平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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三好徹『海の沈黙』(集英社文庫)

 横浜の野毛山で堀本美知子の絞殺体が発見された。容疑者として小学校の同級生だった林楊生が逮捕され、彼は犯行を認めたが動機は彼の自供でも明らかにされなかった。国籍の異なる若者の苦悩に満ちた反省と、彼女をめぐる人間模様がと解き明かされていく。社会派推理の第一人者が描いた異色サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1962年、三一書房より単行本刊行。1977年8月、集英社文庫化。

 

 Wikipediaの「小松川事件」の事件を基にした創作のところに本作が載っていた。そんな小説あったっけと思って調べたら、岩崎稔、大川正彦、中野敏男他『継続する植民地主義 ジェンダー/民族/人種/階級』(青弓社)にその旨が載っていた。ではどんな小説なのか、と気になって読んでみた。
 読み終わって考えてみたのだが、いったい何を言いたかった小説なのかがわからない。
 前半部分は林楊生と堀本美知子のやり取りが中心。社会の底辺で鬱屈している林と、富裕な家庭に生まれながらどこか孤独な美知子との対比と共通点を描いている。しかし、なぜ林が美知子を殺すに至ったのかがわからない。「異邦人」は二人に突き刺さるものがあったのだろうが、それが死につながるものなのかが、私にはどうしてもつかみ取れなかった。
 それからは警察の捜査と林の取り調べ、そして林の裁判と続く。半ば自滅に近いような犯人自身からの電話。それは社会の底辺にいた人物の、社会から認められたい欲求からの行動だったのだろうか。その動機については何も語られていない。そして取り調べにおける警察と犯人の「事実認定」の乖離。強盗強姦目的だったと詰め寄る警察と、事実を何もかも話しているのにわかってもらえない林。それは林という人物の人生そのものであったのかもしれない。やりたいこと、求めたいことが認められず、国籍を隠さなければ就職すらできない林楊生。それは警察という場所、そして裁判という「真実を明らかにする場所」でも、自らの真実すら聞いてもらえない、わかってもらえないことを証明していたのかもしれない。
 後半は死刑判決が出た後の林とその周辺である。林は裁判所で死刑判決を言い渡された後、一切何も話さなくなった。控訴せず刑が確定し、そして舞台は三年後、M刑務所へ移る。具体的に書いていないがこれは「仙台送り」と呼ばれ、当時の東京拘置所は死刑執行の設備がなかったことから、執行の時は仙台刑務所へ送られていた。林は十六号館房に収容され、壁を背にしたまま無言の行を続け、自分以外の誰も受け入れようとしない姿勢を続けていた。教誨師や所長が話しかけても、それは同様だった。そして一年後、執行命令書が届く。何もしゃべらない林に、看守たちは首をひねる。そして死刑執行という行為に、様々な思いをぶつける。所長の妻は、子供が「浅右衛門の子ども」と罵られたと話し、今の仕事をやめてほしいと訴える。そして執行当日。看守たちの様々な思いが渦巻く中、林は何も語らず執行される。ところが記者が訪れ、強姦の事実がなかったことを伝え、刑務所内は動揺する。しかし法務省はそんな事実はないと伝え、裁判や死刑制度はこれからも続く。
 この辺りを読むと、死刑という刑に携わる刑務所の中の人々の思いを訴えたかったのかと言いたくなる。林の死刑執行を通し、死刑という刑の矛盾や虚しさを覚えつつ、執行に携わらなければならない悲哀も感じる(もっともそこに、被害者や遺族などの思い、社会秩序などは全く考慮されていないが)。そして林は、何も話さないことで自分の世界だけを守り通そうとしていたのかもしれない。
 先も書いたが、全体を通して読んでみても、作者が何を言いたかったのかがわからない。社会や警察・裁判、それに死刑などに対する矛盾点を、林楊生という人物を通して浮き彫りにしたかったのか。それとも林楊生いう人物そのものを矛盾にあふれた社会の中で浮き彫りにしたかったのか。どことなくちぐはぐで、どことなくもやもやしたまま読み終わってしまったというのが正直なところである。
 この小説、結構誤りと思われる点が多いのだが、一番大きな誤りは、林楊生が事件当時17歳だったのに、死刑判決を受けていること。三好徹は新聞記者だったのだから、少年法ぐらい知っていたと思うのだが。