平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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佐木隆三『身分帳』(講談社文庫)

身分帳 (講談社文庫)

身分帳 (講談社文庫)

人生の大半を獄中で暮らした男には、戸籍がなかった。出所して改めて日常社会と向かい合い、純粋な魂の持ち主であるこの人物はどう生きたか。彼に代わってその数奇な"身分帳"を精緻に構成して、鮮烈な文学作品に結実させた労作。また、男の死の周辺を描いた「行路病死人」も文庫オリジナルとして併録する。(粗筋紹介より引用)

初出は『群像』。1990年6月、講談社より単行本で刊行。『群像』1991年5月号に掲載された「行路病死人」を加え、1993年6月に文庫化。1990年、第2回伊藤整文学賞受賞。



山川一は1973年4月、東京葛飾区でキャバレーの店長をしていたとき、喧嘩で人を死なせて亀有警察署に逮捕された。傷害致死で起訴されたが、公判中に殺人罪に訴因変更。12月、東京地裁は求刑通り懲役10年の判決を言い渡す。控訴、上告ともに棄却され、1974年10月、刑が確定した。

1974年11月、宮城刑務所に送られる。しかし、工場で同囚と喧嘩した傷害罪で、仙台地裁で懲役3月を言い渡された。1977年9月、旭川刑務所へ不良移送される。執行刑期8年以上のL級と、受刑歴があって犯罪傾向が進んだB級を合わせたLB級に分類された受刑者が収容されていた。旭川刑務所で、同囚への暴行で懲役10月、看守と衝突した暴行・傷害・公務執行妨害で懲役1年2月を追加される。

1986年2月19日、満期となり、翌日出所した。44歳だった。彼の身分帳には、受刑回数=十犯、服役施設=六入、拘置所・刑務所=全国二十三ヶ所と書かれていた。

山川は身許引受人である弁護士のいる東京へ向かう。そして日常社会への第一歩を迎える。



本書は主人公である山川の「身分帳」を元に過去を振り返りつつ、現実社会へ復帰しようとする山川の日常が綴られている。山川は実在の人物であり、1986年5月、自らのことを小説にしてほしいと、佐木に身分帳を送付した。身分帳、正式名「収容者身分帳簿」は、成育歴から受刑状況までの全てを記録したもので、本来は門外不出とされるが、山川が刑務所内で起こした事件の証拠として提出されたため、被告人の権利として写し取ったものであった。佐木は山川と4年近く接触し、『身分帳』を執筆する。この間、山川は福岡市へ移転し、また東京へ舞い戻ってきたが、事件を起こすようなことはなかった。

端的に言えば、前科者が社会の水になじもうと苦労する話なのではあるが、「身分帳」によって過去をオーバーラップさせる手法により、山川という人物の行動をより深く浮かび上がらせる結果とはなっている。特に父親が不明で、母親が孤児院に預けたことから、15歳になるまで名前も戸籍もなかったという過去が、山川に暗い影を落としている。とはいえ、単純な苦労話でもない。なんとも言い難い作品であるし、面白いかどうかと聞かれれば、むしろ退屈な作品と言ってしまいそうになる。過去の「身分帳」に、出所後の新たな「身分帳」を重ねてできあがったのが本書という位置付けになるのだろうか。

「行路病死人」では、山川ことT氏(作中では本名)の死について触れられる。1990年11月、福岡のアパートで山川は病死した。警察からの通報でそのことを知った佐木は、福岡を訪れる。その後は、男の死の周辺を描いた、いわば後始末のような作品である。