平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

トマス・H. クック『緋色の記憶』(文春文庫)

 ある夏、コッド岬の小さな村のバス停に、緋色のブラウスを着たひとりの女性が降り立った――そこから悲劇は始まった。美しい新任教師が同僚を愛してしまったことからやがて起こる“チャタム校事件”。老弁護士が幼き日々への懐旧をこめて回想する恐ろしい冬の真相とは? 精緻な美しさで語られる1997年度MWA最優秀長編賞受賞作。
 1996年発表。1997年アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞受賞。1998年2月、文春文庫より邦訳刊行。

 『死の記憶』『夏草の記憶』に続く記憶三部作第三作。日本では前二作より先に邦訳されている。
 過去を改装しながら事件の真相が読者に明らかになっていくという展開は一緒。本作ではニューイングランドを舞台に、弁護士のヘンリー・グリズウォルドが何十年も昔の1926年8月、チャタム校に美貌の美術教師エリザベス・ロックブリッジ・チャニングが赴任してボストンからのバスで到着するのを、チャタム校の校長で父親のアーサーとともに迎えるところから始まる。
 訳者あとがきでアメリカの書評家がクックを評する言い回し「雪崩を精緻なスローモーションで再現するような」というのは、なるほどと思った。カタストロフィがゆっくりと迫ってきて、それがわかっているのに避けられないまま巻き込まれ、大きな傷を残している。
 実際のところ、チャタム校事件というのが現在の視点で見たらさして珍しいものではない。当時の小さな村だったら大事件であったのだろうが、現在からするとそのギャップに戸惑いを感じてしまう。しかもそのチャタム校事件の詳細がなかなか出てこない。引っ張るだけ引っ張って、これなの、という肩透かしに合ってしまった。もちろん当事者からしたら大問題なのだから、そんな風に思ってしまってはいけないだろうが。
 前二作と比べると、なんかじれったい。悪くはないんだけど。

トマス・H. クック『夏草の記憶』(文春文庫)

 名医として町の尊敬を集めるベンだが、今まで暗い記憶を胸に秘めてきた。それは30年前に起こったある痛ましい事件に関することだ。犠牲者となった美しい少女ケリーをもっとも身近に見てきたベンが、ほろ苦い初恋の回想と共にたどりついた事件の真相は、誰もが予想しえないものだった! ミステリの枠を超えて迫る犯罪小説の傑作。(粗筋紹介より引用)
 1995年、アメリカで刊行。クック名義の第12長編。記憶三部作第二作。1999年9月、邦訳刊行。

 医師のベン・ウェイドが、30年前に起った事件を回想する。それは、初恋の人であるケリー・トロイに係わる痛ましい事件。親友のルーク・デュシャンや妻のノーリーン・ドノヴァンなどの会話と当時の回想が交わり合いながら、事件の真相が明らかになっていく。
 『死の記憶』に続く記憶三部作第二作。過去の事件の回想から、事件の真実が明らかになっていくところは前作と変わらないが、内容は大幅に変わる。
 落ち着いた口調で語られていることが、かえって青春時代の傷が癒えないままになっているところはうまいとしか言いようがない。その傷が、落ち着いた日々を過ごしているのに影を落としたままになっているというのは、不幸としか言いようがない。そんな虚しさがと切なさが、少しずつ読者に染みてくる。
 まだ当時の南部の黒人差別はひどかったのだろうな、とも思わせる作品。それに、田舎の警察があまり動いていなかったのだろうとも思わせる。
 それにしてもこの読者の前に明らかになる結末、驚くというよりも悲しくなってしまった。このやりきれない思い、どこへ向かっていくのだろう。
 ミステリというよりも純文学に近い味わいがある。光が無くなっても、影は残ったままであった。

『お笑いスター誕生!!』の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/star.html
お笑いスター誕生!!」新規情報を追加。

象さんのポットの漫才です。ブラックなネタが多いコンビですが、今回のはブラックだらけ。

夕木春央『絞首商會』(講談社文庫)

 大正時代の東京。秘密結社「絞首商會」との関わりが囁かれる血液学研究の大家・村山博士が刺殺された。不可解な事件に捜査は難航。そんな時、遺族が解決を依頼したのは、以前村山邸に盗みに入った元泥棒だった。気鋭のミステリ作家が書いた分厚い世界と緻密なロジック。第60回メフィスト賞受賞のデビュー作。(粗筋紹介より引用)
 2019年、「絞首商会の後継人」で第60回メフィスト賞を受賞。同年9月、改題して講談社より単行本刊行。2023年1月、一部加筆・修正の上文庫化。

 『方舟』が面白かったことと、もうすぐ出る新作が本作、『サーカスから来た執達吏』と話が繋がっているということで、デビュー作を読んでみた。メフィスト賞受賞なので、いつかは読むつもりだったし。
 舞台は1920年の東京。第一次世界大戦が前年に終わったばかりの不安定な世の中。村山鼓堂博士が外で殺され、自宅の庭まで運ばれていた。内側が血まみれになっていた鞄に入っていた手紙から、村山博士が無政府主義者の国際的秘密結社「絞首商會」に関わっているらしいことを心配した遺族の水上淑子は、かつて村山邸に泥棒に入った蓮野に、事件の謎解きを依頼する。
 物語の最初は事件とそこに至るまでの背景が非常に丁寧に書かれており、逆に読みにくい。蓮野とその友人で絵描きの井口が2章で出てきてから物語は面白くなっていくのだが、硬い文章は変わらないので読みづらさは残っている。村山博士の知人である友人4人が容疑者なのだが、なぜか奇妙な動きを見せるので、事件の真相が見えにくくなっていく展開とその動機はうまいと思った。井口の妻・紗江子の姪・峯子が誘拐されるストーリーも挟むあたりはよく考えられている。その分、タイトルにもなっている「絞首商會」の存在が見えにくくなっているのは非常に残念であった。
 読み終わってみると印象が散漫なのは、何が軸なのかはっきりしないところが大きい。井口や紗江子、峯子が動く分、蓮野の動きが見えにくいせいもあるだろう。ただ、最大の原因は、やはり「絞首商會」の存在をうまく使えなかったところにあると思う。犯人を突き止めるまでの推理展開が面白かったので、非常に勿体なかったと思う。

麻耶雄嵩『化石少女』(徳間文庫)

 学園の一角にそびえる白壁には、日が傾くと部活に励む生徒らの影が映った。そしてある宵、壁は映し出す、禍々しい場面を……。京都の名門高校に続発する怪事件。挑むは化石オタクにして、極めつきの劣等生・神舞まりあ。哀れ、お供にされた一年生男子と繰り広げる奇天烈推理の数々。いったい事件の解決はどうなってしまうのか? ミステリ界の鬼才がまたまた生み出した、とんでも探偵!(粗筋紹介より引用)
 『読楽』2012~2014年掲載。2014年11月、徳間書店より単行本刊行。2017年11月、文庫化。

 京都市の北部に位置し、百年の歴史を誇る名門、私立ベルム学園。由緒ある家柄である神舞まりあは、古生物学部の部長で二年生。末っ子でわがままに育ったまりあは、化石マニアの変人奇人。大雑把な性格で、成績は下から数えてベスト3以内の赤点常連。桑島彰は同じ古生物学部に所属する一年生。普通のサラリーマン一家に育ったが、近所ということでまりあとは幼馴染の関係。彰の父親は、まりあの父親が社長である会社の社員。彰はまりあのお守り役というか従者のようになっていた。人によっては召使とか従僕とまで。
 ベルム学園では部活が乱立し、部室がないという問題が生じていた。荒子武信率いる現生徒会執行部はこの問題を解決すべく、部員数五人未満が三年続いた過疎部を強制的に廃部することとした。古生物学部はわずか二名、しかも対外的な実績なし。荒子会長は夏までに実績を残さないと廃部にすると最終通達してきた。
 犯人らしき人物が警察に通報した、生徒会の不祥事を探る男子新聞部員殺人事件。停電中に一瞬だけ電気が回復したとき、クラブ棟の白壁に殺人中の影が映った女生徒殺人事件。彰のクラスメートで、私鉄叡山鉄道ファンクラブである叡電部男性部員殺人事件。石川県にある学園の宿泊施設で合宿中に発生した、指名手配犯殺人事件。生徒会による旧クラブ棟抜き打ちガサ入れ中の男子生徒墜落死事件。荒子会長の跡継ぎ候補で古生物学部男子新入部員が、鍵のかかった体育用具室内で越された事件。
 ベルム学園で次々と殺人事件が発生。廃部を免れたいまりあは、生徒会をつぶすべく、生徒会役員の一人が犯人だと奇天烈な推理を繰り広げる。
 奇天烈な探偵とワトソン役のシリーズを複数持つ麻耶雄嵩が、またとんでもない探偵を作り出していた。化石マニアの劣等生で、奇人変人として学園中に知られている神舞まりあ。その従者とみられている桑島彰。古生物学部をつぶしたくないという我儘な想いから、まずは犯人が生徒会役員だと決めつけ、そこから推理を無理矢理組み立てるのだ。しかし当然ながら粗が多い。そこを彰に突っ込まれ、人前で推理を披露することなく終わってしまう。そんな話が六つもあるのだ。
 まずは犯人を決めて、そこから逆算で推理を繰り広げては、「化石バカ」「赤点頭」「赤点ツンデレ先輩」「友達がいない」「赤点推理」などと罵倒され、従者みたいなワトソン役にやり込められる名探偵がいるだろうか。ここまで力関係が逆なのも珍しいと思う。
 実際のところ、推理に無理矢理なところが見受けられるし、そもそも想像、というか妄想を広げる形の推理なので、謎解きの楽しさはあまり見られない。しかも一部の事件では犯人が捕まらないまま終わっており、普通だったら学園閉鎖になってみんな転校してるんじゃないか、などというツッコミは置いておいたとしても、罪悪感が全く見られないというのも奇妙である。まあ、この曖昧な推理と結末も含めて、これが麻耶雄嵩だと言ってしまえばそれまでなんだろうが。
 続編『化石少女と七つの冒険』が好評と聞いたので、とりあえず最初から読んでみようと思って手に取ってみた。登場人物のキャラクターは立っているのに、もやもやだけが残るような作品だった。麻耶雄嵩にしては読み易いので、麻耶ワールドの入り口としては最適かもしれない。