平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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連城三紀彦『運命の八分休符』(創元推理文庫)

 困ったひとを見掛けると放ってはおけない心優しき落ちこぼれ青年・軍平は、お人好しな性格が災いしてか度々事件にまきこまれては素人探偵として奔走する羽目に。殺人容疑をかぶせられたモデルを救うため鉄壁のアリバイ崩しに挑む表題作をはじめとして、奇妙な誤認誘拐を発端に苦い結末を迎える「邪悪な羊」、数ある著者の短編のなかでもひときわ印象深い名品「観客はただ一人」など五人の女性をめぐる五つの事件を収める。軽やかな筆致で心情の機微を巧みにうかびあがらせ、隠れた傑作と名高い連作推理短編集。(粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』(文藝春秋)へ1980~1983年に発表した4作品と、『小説推理』(双葉社)に1982年に発表した「紙の鳥は青ざめて」を加え、1983年3月、文藝春秋より単行本刊行。1986年5月、文春文庫化。2020年5月、創元推理文庫より刊行。

 

 大学を出て3年、定職にもつかずぶらぶらしていた田沢軍平が2か月前、紹介してもらったのがガードマンの仕事だった。相手は日本ファッション界の売れっ子モデル、波木装子。紹介されたときには、装子を悩ましていた脅迫電話は解決していたが、装子は軍平のことを気に入り、時々電話をかけてきて、食事や酒に二三時間付き合わされていた。しかし今日呼び出された用事は違った。三日前、装子のライバルであり、ファッション界の大御所マグ・カートンに引き抜かれたトップモデルの白都サリが殺害され、その容疑者のひとりに装子があがっていた。しかも前日、パーティで装子はサリをひっぱたいていた。本命の容疑者は、新進デザイナーでサリの元婚約者である井縫リョウジ。しかし事件当日、リョウジは大阪にいて、東京との飛行機の往復では2分間足りない、鉄壁のアリバイがあった。「運命の八分休符」。二分間のアリバイというのもすごいが、その謎解きも素晴らしい。そしてこの作品は、ラストがとてもきれい。映画みたい、というのがぴったりくる終わり方である。
 高校時代からの友人かつ憧れの存在でもあった歯科医の宮川祥子から、軍平に相談に乗ってほしいと頼まれた。患者である小学一年の曲木レイが誘拐された。一昨日、レイは同級生の剛原美代子と一緒に祥子の歯医者に来ていた。そこに電話がかかってきて、美代子の母親が事故を起こしたので返してほしいといわれたが、粗忽な祥子は間違えてレイを帰し、その途上で誘拐されたのだ。美代子の父親は有名スーパーチェーンの社長で、レイの父親はそのチェーン店の店長だったが、競馬でサラ金に手を出し、さらに店の金を使い込んで頸になったばかりだった。責任を感じた祥子は何とか二百万円をかき集め、曲木の家に行くので軍平についてきてほしいというのだ。美代子の代わりにレイがさらわれたので、身代金を貸してほしいとレイの父は美代子の父に頼むが、美代子の父ははねつける。「邪悪な羊」。誘拐物だが、連城が単純な誘拐物をやるわけがなく、これまた凝った仕掛けになっている。よくぞまあ、これだけのことを考え、惜しげもなく短編に投入するものだと感心する。
 ひょんなことから部屋に転がり込むようになった女優の卵、宵子に誘われ、軍平は宵子が研究生として所属する劇団「アクテーズ」を率いる新劇界の女王、青井蘭子のひとり芝居を見に行くことになった。その舞台は一度きり、自伝のような舞台で、しかも百人の客席にいるのは元婚約者の5名を含む、蘭子がかつて関係を持った男がほとんどであった。軍平は蘭子の一人芝居に胸を打たれたが、他の客は舞台にあまり関心を持たず、帰るものもいた。そして迎えたラスト、蘭子は取り出した拳銃で舞台中央のガラスの扉を撃つ。蘭子が拳銃を投げ捨て、舞台は終わるかに見えたが、謎の男が拳銃を拾い、蘭子の「胸を撃って」の台詞通りに拳銃を発射し、蘭子は倒れて芝居は終わった。演出の安田や宵子が舞台に出てきてカーテンコールとなるはずが、蘭子は本当に撃たれて死んでいた。拳銃は蘭子自身が不法所持していたものだったが、弾は元々一発しか入っていなかった。そして最後のシーンは蘭子自身が演出したものだった。衆人環視の中、誰が一体どうやって蘭子を撃ったのか。「観客はただ一人」。虚飾に飾られた大女優が演じるひとり芝居そのもののような作品である。本作品集の中でも、インパクトは一番強い。
 軍平が当てもなく歩いていると、一匹の犬が無理矢理屋敷まで引っ張られた。居間では織原晶子が左手首を切って倒れていた。慌てて応急処置をすると、軽い傷だったらしく、晶子は目を覚まし、夕食をふるまいながら身の上話をした。晶子は31歳、料亭で仲居をしている。五年前に結婚した旦那の一郎が一年前、芸能プロで働いていた妹の山下由美子と駆け落ちした。年末、離婚届の入った封筒の消印から金沢にいるとわかった晶子は、由美子の婚約者だった夏木明雄と金沢を探し、二月の初めに二人の住むアパートを見つけた。四人で話し合いをするも埒が明かず、次の日二人はアパートから逃げ出し、夏木も姿を消した。実は夏木は1000万円を使い込んで一月から逃げていたのだ。それから半年近くったのが今日だった。その翌日、軍平の部屋を訪れた晶子は、昨日の朝刊を見せる。群馬県白根山中腹の林の奥深くで、死後六か月は経った男女の腐乱死体が発見されたという。年齢や身長が一郎と由美子に似ているので話を聞きに行くが、軍平にも着いてきてほしいという。「紙の鳥は青ざめて」。心中事件を核に淡々と物語は進むが、男と女の繋がりの綾が鮮やかな反転図となって最後に完結する。
 大学時代の空手部の先輩で、今も可愛がっている医者の高藤に連れられ、軍平は銀座のクラブにやってきた。隣に座ったのは、入ってまだ半月という梢。時間が経ち、毬絵がいないというママの言葉に梢が探しに行ったが、毬絵は控室で腕を刺されて倒れていた。警察に知らせたくないというママの頼みで高藤が応急処置したが、毬絵は犯人を見つけてくれと騒ぎだした。客を横取りされた四人のホステス、そしてパトロンを誘惑されたママに動機があった。「濡れた衣装」。軍平が現場の状況で謎解きをする物語。他の作品と比べると、ちょっと毛色が異なるか。
 定職もない落ちこぼれでお人好しな青年の田沢軍平が女性と出会い、そして事件に巻き込まれ、謎解きを行う連作短編集。技巧を技巧と思わない筆致は素晴らしいし、お人好し過ぎて優しい軍平と傷を負った女性のすれ違いな触れ合いが物語を豊かにしている。今読んでも、まったく色褪せない作品集であることに驚き。「隠れた傑作」にふさわしいし、復刊が喜ばしい。