平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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深谷忠記『審判』(徳間書店)

審判

審判

1988年11月、小学二年生の少女、古畑麗に対するわいせつ誘拐、殺人、死体遺棄の罪で、柏木喬は懲役15年の一審判決を受ける。裁判長が判決文を読み上げる途中、麗の母である聖子はこう叫ぶ。「法律が死刑にできないのなら、私が犯人を死刑にします!」

2004年、刑務所を出所した柏木は、警察を退職した村上宣之の前に姿を見せるようになる。村上は、逮捕当初から無実を訴えていた柏木から“自白”を引き出した刑事防犯課長であった。柏木は無実を再度訴えると同時に、ホームページを立ち上げ、事件の情報を求める。古畑聖子は別居中の夫からそのホームページの存在を知り、行動を起こす。そんなおり、村上の元部下であった男が殺害され、その嫌疑が村上にもかかった。



深谷忠記は実力がありながら、巡り合わせが悪いのかなかなか評価されないというイメージがある。そんなことを言っている私も一・二作ぐらいしか読んだことがない。「ミステリマガジン」にあった西上心太のレビューで興味を持ち読んでみたが、レビューに書かれていた通り傑作であった。2005年度を代表する作品になる、これは。

柏木、村上、聖子の三人の視点で物語は流れ、緊張感が高まったところで思いがけない殺人事件が起きる。あれよあれよというまに話が進み、本の中程でクライマックスをいきなり迎える。どうなるんだろうと思ったら、全く別の展開を迎えるのだ。さらに物語は二転、三転する。これには驚いた。ありきたりの冤罪問題を取り扱った作品かと思ったら、そんな単純なものではない。「犯人がすぐにわかったから面白くなかった」などという読者がいるかもしれないが、その読者に聞こう。この事件の全貌を予測できたか、と。表と裏、上と下、右と左。表面にみえていた事実がひっくり返ってしまうこの驚きが、本格ミステリの醍醐味である。

この作品はすぐれた本格ミステリであると同時に、もう一つ別の顔を持っている。柏木、村上、聖子の視点で進むこの物語では、後に出てくる犯人の告白も含め、殺人事件と冤罪問題に対する被害者、被害者遺族、加害者、警察の言葉を過不足なく読者に投げかけているのだ。これはすごいことだと思う。今まで書かれてきた多くの作品は、被害者や遺族、もしくは加害者、もしくは警察と、片一方の立場の声だけを高らかに張り上げるものばかりであった。この作品は、そんな“相手のことを全く考えない”作品ではない。事件に関わるべくすべての立場の声を、登場人物の口を借りて発している。誰もが自らの発言を正と考える。そのいずれもが正しい答えであり、そしていずれもが間違いなのだろう。読者はその答えを探し求めなければならない。

久しぶりに心震えるミステリを読んだ気がする。本格ミステリとしての衝撃と、殺人事件・冤罪という社会的問題への叫びという衝撃。この二つの衝撃を受け、さらに人としての重い命題を投げかけてくる本作品に対し、私は“傑作”という言葉しか思い浮かばないのが残念だ。それぐらい私は本作に惚れた。傷があることは否定しないが、それでもミステリ界のここ10年を代表する作品であろう。