは、この作品の思い入れから『ぼんくら』を書いたとのこと。愛情たっぷりの解説がたまらない。