- 作者: 翔田寛
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 単行本
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昭和36年6月25日。運送会社で働く谷口良雄は、母を病気で失った。死ぬ前の母の言葉が忘れられない。「おまえは、ほんとうの息子じゃないよ。私が誘拐……」。隠されていた母の住所録から、今まで会ったこと記憶のない親戚や知り合いを訪ね歩くうちに、自分は15年前に誘拐され行方不明となった子供ではないかという疑いを抱く。恋人である杉村幸子は、良雄のことを思っていた母親が誘拐犯だなんて有り得ないと主張し、自らも調べることを決意した。
昭和36年6月28日。未亡人で、総菜屋の店員や家政婦の仕事をしていた25歳の下条弥生が殺害された。地味で、人付き合いがほとんどなかった彼女が殺されたのはなぜか。弥生の家が家捜しされた理由は。弥生が数日前に仕事を辞めいたのはなぜか。刑事の輪島と井口は、残された写真の手掛かりから15年前に起きた時効直前の誘拐事件に関係があると推理する。弥生は15年前の犯人を恐喝しようとしたのか。しかし接点はどこに? 輪島たちとかつていざこざがあった刑事の神崎と遠藤も別方面から犯人を追いかける。
2008年、第54回江戸川乱歩賞受賞作。
翔田寛は2000年、「影踏み鬼」で第22回小説推理新人賞を受賞しデビュー。受賞後第一作「奈落闇恋乃道行」で第54回日本推理作家協会賞短編部門にノミネートされる。翌年発表した第一短編集『影踏み鬼』(双葉社)や2004年に発表された連作短編集『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』(東京創元社 ミステリ・フロンティア)は一部識者から高い評価を受けた(個人的には、もっと評判になってもよかったと思っている)。
他にも著書がある翔田寛がなぜ今さら乱歩賞に、というのが受賞時の第一印象である。江戸川乱歩賞は、過去に著作のある作家が受賞しているケースが意外に多いとはいえ、今ここで受賞させるのはよほどの出来だったと思ってしまうのが普通だろう。読んでみての第一印象は「地味」。別に「地味」でも面白ければよいのだが、面白さを通り越して「地味」なのはどうだろう。
自分の過去を追う良雄の話と、殺人事件の捜査が交互に語られる。そして小説の終盤に、二つの話が一つに交わる。よくあるパターン。しかも自らが誘拐された男児ではないかと疑いを抱いて過去探しを始めるのは、これまたよくあるパターン。文章は手堅いし、視点の切替も良いタイミングだ。昭和36年という時代を感じることはなかったが、その当時ならではの描写はそれなりに生かされている。ぐいぐい読ませるというほどではないが、読者が飽きるということはないだろう。ただし、浪花節か時代劇のラストみたいな結末はどうにかならなかったものか。
言ってしまえば、「大岡越前」や「江戸を斬る」みたいな、ワンパターンでも面白い時代劇を見ているような作品である。ただし、面白さのランクでいえば、かなり下の方になるか。意外性も驚きも何もなく、予定調和の世界で全てが終わってしまうので、新味は全くない。この作家独特の、叙情あふれる雰囲気が全く感じられなかったのは残念。作品の手堅さが玄人受けしたのかもしれないが、失点の少なさから乱歩賞を受賞できたという印象である。有り得ないかもしれないが、私が選考委員だったら、受賞はさせずに出版させていただろう。若竹七海の『閉ざされた夏』のように。
見逃せない欠点としたら、脅迫状に使った新聞紙を残していた事かな。いくら物がない時代でも、そんな危険物を残しておくというのは、さすがに納得できない。それと、偶然率の高さも気になる。
選考から想像すると、輪島と田口は投稿時では新聞記者だったのではないだろうか。昭和30年代の刑事にしてはどうも押しが弱すぎ、相手の対応も煮え切らないものがあると思っていたが、これが新聞記者だったら納得できる。この書き直しは、個人的にはあまり賛成できないのだが。
作者名からは期待していたのだが、今一つの感があった作品。実力のある作家だから、次作はもう少し自分の持ち味を生かした作品を書いてほしい。