平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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竹本健治『涙香迷宮』(講談社)

涙香迷宮

涙香迷宮

若き本因坊、牧場智久は対局のあったホテルで殺人事件に遭遇。現場の碁盤にあった碁石は通常より多かった。しかし被害者の身許すらわからず、捜査は難航する。

智久と恋人の武藤類子は、新しく発見された黒岩涙香の遺跡調査に加わる。地下の部屋にあったのは、十二支の名前がつけられた部屋と、48のいろは歌。この歌に秘められた暗号に挑戦する智久。一方、智久に殺人者の魔の手が迫る。そして台風で閉じ込められた遺跡の中で、第2の殺人事件が起きる。

メフィスト』掲載に書き下ろしを加え、2016年3月、単行本刊行。2017年、第17回本格ミステリ大賞受賞。



匣の中の失楽』でデビューを果たした作者だが、もう60歳を超えているのか。私も年を取るわけだ。もっとも作者の作品を読むのは久しぶり。『ウロボロスの基礎論』以来だろうか。正直言って、苦手な作者の部類に入る。単純に言えば、メタが好きではないからなんだけど。

手に取ってみると、思ったよりは読みやすい。牧場マンセーはどうかと思うけれど、今だったら藤井聡太に将棋を知らない人がキャーキャー言うのと大差ないだろう。名探偵マンセー本格ミステリならそれなりにある話だ。人物紹介がほとんどなく、牧場や頼子の設定がわからない人も多いのでは、と思ってしまったが。

とはいえ、殺人事件の稚拙さはどうにもならない。最初の殺人事件の動機はわかるけれど、その後の展開はあまりにもひどい。そもそも毒を持ってくるというのも不自然だし、あの程度で牧場を殺害しようと思うのも不思議。周囲もあの状況下で内部犯を検討しないというのもどうかしている。小説を書く方も、小説の中の登場人物も、何から何まで杜撰である。というか、殺人事件、いらなかっただろう。涙香の話一本で長編を書けただろうに。

逆に暗号の方は凄い。いろは歌を48首作るという労力には素直に脱帽。逆にこれだけ並べられると、感心するばかりで中身が頭に入ってこないのだが(苦笑)。さらにこれらを使って暗号を作るというのにはたまげた。よくぞここまで考えつくものだ。

しかし、暗号の凄さと小説の面白さとはまた別なんだよな。感心はするけれど、面白いかと聞かれると微妙。趣向自体は悪くないけれど、作者のせっかくの苦労が全く読者に伝わらないというか、よくここまでやるよねと呆れられるか。「ミクロコスモス」の手順を並べず、ただ1525手詰めという長さだけ見て凄い凄い、と言っているのと同じ気がする。中身を詳しく見れば、ものすごく深いのだろうけれど。ただ、「ミクロコスモス」は詰将棋の能力がある人なら解くことはできるけれど、今回の暗号はまず解けないと思う。

あと、黒岩類香などの蘊蓄は面白かったかな。五目並べを連珠として体系立てたのは知っていたけれど、他はよく知らなかったので。

題材は凄いけれど、料理が今ひとつで首をひねってしまう作品。歴史ものへ無理に現代の殺人事件を絡めるとつまらなくなるのは有名なのだから、ベテランミステリ作家が似たようなミスをしなくてもよいのに。タイトルに迷宮をつけるのは良いけれど、自分まで迷わなくてもよいのに。