平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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石ノ森章太郎・小野寺丈『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』I first〜III third(角川文庫)

病床にあった石ノ森章太郎のところへ現れたのは、本物のギルモア博士。創作だとばかり思っていた009は、実は未来のイワン(=001)が発したテレパシーを感じ取ったものだという。未来の地球は、神々によって絶滅の危機に遭った。それを何とかしてほしい、とギルモア博士は訴えて消えた。そして石ノ森は、009たちの新たなエピソードをノートに書き始めた。

ブラックゴーストとの闘いを終え、サイボーグたちは自分の故郷へ帰っていた。彼らは、神々が纏わると思われる不思議な出来事にそれぞれ遭遇する。

I firstは001から004まで。II secondは005から009まで。そしてIII thirdでは、イワンによって新たな力を得たサイボーグたちが、新しいジャパンブルーのユニホームを身にまとい、神々との絶望的な闘いに赴く。

石ノ森章太郎のライフワークとなった未刊作『サイボーグ009』。その最後の闘いと位置づけられた「天使編」「神々との闘い編」が小説の形でついに完結。



石ノ森の構想ノートに書き残されたプロットと、部分的に書き上げていた原稿を基に、息子である小野寺丈が書き下ろした作品。I firstは2006年に単行本で出版されたが、その後が続かず、2012年に改稿の上文庫化されるとともに、II secondが9月に、III thirdが10月に文庫本として出版された。

サイボーグ戦士は実は未来の人物たちだったという設定になっており、その誕生経緯も今まで描かれた内容とは異なったものとなっている。

途中から秋田書店のコミックスを新刊で買っていたという程度にはファンであった『サイボーグ009』がようやく完結。とはいえ、個人的には地下帝国ヨミ編で009は完結しており、その後はおまけという気がしているのも事実。「天使編」はあまりにも敵が大きく、しかもその表現方法や内容も暗いムードが漂っていて、絵が今までと異なっていたこともあってか、ここで辞めてくれてよかった、というようなものであった。「神々との闘い編」はあまりにも実験的すぎて、ついて行けるようなものではなかった。ただ、あの石ノ森が完結編に位置づけるのだから、壮大なスケールになるだろうと期待していた部分もあった。「天使編」のあとがきで、今までの闘いを全てまとめた文だけの長さになる、といったようなことが書かれていたこともあり、どのような構想を立てていたのかという興味もあった。しかし読み終わってみると、期待を大きく持ちすぎた、というのが本音である。

もちろん当時は、009たちが未来の人物だったというメタフィクションを構想していたわけではないだろう。とはいえ、天使の正体や、009たちに付けられた新しい能力等については、当時から構想があったに違いない。と同時に、完結に至るエピソード、009たちの立ち位置等についても構想があったのだろう。ジョーと翡翠のエピソードについては、止めてほしかったが。

構想ノートには、没となった構想も多く残されていたという。しかし、どれが没で、どれが残された設定かはわからず、作者の小野寺はまずそれを読み取ることから始めている。だから必ずしも、この作品が石ノ森の望む完結編の形にはなっていない。

最後の闘いについては、ご都合主義というのが本当のところだろう。"進化"というのは重要なワードの一つであっただろうが、己の持つ力だけで戦ってきた彼らのことを考えると、違和感があるというのが本音である。

しかし、我々は素直に喜ぶべきだろう。石ノ森が考えていた、009の完結編に触れることができたのだから。そして最後、サイボーグ戦士たちが闘いのことを忘れて笑う姿を見ることができたのだから。