平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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リチャード・デミング『私立探偵マニー・ムーン』(新潮文庫)

 こんな探偵に出会ったことがおありだろうか? 戦地帰りのタフガイ、私立探偵マニー・ムーン。言い寄ってくる女性に事欠かず、ときに自らの義足までも武器に大立ち回りを演じたかと思うと、関係者一同を集めて名探偵顔負けの見事な謎解きを披露する――。E・クイーンの名も継いだミステリー職人が生んだ無二のアンチヒーロー。そんなムーンの活躍を集めた“本格推理私立探偵”決定版!(粗筋紹介より引用)
 1948~1951年に執筆された中編7編を収録した、日本オリジナル中編集。2025年7月、邦訳刊行。

 カジノ経営者ルイス・バグネルと繋がりのあるローレンス・ランダル弁護士から仕事の依頼で呼び出されたムーンは、ビル14階にあるオフィスの待合室で待たされていた。しかしランダルは応接室で若い女性の先客と話している。しびれを切らしたムーンが応接室に突入すると、デスクに腰かけたままナイフで刺されたランダルの死体があった。応接室に出入りできるのは、待合室のドアと、廊下に出る裏口しかない。女性客がランデルを殺して逃走したと思われたが。「フアレスのナイフ」。
 午前四時、殺人課のウォーレン・デイ警視から呼び出されたマニー・ムーン。コインマシンを貸出する会社を経営するジョージ・カーマイケルが殺された。凶器のピストルは、共同経営者の一人であるいウィラード・ロングストリートのものだった。誰かが死んだ場合は株式を譲渡する契約があり、五万ドルの保険金の受取人がロングストリートであった。動機は十分だが、ロングストリートには犯行時刻に留置場に入っていたという鉄壁のアリバイがあった。しかもそれは昨晩、高級ホテルのバーカウンターで、ロングストリートがムーンに喧嘩を仕掛けたことがきっかけであった。留置場で会ったロングストリートは、ムーンを1万ドルで雇う。「悪魔を選んだ男」。
 ムーンはミセス・クウェンティン・ランドに雇われ、彼女の広い屋敷に住み込み、麻薬中毒患者である姪のヴィヴィアン・バナーを24時間見張る仕事を受けていた。ムーンはヴィヴィアンの後見人となり、ヨーダー医師の指導の下、売人と接触させないよう昼間はムーンの目の届く範囲でしか行動を許可せず、夜はムーンとミセス・ランドの部屋の間に挟まれた、鍵付き鉄柵窓付きの寝室に閉じ込めていた。依頼を受けてから6週間後、ヴィヴィアンは初めて外出が許可された。翌朝、ヴィヴィアンは部屋の中で殺されていた。手首の上には注射痕があったが、注射器はどこにもない。ドアの向こうでは、ランドが眠ったままだった。「ラスト・ショット」。
 ここ10年、この街のギャンブルの大半を、唯一のカジノの経営者であるルイス・バグネルが仕切っていた。しかしシカゴから割り込んできたバイロン・ウェイドが、新たなカジノをオープンする。一触即発の状態の中、同じ日の別々の時間に訪れて味方になるよう誘ってきた両者であったが、ムーンはどちらも断った。ただしウェイドは、自分の死が自然死に見えたときは調べてほしいと依頼量を渡してきた。ところがウェイドがムーンの事務所に居た時間、バグネルが殺されていた。カジノのオフィスで、銃声があった。慌てて駆け付けたボディガードの二人だったが、鍵のかかった部屋の中でバグネルが射殺されていた。そして気を失っていたのは、カジノで全額すったので、小切手を現金化しようと訪れていたミセス・ウェイドが気を失って倒れていた。犯人は隣にあるバスルームの、鉄格子のはまった窓から撃ったと思われた。どうやらミセス・ウェイドとバグネルは関係があったらしい。事件に乗りだすムーンだったが、自身も狙われる羽目に。「死人にポケットは要らない」。
 ムーンが1年前にこの街から追い出したティム・ブロックが、ピストルを構えた巨体の男と共に事務所に入ってきた。ニューオリンズでカジノをひらいて成功したブロックはこの街に乗り込んできて、手を組んで牛耳ろうと誘ってきた。ムーンは反撃し、ティムを追い払う。警察の捜査後、地方検事のサム・ダーシーから電話がかかってくる。今回の件について打ち合わせしたいので、夜の九時半に来てほしいという。到着して車から降りたとき、ムーンは拳銃で襲われる。撃ち返して静けさが戻ったところで、ウォーレン・デイ警視とハネガン警部補がムーンの前に現れた。そして、バイロン・ウェイドが撃ち殺された死体があった。「大物は若くして死す」。
 賭博シンジゲートを糾弾していた改革派の市長候補、ジェラルド・ケテラーが、実はそのシンジゲートの大ボスであったことを示す証拠文書をムーンは、元金庫破りの友人ジャッキー・モーガンの手を借りてケテラーの事務所の金庫室から入手し、依頼人である慈善事業家のレイモンド・マーグローヴに手渡した。しかし号外の記事ではムーンが新聞社に持ち込んだことになっており、しかも翌日にケテラーが自殺した。そしてムーンにも危機が迫る。「午後五時の死装束」。
 ムーンの元婚約者で、カジノのディーラーであるファウスタ・モレニとのデートの帰り道、事務所で二人で酒を飲んでいるところに、女優リディア・モンゴメリーが上演中の『おさげの女(ミス・ビッグテイルズ)』の終演後に楽屋でふたりきりで会いたいと、リディアの広報担当者であるマーティー・シェイファーが依頼してきた。ファウスタと観劇後、大勢のファンをかき分けてどうにか楽屋に入ろうとしたムーンだったが、そのとき中から銃声がとどろいた。慌てて楽屋に入ると、そこに居たのはドレスを脱ぎかけのリディアと、リディアの幼馴染で新たに契約しようと誘いをかけていた俳優エージェントのチャーリー・シェリダンが長椅子で寝そべっている射殺死体だった。リディアは誰かに脅迫されており、ボディガードとしてムーンを雇おうとしていた。リディアは階上の部屋から恐喝犯が彼女を殺そうとして、誤ってチャーリーを殺してしまったと主張した。「支払いなくば死あるのみ」。

 作者のリチャード・デミングの名前を聞くのは初めて。幸い、帯にプロフィールが書いてある。1940年代から'80年代初頭まで犯罪小説を書き続けた職人作家。《マンハント》初期や《アルフレッド・ヒッチコックズ・ミステリマガジン》に多くの作品を寄稿し、さらにはペイパーバック作家として「チャーリーズ・エンジェル」など人気TVドラマのノヴェライズを手掛けた。また、『摩天楼のクローズドサークル』をはじめ、エラリー・クイーン名義のオリジナル作品も執筆。とある。一見典型的なパルプ作家に見えるが、1976年から83年まではMWAの理事を務めているのだから、業界からは認められていたのだろう。『刑事スタスキー&ハッチ』シリーズのノベライズや『摩天楼のクローズドサークル』などが邦訳されている。デミング名義では『クランシー・ロス無頼控』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)以来62年ぶりの邦訳刊行となる。
 1948年、"Popular Detective"に発表した「フアレスのナイフ」は、デミングの公式デビュー作品、かつマニー・ムーンの初登場作品。「公式」とあるのは、デミングは1940年頃から次作をパルプ・マガジンに売り込んでいたが、原稿料が15ドル程度。原稿料200ドルで商業的にものになったのが「フアレスのナイフ」であり、それを作者は公式デビュー作品としている。
 作品の舞台は1940年代末から50年代初め、ミズーリ州セントルイスと思われるアメリカ中西部の大都市。主人公は、安アパートの自宅兼オフィスで私立探偵業を営む元プロボクサーの、マニーことマンヴィル・ムーン。第二次世界大戦で右足の膝から下を失い、コルクとアルミと皮でできた義足を装着している。探偵になりたての頃にメリケンサックで殴られたため、鼻がちょっと曲がり、片方の瞼が垂れ下がってしまったが女にはもて、ワルサーP38を携え格闘術を駆使するタフガイぶりはギャングと警察の双方から一目置かれている。シリーズに登場するのは、元婚約者でアメリカでもトップクラスのブラックジャック・ディーラーでもあるイタリア難民のラテン系美女、ファウスタ・モレニ。ムーンの実力を認めながらも、立場上時には敵対する殺人課のウォーレン・デイ警視。その部下であるハネガン警部補。かつてムーンに助けられたことを忘れず、頼まれたらムーンを手伝う元金庫破りの友人ジャッキー・モーガン。1940年代から60年代まで、長編4作(うち1作は中編の長編化)、中短編19作に登場する。
 このシリーズは、パルプマガジンに登場する典型的なタフガイの私立探偵が主人公で、ストーリーもタフガイならではのアクション満載なB級ハードボイルドでありつつ、事件は不可能犯罪で最後は関係者を集めて謎解きをするという本格ミステリでもある。
 この相反すると思われる二つの要素を融合させ、さらに面白さを倍増させる効果をもたらす作品があるとは、夢にも思わなかった。事件も密室や絶対的なアリバイ、機械トリック、意外な動機など、本格ミステリファンの心をくすぐるものばかり。推理もなるほどと思わせてくれるものばかりで感心した。
 マニー・ムーンは女にもて射撃がうまく格闘術にも優れているという典型的なタフガイ私立探偵だが、右足が義足であるというのがよいアクセントになっている。義足は時には弱点となり、時には武器となり、時にはピンチを切り抜ける切り札となる。
 さらには七編のストーリーに変化をつけているところも見事。こういう中編集は、登場人物の名前だけ変えてストーリーはほぼ同一、なんてことが時に見受けられるが、職人作家らしく味を変えているところは見事としか言いようがない。アクションだけでなく、時にはユーモアを交えて緩急をつけるところも巧い。職人作家ならではの傑作と言っていいだろう。なぜ今まで邦訳がまとめられなかったのか、不思議で仕方がない。本格ミステリを偏愛する読者が増えた今だからこそ、受け入れられる作品集なのかもしれない。まあ、ハードボイルド要素と本格ミステリ要素をそれぞれ単独で見ると、どちらもB級感が漂ってくるのは確かだが。
 どれも面白いが、どれが一番かと言われると、最も長い「死人にポケットは要らない」を選びたい。意外な犯人と凶器の隠し方がこの舞台ならではの巧みさであり、二転三転するストーリーにも意外性がある。
 「悪魔を選んだ男」が「追いつめられた男」のタイトルで『ミステリマガジン』1964年9月号に掲載された以外は、いずれも初訳。マニー・ムーンシリーズはほかに5編の邦訳があるとのこと。もっとも面白い作品を選んで纏めたのかどうかはわからないが、できることならシリーズの他の作品も読んでみたい。