平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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建倉圭介『DEAD LINE』(角川書店)

デッドライン

デッドライン

サンフランシスコ生まれの日系二世、ミノル・タガワはカリフォルニア大学で電気工学を専攻していたが、日本とアメリカの戦争が激しくなった1943年、日系人強制収容所に入れられる。父・母・妹は人質交換船で日本に帰るが、ミノルは日系人部隊に入り、1944年5月に欧州戦線に従事。ドイツ軍に囲まれたテキサス大隊を救出した。しかし9月に負傷し除隊。特級射手章とパープル・ハート勲章(名誉戦傷章)をもらった。その代わりに、左目の視力を失い、心に深い傷を負う。ペンシルベニア大学編入後、旧友の推薦により世界初の電子式汎用計算機エニアックの開発プロジェクトに入る。ジャップと呼ばれる偏見の中、彼は研究に没頭し、成果を次々に上げていく。プロジェクト顧問である数学者フォン・ノイマンとの交流、さらに大学時代の旧友エリザベスの話より、ミノルはニューメキシコ州ロスアラモスで原子爆弾が開発されていること、そしてその標的が日本であることを察知する。エニアックを巡るスパイ戦に巻き込まれ、設計図の窃盗犯、さらに殺人犯の汚名を着せられたミノルは、ロスアラモスに潜入。投下が間近なことを知ったミノルは、酒場で知り合った日系混血のダンサー、エリイ・サンチェスとともに日本への密航を決意する。ミノルは「降伏」を政府にすすめるために、エリイは連れ去れれたわが子を取り戻すために。残された日はわずか。二人は北米大陸を横断し、アラスカを経由して千島列島へ。しかし原子爆弾の情報が漏れたことを知った米軍は、彼らを捕まえるべくチームを派遣した。



建倉圭介は1997年に『クラッカー』で第17回横溝正史賞佳作を受賞してデビュー。翌年に『ブラック・メール』を発表後、8年間の沈黙を破って本作を発表……という経歴になる。建倉圭介という作家で思いつくことは、『クラッカー』がパソコンを取り扱った作品であるということと、ドラマ化されているということぐらいだ。

「ミステリマガジン」で西上心太が絶賛しているので、読んでみることにしたのだが、これが大当たり。帯を読んでもそれほど期待できなかったのだが、いい意味で裏切られた。「心をゆさぶられる戦争冒険小説の大傑作」という言葉に偽りはなかった。

前半のエニアック開発の部分から一気に引き込まれる。ミノルが加わったことで、確実に性能がアップするエニアック。専門用語が飛び交いながらも、わかりやすい説明なので読んでいても面白い。しかし、個人の技能だけではどうにもならない人種差別の壁が浮かび上がる。プレスバー・エッカート、ジョン・モークリー、フォン・ノイマンといった実在の人物や架空の人物との交流を通し、エニアック開発に没頭しながらも、ジャップという偏見が永遠につきまとうミノルの苦悩。能力がありながらも周りから評価されないという姿に、当時の日本人に対するアメリカの真実が見えてくる。エッカートなどミノルを高く評価する人物も出てくるが、それはごくわずかだ。実績を目の当たりにしても、個人の能力を評価せず、人種に対するステレオタイプの偏見しか持ち合わすことができないという事実は、人の持つ固定観念が簡単には無くならないという寂しさがある。また、国が進める情報操作、そして情報に洗脳されて何も疑おうとしない国民の恐ろしさを浮かび上がらせる。カルト宗教にはまる人々を、私たちは笑うことができないのだ。

作者は戦時下のアメリカだけを取り上げるのではなく、後半で他の民族、そして日本における人種差別・民族弾圧についても触れている。自らの人種差別には怒りを覚えながらも、自らが行ってきた人種差別については何も知らない。無知の恐ろしさ。それがこの作品に流れているテーマのひとつであり、それはラストまで貫かれる。

原子爆弾の情報を日本に伝えるために、ミノルはエリイと逃避行を決断する。ここからのサスペンスあふれる展開が凄い。原子爆弾投下というデッドライン。二人の必死の逃避行。情報が漏れたことを知った米軍による必死の追跡。視点を次々に切り替えることにより、物語は一気に加速し、サスペンス度は一気に盛り上がっていく。そして逃避行で触れ合う人々を通して知る民族弾圧と人種差別。極限化の状況における人との暖かな触れあい。そして個人の想いを全て切り裂く戦争の悲惨さ。様々な人種・立場の人物を縦横無尽に配置し、繰り広げられるサスペンス。最後まで手に汗握る展開。ここまでやってくれれば文句のつけようがない。そしてエピローグにおける冒険の余韻は、最後まで心に残るだろう。人物配置の巧みさは、結末にまで渡っている。

唯一引っかかるのは、後半部における既視感か。私は特に気にならなかったが、誰かが指摘するかも知れない。確かに原爆投下を巡る冒険小説はいくつか存在する。私は読んでいないが、粗筋だけで判断すると、佐々木譲の某作品は立場こそ違え、設定が似ているかも知れない。しかし読んでいくうちに、そんなことは全く気にならなくなると断言しよう。それぐらい、この作品は面白いのだ。

相変わらずのへたれな感想のため、この作品の良さをストレートに伝えることができなくて作者に申し訳ない。時間がなくて、と言い訳をするけれど、とにかく面白かった、感動したって早く言いたかった。それぐらい見事な作品。今年のベスト10には間違いなく入るだろう……と言いたいんだが、問題は作者の知名度が低いことかな。『審判』も作者の逆知名度が災いして、あんな順位で終わったからな(と勝手に決めつける)。この作品を読まずして、2006年度のミステリを、そして冒険小説を語るな! とここで煽っておく。