平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』(文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

フリッカー、あるいは映画の魔〈下〉 (文春文庫)

映画の中には魔物がいる――場末の映画館で彼の映画を観た時からジョナサンはその魔物に囚われてしまった。魔物の名はマックス・キャッスル。遺された彼の監督作品を観るにつけ説明できない何かの存在を感じるのだが……。ミステリーファンのみならず、映画ファン、文学ファンをも満足させた98年度ミステリー・ベスト1!(上巻粗筋より引用)

大学の映画科教授となったジョナサンは幻の映画監督マックス・キャッスルの謎を追いつづける。どう観てもB級としか評価できない作品の、なにがこんなに彼を惹きつけるのだろうか。その答えはフィルムの中に隠されていた! 映画界の「闇」をめぐる虚実のあいだに、壮大な仕掛けをめぐらせた危険なゴシック・ミステリー。(下巻粗筋より引用)

1998年6月、邦訳単行本刊行。1999年12月、文庫化。



20年前の大作ということは知っていたが、ようやく手に取ることができた。それにしても上下巻でトータル1000ページ、しかも1ページ当たりの文字数が通常より多い。ただ、それでも夢中で読んだという感想が納得してしまう出来であった。タイトルにある“フリッカー”とは、画面にトリックを正確に仕掛ける方法のことを指す。

ただ、1920年代から50年代くらい?までの映画の話が上巻途中まで延々と続き、映画に全く興味のない私にはちんぷんかんぷんなところが多かった。当時大学生である主人公のジョナサン・ゲイツと、古いフィルムばかりを流すクラシック座の女経営者クラリッサとの濃い関係の描写がなかったら、途中であきらめていたかもしれない。それと、流れるような邦訳がなかったら、挫折していただろう。会話よりも一人称の一人語りの方が多いこれだけの量を読ませる大きな要因の一つは、この流麗な邦訳にある。

話は1940年代に消えた伝説の映画監督、マックス・キャッスルに焦点が移り、ジョナサンがその背後を調べていくうちにハリウッドの闇が顔を出し、さらにカタリ派とかが絡んでくるという壮大な展開。そもそもカタリ派なんて名前ぐらいしか知らないし、神経記号学とか言われてもさっぱりわからない。それでも付き合っていると驚くべきラストに流されてしまう。

いやはや、なんともすごい内容、すごい展開。言い表せる言葉が思いつかなくて情けないが、「すごい」としか言いようがない。映画監督の謎から中世の謎まで引きずりまわされ、惑わされ、それでも読者を興奮させるのだから、すごいとしか言いようがない。

映画ファンでもない私ですら興奮するのだから、映画ファンだったらもう震えまくるだろうなあと思ってしまう。途中で語られる映画批評(これは私は興味なかったが)、マックスの撮影手法(これは非常に楽しく読んだ)なども必見だ。

傑作って、いつ読んでも面白いものだ。しかもこれは大傑作。映画ファンなら読まずにいられない、映画ファンでなくても読まずにいられない。