平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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笹本稜平『未踏峰』(祥伝社)

未踏峰

未踏峰

万引きの再犯でIT企業を退職させられ、派遣社員として生き甲斐もなく絶望の日々を送っていた橘裕也。天才的な料理のセンスを持ちながらも、アスペルガー症候群のため周囲と衝突を繰り返し、リストカットの経験すらある戸村サヤカ。優れた絵を描く能力がありながらも、知的障害のため誰からも認められなかった勝田慎二。彼らは北八ヶ岳にある山小屋「ビンティ・ヒュッテ」のアルバイトとして知り合った。山小屋の主人であるパウロさんは、30年前は世界的な登山家蒔本康平であった。ひょんなことから、ヒマラヤにある未踏峰の山を目指すことになる。ネパール北西部のカンティ・ヒマール山域にある名前もない6720mの山に、彼らは「ビンティ・チュリ」と名付けた。ネパール語でビンティは祈りを、チュリは角のように尖った高峰を意味する。パウロさんの指導の元、3人は日本の冬山で3年間、指導を受けた。ところがいざある年の冬、山小屋が火事に遭い、1人でいたパウロさんは焼死した。愕然とする3人。そんな3人のところへ届いたパウロさんからの手紙。そこには彼の過去の罪と傷跡が記されていた。3人はパウロさんともに、ヒマラヤの山を目指す。

『小説NON』平成20年12月号〜平成21年9月号掲載された作品を加筆修正。



笹本稜平の最新作はストレートな山岳小説。ハンディを背負った3人の若者が、1人の人物の元に偶然集まり、そして再生への道を歩む。あまりにも単純な構図の作品とも言えるが、その分感動は真っ直ぐに伝わってくる。何も知らなかった彼ら3人が、一歩ずつ未知の山を登る姿は、思わず応援したくなる。

 とはいえ、あまりにも単純すぎるストーリーには首を傾げたくなる。10代の青春小説ならこれでもいいかもしれないが、山岳冒険小説の傑作を書いてきた笹本に、この程度で終わってしまうような作品は書いてほしくなかったというところが本音である。悪意を持ち合わせていない登場人物たちばかりを見ると、人生そんな簡単じゃないだろうと言いたくなるのは、既にひねくれてしまった証拠かもしれない。それに冬山の経験は日本で鍛えられても、6000m級の山に登って高山病に全くかからないうのは、本当に有り得るのだろうか。いや、それ以上に素人ばかりで6000m級の未踏峰の山に登ることなんて、登山家の常識から考えて可能なことなのだろうか。山に対する知識がないとは思えないので、可能といえば可能なのかもしれないが、残念ながら作品中の言葉では説得力に欠けていたのも事実である。

 面白かったけれど、読み終わってみるとちょっと気恥ずかしくなってしまう。テーマとしてはこれでいいのだろうが、物足りなかったところがあるのは残念。



ヒマラヤにある8000m級の山は全て人の脚が踏み入っているが、ネパール北西部と中国の国境に接するあたりには6000m後半台の棚が延々と連なっており、そこらは記号だけで名前すら付いていない山があるという。しかし「ビンティ・チュリ」は架空の山である。