疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を織るという。王道を求めず孤高の砦を築きゆく名匠には、雪中松伯の趣が似つかわしい。奇を衒わず俗に流れず、あるいは洒脱に軽みを湛え、あるいは神韻を帯びた枯淡の境に、読み手の愉悦は広がる。純真無垢なるものへの哀歌「地虫」を劈頭に、定番の傑作「赤い密室」や、余りにも有名な朗読犯人当てのテキスト「達也が嗤う」、フーダニットの逸品「誰の屍体か」など、多彩な着想と巧みな語りで魅する十一編を収録。本格ミステリ界の泰山北斗、綾川哲也の尤なる精粋―――当代切っての読み巧者が選ぶ、傑作集成第II巻。(粗筋紹介より引用)
1999年3月、刊行。
空襲で焼け残った洋館に住む若き隠匿者たる当主・
予定されていた解剖の準備のために、天野教授の法医学教室に所属する医学士の浦上と榎が解剖室に入ると、解剖台の上に女の首とバラバラに切断された手足とが、外科鋸1本やメス五本と一緒に血にまみれて転がっていた。台のかげの床には、小包のように油紙に包まれた荷物が五つ転がっていた。机の下の開きにも包みがあった。被害者は、同じ教室の香月エミ子だった。入口の扉には文字合わせ錠と閂がかかっていた。解剖室に入る鍵は浦上が持っていた。五つの窓にはすべて鉄格子がはまっていた。天井には換気窓があったが、大きさは20cm四方だった。浦上と榎はライバルだったが、浦上は西独留学が決まっていた。そして浦上は同じ教室の大学院生である伊藤ルイを捨て、学生で美人のエミ子に乗り換えていた。エミ子は妊娠していた。「赤い密室」。星影龍三の初登場作品。『13の密室』にも選ばれている、密室殺人トリックの傑作。田所警部から事件概要を聞いただけで、星影が推理して謎を解き明かす、本格推理小説のお手本というような作品である。密室殺人トリックが解き明かされたら、そのまま犯人がわかるという、精密な組み立てに酔いしれた。やっぱり密室トリックには甘いな、自分。
23歳の美貌のソプラノ、山下小夜子が早朝、自宅で殺された。夫である41歳のロシヤ音楽研究家の山下一郎は九州方面へ旅行に出かけており、その夜遊びに来て泊まっていた、小夜子の動機でアルト歌手の竹島ユリは、犯人がRNとイニシャルの入った折鞄を持っていたと証言するも、そのイニシャルを持つ人物は動機がないかアリバイがある者ばかりであった。碑文谷警察署の捜査本部では、ユリが犯人ではないかと疑うも、鬼貫警部だけは一郎が怪しいと睨んでいた。「碑文谷事件」。正直言って長いだけ。半分くらいに削れそう。アリバイトリックも今一つだが、動機については先行作品が強烈すぎるので今さらとしか思えない。
療養中の義兄に呼ばれたことと、締め切りの迫った短編執筆のため、推理小説家の浦和は芦ノ湖のそばにある緑風荘へやってきた。一癖も二癖もある人物たちが泊っている中で、連続殺人事件が発生する。「達也が嗤う」。日本探偵作家クラブの犯人当てゲームとして書かれた、鮎川の犯人当て小説の中でもとくに有名な作品。犯人当てでもこのようにトリックをふんだんに入れる鮎川の姿勢と、意外なユーモアには恐れ入る。
締め切りが迫っても何のアイディアが思い浮かばないぼくに、かつてアンデルセンに話をしたことがあるという夜空の月が、恵良三平の犯罪について話す。三平は自らの価値を高めるために三人の女と付き合っていたが、ある女性に本気で惚れてしまい、邪魔になった三人を次々と奇抜な方法で殺害していく。「絵のない絵本」。月が話しかける設定はともかく、途中の殺人方法やオチについても馬鹿馬鹿しいの一言。グロテスクで、悪趣味なファンタジーとしか言いようがない。
画商の芥川が三人に送り付けた書留小包の中には、それぞれ硫酸の空き瓶、最近発砲されたピストル、ビニールの白い紐であった。しかし芥川には何の心当たりがない。届け出を受けた警察は、何らかの殺人事件があったに違いないとみて捜査を始めるが、数日後、猿楽町の焼けビルの地下室から首無し屍体が発見された。背後から二発撃たれ、両手を薬品で灼かれていた。そして死因は絞殺だった。着ていた服には「岡部」のネームがあり、辛辣な美術評論家の岡部乙五郎ではないかと思われた。岡部は荷物を送られたうちの一人、彫刻家の宇井歌子と同棲した過去があった。「誰の屍体か」。舞台設定は巧みだし本格ミステリとしての完成度は高いが、途中の捜査過程が淡々としていてあまり面白く読めない。トリックを楽しむのならこの書き方が良いのだろうが、小説を楽しむのならもう少し物語性を足してほしい。
大学工学部教授の夫が、助手を拳銃で射殺したのち、自らも胸を刺して自殺した。美人の妻は保険金200万円を受け取るために、他殺であることを立証してほしいと探偵に依頼する。「他殺にしてくれ」。ハードボイルドのパロディみたいな作品に仕立て上げながら、本格ミステリならではのトリックが仕掛けられている作品。ユーモアというよりは悪趣味に近い仕上がりである。
陶器会社の東京支店長である泉恵三が失踪し、二週間後に熱海の海で死体となって発見された。警察は自殺として片付けたが、九州の素封家の美人令嬢との結婚が決まり、将来は洋々たるものがあった泉が自殺するはずがない。社長の命を受け、泉の大学時代の同期でもある私が調査することとなった。「金魚の寝言」。ちょっとしたアリバイトリックは面白いが、事件の展開が今読むと古臭い。まあ、当時なら当たり前にあった出来事なのだろうが。
今年の陶芸作家賞の有力候補である人気陶芸作家の加茂正子は美術雑誌記者くずれの坂本宏に、売れない頃に頼まれて作った偽作の壺の件で脅迫を受けた。約束の日の午後八時半、加茂は一緒に飲んでいた友人のろくろ師に付き添ってもらい、隅田川の白鬚橋に向かったが、加茂は現れなかった。しかし翌日、白鬚橋のたもとで坂本の他殺体が発見された。ただし、加茂たちが待っていた場所の川向うであった。「暗い河」。さすがにこれは調べればすぐにトリックがわかるんじゃないか。いや、実際にすぐわかっているし。物足りなさだけ残る。
代々木の外れにある木造アパート南風荘で、麻薬中毒の河井武子が殺害された。名のあるシナリオライター千家和男が目撃され、過去に関係があったことを認めたが、殺害時刻は妻と一緒に列車の中にいたとアリバイを主張した。それを立証するという妻が撮った写真には、青森行きの特急「はつかり」が入っていた。「下り゛はつかり゛」。鮎川がまとめた鉄道アンソロジーの表題タイトルにもなった鬼貫ものの代表的短編。ただこういう作品を読むと、アリバイ作りに利用された人が言ってしまえば、それで全てが終わっちゃうんじゃないか、という不満は残る。
小田原の静光園老人ホームで、71歳の三崎慶典と66歳の橋爪もと子が結婚式を挙げた。川崎にあるヤマト製菓の女子寮に住んでいた18歳の小室和江が夜に何者かに呼び出され、京浜国道の脇で絞殺死体となって発見された。和江はその日朝から出かけており、帰ってきたときは蒼褪めていたという。会っていた相手は三崎慶典だった。和江の亡くなった父親と友人だった三崎に父親の写真を貰いに行ったが、三崎も戦災で無くしていた。「死が二人を分つまで」。これはよくできた作品。どういう着地点になるか、全く予想もつかない。本短編集のベストに挙げたい。
北村薫が編集した鮎川哲也短編集第2弾。今まで読み終わらなかったのは、単に私が鮎川哲也をそれほど好きではないから。星影龍三ものは好きなんだけどね。まあ「絵のない絵本」とか「他殺にしてくれ」みたいな悪趣味な作品を入れられると、げんなりしてしまうよな。
「達也が嗤う」みたいな犯人当て小説だと素直に面白く読めるんだけどね。「碑文谷事件」とか「金魚の寝言」あたりになると、今とは合わない当時が反映されすぎていて、どうも好きになれない。手順も含めたトリックの妙だけを楽しめる人だったら、これでもいいのだろうけれども。だから北村薫の解説はまだしも、北村・有栖川有栖・山口雅也の鼎談で鮎川礼賛ばかりを読まされると、本当にげんなりとしてくる。
鮎川作品とは肌が合わないのはわかっていたけれど、新刊で買った本をずっと放っておくわけにもいかず、ようやく手に取りました。面白い作品もあったけれど、読み切るのは苦痛でした。
