平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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船戸与一『蝦夷地別件』上中下(新潮文庫)

蝦夷地別件〈上〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈上〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈中〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈中〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈下〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈下〉 (新潮文庫)

時は18世紀末、老中・松平定信のころ。蝦夷地では、和人の横暴に対する先住民の憤怒の炎が燃えあがろうとしていた。この地の直轄を狙い謀略をめぐらす幕府と、松前藩の争い。ロシアを通じ、蝦夷に鉄砲の調達を約束するポーランド貴族――。歴史の転換点で様々な思惑が渦巻いた蝦夷地最大の蜂起「国後・目梨の乱」を未曾有のスケールで描く、超弩級大作。日本冒険小説協会大賞受賞。(上巻粗筋より引用)

惣長人サンキチが和人の薬を飲んだ直後に急死し、国後の蝦夷の間には和人との戦いを望む声が一気に高まる。鉄砲なしでは戦えないとする脇長人ツキノエの主張も空しく……。同じころ、フランス革命の余波に震えるペテルブルグで暗躍していたポーランド貴族マホウスキは、ロシア皇帝の情報組織に拘束される。彼の鉄砲三百挺は、果して無事に蝦夷地まで届けられるのか? 緊迫の中巻。(中間粗筋より引用)

英雄譚(ユーカラ)の調べに導かれるかのごとく起こった蝦夷の勝算なき戦い。だがその炎は目梨地方全体を覆うまでには至らなかった。圧倒的装備の松前藩鎮撫軍が迫る。選ぶのは民族の誇りか、生存の道か……。一つの「国家」に生まれ変わろうとする日本。松平定信の描いたこの国の未来図とは何だったのか。時代の波間に呑み込まれ、消えてゆく人々―。熱い、熱い歴史巨編2800枚、堂々の完結。(下巻粗筋より引用)

1995年5月、書き下ろし単行本で発売。1998年6月文庫化。



船戸与一が「国後・目梨の乱」を、オリジナルキャラクターと独自の視点を交えて書いた2800枚の大作。解説を読むと、今まで冷戦下の第三世界を舞台に骨太の冒険小説を書いてきた船戸が、冷戦構造の崩壊後、よりにもよって時代小説を書いて歴史に逃避したかと、一部のファンは失望したらしい。しかし読んでみれば、それは違うとわかる。逃避だなんてとんでもない。作者が前田哲夫との対談で語った「僕は、冷戦構造を東西の軸では切ってこなかったので、その崩壊も大した影響はなかった。それでも冷戦が終わってみると、何かが違ってきている。それは何なのか、原点に戻って考えよう、冷戦構造を作り上げたのは近代国家なのだから、その近代国家はどのようにしてできあがっていたのか、そこから考えてみようというのが、この作品の出発点だった」通り、今までの冒険小説群となんら変わらない輝きをもった第一級の作品であることがわかる。

アイヌ民族の存亡を掛ける男たち、時代に翻弄される人たち、蠢く時代に乗ろうとする者、逆らおうとする者、その戦いを利用する組織、国家群。舞台こそ18世紀に遡るものの、そこに流れる精神は今までの冒険小説と何ら変わりない。

学校で学ぶ日本の歴史で、アイヌ民族について語られるのはわずかである。そこに侵略の歴史があったことは一目瞭然なのに、今でも日本は単一民族国家だと言い張る人たちもいる。アイヌという民族、文化を忘れてはいけない。失くしてもいけない。だからこそアイヌへの侵略の歴史は、色々な形で残す必要がある。作者にそこまでの意識はなかったと思うが、このような小説の形で残すことも必要である。そういう意味でも、意義のある作品である。

道産子なので、アイヌがかかわるとどうしても何か言いたくなる。アイヌの歴史は小学校で学んだ程度だし、何か活動しているわけでもないのに。