平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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南條範夫『三百年のベール』(学研M文庫)

  静岡の県吏・平岡素一郎は、ふと目にした史書の一節をきっかけに、将軍徳川家康の出自と生涯の秘密を探りはじめる。やがて、驚愕の真相が浮かび上がった――。「家康は戦国大名松平家の嫡子ではない、流浪の願人坊主だったのだ」。そして、その隠された過去からは、さらに意外な歴史が明らかにされてゆく。明治に実際に刊行された幻の奇書『史疑・徳川家康事蹟』を素材に、大胆な構想で徳川家300年のタブーに挑んだ、禁断の歴史ミステリー。(粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』1958年12月号に掲載された短編「願人坊主家康」を長編化し、400枚の書き下ろし長編として1962年10月、文藝春秋より単行本刊行。差別的文言があるということで後に絶版となったが、一部表現を改め、1998年4月、批評社より刊行。2002年2月、学研M文庫より刊行。

 

 南條範夫が神田古書店街を歩いていた時、一書店で偶然見つけた村岡素一郎『史疑 徳川家康事蹟』(民友社,1902)を購入して読み、興味を抱いて「願人坊主家康」を執筆している。民友社は徳富蘇峰が経営しており、南條は蘇峰が『近世日本國民史』の中で「家康は、家康である。新田義重の後と言うたとて、別段、名誉でなく、また、乞食坊主の子孫だと言うたとて、別段恥辱でもない」という記述を戦後間もなくに読み、徳川家康の出自に疑問を抱いていたため、その解答を与えられたと思ったという。
 実際のところ、村岡素一郎『史疑 徳川家康事蹟』はほとんど黙殺され、話題にも上がらなかったらしい。1960年代に取り上げられたらしいが、結局は論破されているようである。とはいえ、家康影武者説はその後も取り上げられ、それを基にした作品も出版されるようになったため、結果的には意味のある作品ではあったと思われる。
 本書は平岡素一郎が『史疑』を書き上げるまでとその後の経緯を小説にして発表したものである。
 賤民制が江戸時代からというのは不勉強ながら知らなかった。単に制度化されていなかっただけで、差別はずっと昔からあると勝手に思っていたのである。そこと家康入れ替わり説を結びつけたのは目から鱗だった。明治時代になり差別的呼称と待遇を廃止されても根強く残っていたのは島崎藤村『破戒』でよく知られていることだが、本書はその部落の話も物語に絡めている。家康影武者説を単純に小説にするだけではなく、それをまとめた平岡が不遇の目にあったり、当時も差別が残っていたこともさらっと書かれたり、さらに明治のころのまだ混乱した政治についても書かれており、読み応えのある作品に仕上がっている。
 作品の中核をなす家康入れ替わり説がかなり突飛なもので、都合の良い部分をはぎ取り過ぎという印象を与えてしまうため、本書そのものの評価に影響を与えていることは否めないが、そこを無視して、明治時代という差別の残っている時代に困難に立ち向かって真実を追求しようした主人公の姿は、かなり強い印象を与えるのではないか。読んでいて面白かった。