平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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ダフネ・デュ・モーリア『鳥―デュ・モーリア傑作集』(創元推理文庫)

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

六羽、七羽、いや十二羽……鳥たちが、つぎつぎ襲いかかってくる。バタバタと恐ろしいはばたきの音だけを響かせて。両手が、首が血に濡れていく……。ある日突然、人間を攻撃しはじめた鳥の群れ。彼らに何が起こったのか? ヒッチコックの映画で有名な表題作をはじめ、恐ろしくも哀切なラヴ・ストーリー「恋人」、妻を亡くした男をたてつづけに見舞う不幸な運命を描く奇譚「林檎の木」、まもなく母親になるはずの女性が自殺し、探偵がその理由をさがし求める「動機」など、物語の醍醐味溢れる傑作八編を収録。デュ・モーリアの代表作として『レベッカ』と並び称される短編集、初の完訳。(粗筋紹介より引用)

1952年、『The Apple Tree』のタイトルで刊行。2000年11月、翻訳、刊行。収録作はいずれも過去に翻訳されたことはあるが、こうして1冊にまとめられたのは日本では初めてである。



デュ・モーリアといえば『レベッカ』の作者であり、ヒッチコックの名作『鳥』の原作者、というイメージしかない。三笠書房から長編が多く出ていたようだが、当然手に取ることは叶わず、唯一読めた『レベッカ』が肌に合わなかったこともあり、購入したまま積ん読状態だった1冊。うーん、早く読むべきだった。



自動車工の若者は、一人で行った映画館に居た案内嬢に心を惹かれる。彼女の後を追いかけ同じバスに乗り、そして二人は屋台で一緒にコーヒーを飲み、キスをして別れた。「恋人」。単なる恋愛ものかと思ったら、意外な結末が待っている。通り魔事件がストーリーに絡むのは想像できたが、その絡み方がかなり意外だった。読者をも包み込む物悲しいムードが実にいい。米題のタイトルはこちら。最初から読者を惹きこむにはうってつけの短編である。

傷痍軍人で農場で働くナット・ホッキンは、窓をたたく音で夜中に目を覚ます。それは鳥だった。子供たちの部屋で窓が開いて鳥が襲いかかり、ナットは必死で追い払う。そして翌日以降、群れをなした鳥が人間を襲うようになる。「鳥」。ヒッチコックの映画は見たことがない。それでも本作を読むと、恐ろしい映像が目に浮かぶようだ。抑制の効いた筆致が、余計に恐怖を増幅させる。映画とは違うエンディングらしいが、私はこちらの方が好きだ。

子供2人と海辺のホテルへ休暇に来た侯爵夫人。仕事が忙しくて来ることができない夫・エドワルドとの単調な生活に退屈していた若い夫人は、地元の青年写真家とのアバンチュールを楽しむようになる。「写真家」。事件が起きるまでは少々退屈だったが、青年が態度を一変させた後の展開は見物。ありきたりなストーリーで、オチが予想つきながらも、文章がよければこうも読めるのかと思わせる作品。

同じ登山を趣味に持つ親友・ヴィクターが、美しい女性・アンナと結婚した。ある日、2人は登山に出かけるが、アンナは山から下りずに消えてしまった。その山の頂にはモンテ・ヴェリタという閉ざされた僧院があり、麓の村の女性もたびたびそこへ行っては消えていたという。「モンテ・ヴェリタ」。本短編集で一番長い作品。モンテ・ヴェリタとは、「真実の山」という意味である。冒頭から結末は明かされている。山に人のいた痕跡は何もなかったと。どちらかといえば幻想小説に近い味わいの作品だが、男と女の恋愛観というものも何となく窺えて非常に興味深い。宗教、神などの題材も加わり、哲学的要素も加わった傑作。

押しつけがましく陰気な妻・ミッジが死んで解放感を味わう夫。ある日、夫は痩せこけたリンゴの木が庭にあることに気づく。まるで妻のような萎れた老木に身震いした夫は、庭師にリンゴの木を切ってしまえと命令するが、その年に限って芽を出し、花が咲いて、そして実がなった。「林檎の木」。解放されたと思う夫の気持ちもわかるけれど、それは単に夫がわがままで妻に甘えていただけだったのかもしれない。男だから主人公の気持ちに同感してしまうけれど、女性から見たら逆なんじゃないだろうか。主人公にだけ不気味な林檎が徐々に家庭へ入り込んでいく恐怖はなかなかのものだが、結末がちょっと物足りないか。なおイギリスでの表題は「鳥」ではなく本作となっている。作者の最も愛着のある作品なのかもしれない。

湖のほとりに住む名物の「爺さん」とその家族にまつわる話。「(つがい)」。これは息抜き。この邦題のタイトルはミスだろう。原題通り「爺さん(Old man)」でよかったのではないか。

数か月前に夫を亡くしたミセス・エリスが散歩から帰ってくると、自宅には見知らぬ人たちがおり、室内の様子も変わっていた。ショックを受けたエリスは警察に事情を話すも、警察はエリスの言うことを信用しなかった。「裂けた時間」。いわゆるタイムスリップもの。今となっては古典だが、当時としては斬新なアイデアだったのかも。何もわからないエリスの絶望はよく書けていると思う。最後のところにはちょっと違和感があった。それと未来に行ってからの展開がちょっと冗長である。

裕福な家庭に嫁ぎ、夫との仲も良好、もう少しで子供も生まれるという幸せ絶頂のはずのメアリー・ファーレンが突然自殺した。夫のサー・ジョンは、探偵のブラックに自殺の原因を探るよう依頼する。ブラックが突き止めた悲しい真実とは。「動機」。探偵が過去を探るうちに、関わった人物の意外な姿が浮かび上がってくる。しかし謎自体はなかなか解けない、という展開。意外な、そして悲しい真相も見所の一つだが、探偵のブラックが実に魅力的。この人物を主人公にしたハードボイルドが1編書けるぐらい、造形がよく出来ている。台詞も格好良い。



いやあ、驚いた。サスペンス、ホラー、ファンタジー、ミステリなど複数のジャンルで、これだけ読み応えのある短編がそろっている短編集に久しぶりに出会った。小説を読むことがどれだけ魅力のあることか、それを証明するような一冊。「モンテ・ヴェリタ」にはちょっと難解なところがあるけれど、基本的に平易な文章、内容で語られている。それなのになぜこれだけ面白いのか。デュ・モーリアという作家の素晴らしさが浮かび上がる作品集である。是非読んでほしい。ただ、まとめ読みすると濃度の高さにちょっと疲れるかもしれない。