- 作者: 笹本稜平
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/06/13
- メディア: 単行本
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聖美を失ったことで山から遠ざかり、燻る隠遁生活を送っていた翔平だったが、なぜか冬の八ヶ岳に上ろうと思い立った。赤岳の頂上で、聖美の従兄妹で親友の板倉亮太から電話がかかってきた。亮太が社長を務める会社で企画したブロードピーク(K2を間近に望める8000メートル級の高峰)公募登山における頂上への案内スタッフとして誘われたのだ。さらに亮太はこう言った。ブロードピークへ客を登らせた直後に、二人でK2へ東壁から仕掛けるというのだ。亮太は人生に区切りをつけるためにその誘いを受け、再びK2を目指すことにした。
「別冊文藝春秋」266〜274号掲載。笹本稜平、渾身の山岳小説の傑作。
様々なジャンルに挑戦中である笹本稜平の最新刊は、久しぶりの山岳小説。出世作ともいえる『天空への回廊』は標高第1位であるエベレストを舞台にした冒険小説の傑作であったが、本作は標高第2位であるK2が重要な舞台となる。
本作は登山時の迫力ある描写が当然最大の魅力なのであるが、それと同時に登場する人物たちがとても魅力的である。主人公である翔平、パートナーの聖美はもちろんのこと、亮太、そして翔平たちと高校・大学で登山パーティーを組んでいた弁護士の宮森祐一といった友人たち。翔平がいつか気力を取り戻すことを信じて疑わない両親。彼らの視線はとても暖かい。翔平を甘えさせるのではなく、あくまで自らの力で立ち直らせようとサポートするそのスタンスがとても心地よい。そして、改めて明らかとなった翔平と聖美の愛を越えた深い繋がりが感動的である。
さらに本作では、主人公である翔平と同じくらい、もしくはそれ以上に魅力的な人物が登場している。公募登山に参加している神津邦正だ。
医療用電子機器では国内トップ、世界シェアでも五指に入る会社を一大で築き上げた神津は、すでに還暦を過ぎているのに、自らの会社が開発し、かつ自らの心臓にも植え込んでいるた心臓ペースメーカーを宣伝するため、会社で働いていた元山岳部の竹原充明をコーチ兼サポート役として、エベレスト公募登山客の一員として登頂に成功したのだ。そして今、新製品のPRを兼ねてブロードピークの公募登山に参加している。常に困難に立ち向かう姿、突飛ながらもユーモアあふれる言動、そして自らの非は正しても己の意志は絶対曲げない力強さ。遙か年下である竹原に教えを請う姿を見ても、立場にはとらわれない相手の本質を見抜く力がある。もちろん、ただ闇雲に走るだけではない。会社の内紛で自らが会長を追われるかもしれないというのにツアーへの参加をやめようとしない意志もさることながら、先を見通した行動を常にとり続けつつも、常に夢を追いかけるその姿が美しい。かつてK2登頂時に雪崩で仲間4人を失って以来登山をやめていた竹原も、そんな神津の姿を見続け、ともに行動することにより山への魅力を取り戻し、そして神津の人間性に惚れることとなる。
他にも魅力的な登場人物は多い。4年前に聖美に命を助けられ、今では立派な高所ポーターであるイクバル。リエゾンオフィサーであるナジブ・カーン。コックのナワン。公募登山の仲間達。まだまだ他にもいる。自分の目で確かめてもらいたい。
先にも書いたとおり登山における描写の迫力は満点である。そびえ立つ山の厳しさ、美しさ、暖かさは、どんなものにも変えられない。専門家から見たら間違っている箇所があるかもしれないが、そんなことは全く気にならない。山に立ち向かう人々の力強さと、人々の全ての思いを飲み込んで悠然とそびえ立つ山の美しさには、間違いなどないはずである。現在の登山界を取り巻く状況についても、様々な視点や意見を書くことにより、片一方だけが正しいという胡散臭さを取り除いている。どんな活動にも光と影があるが、両方を正しく書くことで、読者に判断を与えようとするその姿勢は正しいものと思う。
山岳小説を多く読み込んでいるわけではないが、読者へすばらしい感動を与えてくれる骨太のこの作品は、山岳小説の傑作である。そう言い切ってよいと思う。最近は器用すぎて今ひとつ物足りなかった笹本だが、ここに完全復活と書いてよいと思う。
ここからは無粋すぎる話。これをミステリのベストに入れるかどうか、という話になるとちょっと首をひねってしまう。冒険小説とも言いづらいんだよな。こればかりは読んだ感覚だけで書いており、言葉にはうまくできないことだけれども。