神紅大学ミステリ愛好会会長・明智恭介。小説に登場する探偵に憧れ、事件を求めて名刺を配り歩く彼は、はたしてミステリ小説のような謎に出合えるのか――大学のサークル棟で起きた不可解な盗難騒ぎ、商店街で噂される日常の謎、夏休み直前に起きた試験問題漏洩事件など、書き下ろしを含む全五編を収録。『屍人荘の殺人』以前、助手であり唯一の会員・葉村譲とともに挑んだ知られざる事件を描く、待望の〈明智恭介〉シリーズ第一短編集!
『ミステリーズ!』『紙魚の手帖』2019~2024年掲載作品4編に、書き下ろしを加え2024年6月刊行。
ある日の夜中、神紅大学の部室棟内で気絶していた泥棒が巡回中の警備員に見つかり逮捕された。その部室棟は古い建物で、今はコスプレ研究部が丸々使っている。その泥棒は、もう一人入ってきた人物に叩き付けられたと語ったものの、常習犯のためまったく取り合ってもらえない。しかし、出張中の神経質な顧問が帰ってくる前に、その真偽を確かめてほしい。副部長の男性から明智への依頼であった。「最初でも最後でもない事件」。
立ち飲み屋の噂話で、元漆器店の男が持つ三階建ての持ちビルが二千万で買い取られたという話を聞いて、喫茶店主の加藤をはじめとした客たちは驚いた。さびれた商店街のぼろビルを、誰がそんな高額で買い取ったのか。喫茶店に来た明智と葉村は、このビル買取の話を聞き、まるで「赤毛組合」みたいだと語った。「とある日常の謎について」。
昨日、グループワークの打ち上げで泥酔して潰れた明智をタクシーで送っていった葉村。翌朝、葉村は二日酔いの明智から呼び出される。明智が朝起きたとき、アロハシャツと半ズボンは昨日のままだったが、なぜかパンツを穿いておらず、そのパンツはビリビリに引き裂かれた状態で玄関の近くに落ちていたのだ。いったい誰がそんなことをしたのか。「泥酔肌着引き裂き事件」。
数学科の教授から五度目の猫探しを依頼された明智と葉村は、見つからなかったとの報告をして帰ろうとしたとき、走ってきた女子学生から試験問題が盗まれたので、誰か来なかったかと尋ねられる。教授が席を外し、女子学生が部屋からお手洗いに出た数分間で金庫が破られ、中にあった試験問題が入ったUSBが薄まれたという。しかし教授は別の学生と話をしており、防犯カメラには誰も映っていない。いったい誰が盗んだのか。「宗教学試験問題漏洩事件」。
田沼探偵事務所にハイツ徳呂の管理人件所有者から依頼されたのは、ストーカーから住人へ届けられた不審な手紙の差出人を見つけてほしいという依頼だった。奇妙なのは一週間に3人の住人から訴えがあったこと。もしかしたら、他の住人にも送られているのかもしれない。一緒にコンビを組むはずだった所員が足首をひねってしまったため、所長はバイトに来たばかりの神紅大学一回生、明智恭介と調査に乗り出すことにした。「手紙ばら撒きハイツ事件」。
今村昌弘のデビュー作『屍人荘の殺人』に登場するも、そのまま退場してしまった神紅大学ミステリ愛好会会長・明智恭介を主人公とした短編集。まさか、作者も明智恭介の短編集を出すことになるとは思わなかっただろう。
本人が大した事件は解いていないと嘆いたとおり日常の謎が中心となっており、明智も名探偵というよりは便利屋と言った方が早い。ホームズ役・明智恭介とワトソン役・葉村譲のコンビは、どちらかと言えばボケとツッコミ、揉め事を起こす側と収める側、と書いた方が似合っており、明智が葉村に「ブレーキ役になってほしい」と頼んだ通りの役割となっている。
日常の謎や軽犯罪が中心ではあるが、魅力的な謎は提供されている。特に「とある日常の謎について」は見事。本短編集のベストである。しみじみとした終わり方を見せつつも、さらにもう一つの誰も取り上げない謎に言及しているところが面白い。とはいえ、これは創元ファンじゃないと通じないだろうな。
「宗教学試験問題漏洩事件」のように古典トリックをうまく現代に落とし込んだ佳作もあれば、「泥酔肌着引き裂き事件」のように馬鹿馬鹿しい怪作もある。特に後者は、普段の明智と葉村の関係性が垣間見えておかしい。はた迷惑な明智に振り回されつつ、ちゃんと付き合っている葉村は、立派なワトソン役である。それにしても、こんなネタで短編1本を書ける作者には恐れ入る、色々な意味で。
書下ろし「手紙ばら撒きハイツ事件」は、明智が一回生の時の事件。『屍人荘の殺人』でも言及されている探偵事務所が舞台であり、まだこの時は高校生である葉村は登場しない。書下ろしで力が入った分、かえって複雑化して読みにくくなっているのは勿体ない。別の視点による明智評は面白いのだが。
このポップでライトな感じの作風は、今村昌弘の新しい一面を見せてくれた。作品紹介だとまさかの「〈明智恭介〉シリーズ第一短編集」とあるので、作者はともかく出版社は第二短編集を出す気満々なのだろう。ということで、剣崎比留子シリーズともども、次作を待っています。