平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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綾辻行人『どんどん橋、落ちた』(講談社)

どんどん橋、落ちた

どんどん橋、落ちた

1991年大晦日の夜、作家綾辻行人のところへ訪れた青年Uは、綾辻へ“読者への挑戦”が載った本格ミステリ短編を突きつける。どんどん橋で起きた不可能犯罪の結末とは。「どんどん橋、落ちた」

1994年元旦の夜、再び作家綾辻行人のところへ訪れた青年Uは、綾辻へ“読者への挑戦”が載った本格ミステリ短編を再度突きつける。ぼうぼう森で起きた不可能犯罪の結末とは。「ぼうぼう森、燃えた」

K談社U山氏宅で、作家綾辻行人はU山夫人K子さんから聞いた不可能事件。葛西氏宅で猿を殺害したのは誰か。「フェラーリは見ていた」

4年前、家を建て直してから“明るく平和な家庭”であった伊園家は崩壊の一途を辿るばかりであった。そしてとどめを刺すかのように、刃物で刺された笹枝の死体が発見された。しかし刃物はどこにもない。「伊園家の崩壊」

1998年12月23日の夜、作家綾辻行人のところへまたもや訪れた青年Uは、綾辻が原案を書いたという深夜ドラマのビデオを一緒に見ようと誘う。フロア内で起きた連続殺人事件の犯人は。「意外な犯人」

1992年から1999年に発表した本格ミステリ短編5本を収録。



表題作だけはアンソロジー『奇想の復活』で読んでいたが、単行本自体は読んでいなかったなと思って手に取ってみた。あとがきにあるとおり、1996年春に発表した『フリークス』以来3年半ぶり、1999年10月の新刊。この頃といえば、綾辻の新刊出ないねえ、と一部で騒がれていた頃。ああ、懐かしい。

こうやってまとめて読んでみると、つまらない作品集である。普通にトリックを使ったり、一般的な謎を提供することができないから、“ダブル・ミーニング”を駆使して誤魔化しているとしか思えない。“ダブル・ミーニング”なんて、1作だけならまだしも、続けてみせられると「またか」という印象しか与えないんだが。「こっちへ行こう」と右を指すから右へ行こうとしたら左へ行き出すので、「お前違うじゃないか」と怒ったら「こうやってました!」と指先だけを反対に向けているようなせこさしか思い浮かばない。

「どんどん橋、落ちた」は、とある点で作者から読者への了解事項が確認されていない時点でアンフェア。「ぼうぼう森、燃えた」もそれに近い。わざわざタケマルとか使う意味も不明。「フェラーリは見ていた」になると、あっそ、というしかない程度。楽屋落ちの発想しかないのか、綾辻は。

「伊園家の崩壊」は悪趣味としかいいようがない。同人誌のヒロイン凌辱ものと変わらないグロである。こういうのが好きな人もいるということを否定するつもりはないが、一般誌でやることじゃないだろう。不愉快さしか残らない。扱っているトリックは古典もいいところだし、わざわざ伊園家を持ち出す必然性もない。

「意外な犯人」って意外か? 同人誌レベルの本格ミステリにはよくあるパロディだと思うが。



今更ながら、本格ミステリ作家綾辻行人の限界を知らしめた一冊。「新本格の先頭」じゃなかったら読まれなかっただろうなあと思ってしまう。なんとかならなかったのかね、この人は。