平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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岡田秀文『黒龍荘の惨劇』(光文社文庫)

 明治二十六年、杉山潤之助は、旧知の月輪(がちりん)龍太郎が始めた探偵事務所を訪れる。現れた魚住という依頼人は、山縣有朋の影の側近と噂される大物・漆原安之丞が、首のない死体で発見されたことを語った。事件現場の大邸宅・黒龍荘に赴いた二人を待ち受けていたのは、不気味なわらべ唄になぞらえられた陰惨な連続殺人だった――。ミステリ界の話題を攫った傑作推理小説。(粗筋紹介より引用)
 2014年8月、光文社より書下ろし刊行。2017年11月、光文社文庫化。

 『伊藤博文邸の怪事件』に続く探偵月輪(がちりん)龍太郎シリーズ2作目。前作から10年後の設定となっており、杉山潤之助は千葉で役所勤めをしており、月輪龍太郎は静岡の官職を昨年辞して上京し、銀座で「月輪萬相談所」という探偵事務所を開き、氷川蘭子という二十歳くらいの旧旗本家の令嬢を助手にしており、さらに数人日雇いの助手も使っている。
 事件が起きたは、山縣有朋の元側近と噂され、政界の黒幕でもある漆原安之丞の大邸宅・黒龍荘。脅迫状が届き、漆原本人はすでに首のない死体で発見されている。黒龍荘には他に秘書、友人の医者、病気で座敷牢に閉じ込められている従兄弟、そして4人の妾が住んでいる。漆原の妻は1年前、用心棒の男とともに失踪していた。杉山と月輪は黒龍荘に泊まり込み、さらに警察が周りを警備しているにもかかわらず、次々と殺人事件が発生。しかも漆原の村に伝わる不気味なわらべ唄をなぞるように。
 明治時代の大屋敷を舞台にした見立て殺人。本格ミステリファンなら震えて喜びそうな設定である。謎の連続殺人事件が発生し、警察も探偵も翻弄される。おまけに歴史上の人物も物語に絡み、歴史的事実や明治政府の舞台裏が絡んでくるのだから、期待するのも当然だろう。途中までは実に読み応えがあった。しかし読み終わってみると、なんか違う、と言いたくなる終わり方だった。
 はっきり言って、とんでもない結末である。手口としては現実の事件例もあるから可能ではあるだろうが、推理する手がかりはどこに見当たらない。一応それらしい情報はあるけれど、この結末までつなぐエレメントがない。月輪がここまでどうやって推理できたのか、よくわからない。
 道具立ての面白さに比べ、トリックや解決が物足りない、というか説得力が今一つ。本格ミステリカタルシスを得られる作品ではなかった。しかしまあ、形容しづらい作品ではあった。怪作とはいえるだろう。アクロバティックではない奇妙な難易度の大技を見ることができる作品ではある。

フレデリック・フォーサイス『戦争の犠牲者』(角川文庫)

 マクレディは、難問をかかえてトム・ロウズを訪ねた。かつての優秀なスパイは一切の諜報活動と縁を切り、妻と二人で静かな作家生活を送っていた。マクレディは、ある事件を解決するよう彼に申し入れた。西側に復讐を企てるリビアカダフィ大佐が、IRAのテロリスト・グループを使ってロンドンを襲おうとしているのだ。リビアからの武器輸送ルートを探り、悲劇を未然にくいとめなければならない。マクレディは、要請に難色を示したロウズに、敵がロウズのかつての宿敵であることを告げた――。“最後のスパイ小説”マクレディ・シリーズ四部作第三弾。(粗筋紹介より引用)
 1991年、イギリスで発表。1991年11月、角川書店より邦訳単行本刊行。1993年2月、文庫化。

 イギリス秘密情報機関SISのベテラン・エージェント、DDPS(「欺瞞、逆情報及び心理工作」部)部長、通称騙し屋ことサム・マクレディ四部作の第三作。1987年春が舞台である。アラブの反欧米派のトップであり、テログループ支援を行っていたとされるカダフィ大佐を暗殺すべく、アメリカのレーガン大統領が1986年4月に行ったエメラルド・キャニオン作戦が始まり。暗殺から逃れたカダフィ大佐が復讐のために、IRAのテロリストグループに大量の兵器を渡し、ロンドンをテロ攻撃する計画が進んでいた。それを阻止するために、マクレディが出陣する。
 スパイが対峙すべき相手がソ連や東欧諸国からアラブに変化していくことを象徴するような作品ではある。ただ、もう少しロウズに対して疑いの目をもたないのだろうか、という疑問は残る。いくら優秀とはいえ、すでに引退している元スパイが、ここまでうまく立ち回ることができるだろうかとも思う。逆に言うと、アラブ側がまだそこまで対スパイの経験値が乏しかったということなんだろうか。
 ただ、“戦争の犠牲者”という言葉は重かった。確かに一方から見たら間違いとしか思えない思想、行動であっても、反対側から見たら正義に見えてしまう。そんな人たちの行動が、新たな犠牲者を生んでゆく。そんな悲しさがここにあった。
 ちょいと中弛みした感はあるが、対KGBと比べて作者の筆がそこまでのらなかったという気もする。もちろん、十分に読める作品ではあるのだが、前二作に比べるともう一つだったかな。

伊坂幸太郎『ホワイトラビット』(新潮社)

 その夜、街は静かだった。高台の家で、人質立てこもり事件が起こるまでは。SIT(特殊捜査班)に所属、宮城県警を代表する優秀な警察官も現場に急行し、交渉を始めるが――。逃亡不可能な状況下、息子への、妻への、娘への、オリオン座への(?)愛が交錯し、緊張感はさらに増大! しかし読み心地は抜群に爽快! あの泥棒も登場します。(帯より引用)
 2017年9月、書下ろし刊行。

 仙台で起きた人質立てこもり事件、通称……でもなんでもない「白兎事件」。まさに神の視点で物語は進んでいく。登場人物の誰もが何かを隠している。みんな悪人なのに、なぜか嫌いになれない。あっ、一人いい気味だと思った人がいたけれど。いったい何が本当で、何が嘘なのだか。眉に唾を付けて読み進めても、最後は作者に翻弄される。
 まあ、ある意味ずるいと言えるような作品。こんなに滅茶苦茶やって、面白い作品にしてしまうのだから。伊坂マジック炸裂! というところだろう。

ジェフリー・ディーヴァー『スリーピング・ドール』上下(文春文庫)

 他人をコントロールする天才、ダニエル・ペル。カルト集団を率いて一家を惨殺、終身刑を宣告されたその男が、大胆かつ緻密な計画で脱獄に成功した。彼を追うのは、いかなる嘘も見抜く尋問の名手、キャサリン・ダンス。大好評“リンカーン・ライム”シリーズからスピンアウト、二人の天才が熱い火花を散らす頭脳戦の幕が開く。(上巻粗筋紹介より引用)
 抜群の知能で追っ手を翻弄しながらダニエル・ペルの逃走は続く。彼の行動の謎を解明するため、キャサリン・ダンスはカルト集団の元<ファミリー>、そしてクロイトン一家惨殺事件のただ一人の生存者、次女・テレサ接触を試みる――。サスペンスフルな展開の末に訪れる驚愕の終幕まで、ノンストップで駆け抜ける傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
 2007年、発表。2008年10月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2011年11月、文春文庫化。

 リンカーン・ライムシリーズ第7作『ウォッチメイカー』で登場し、あのライムをも唸らせた美貌の人間嘘発見器、キネシクスのスペシャリスト、キャサリン・ダンスを主人公としたスピンアウト作品。ライムもほんのちょっとだけ登場する。
 “マンソンの息子”の異名を取り、熱狂的な信奉者の集団“ファミリー”を率いた絶対的な支配者だったダニエル・レイモンド・ペルは、クロイトン一家殺害事件で一家四人を殺害した謀殺、さらに“ファミリー”の男性一人を現場で殺害した故殺の罪で終身刑の判決を受けた。
 それから8年後。10年前に起きた未解決の男性農場主殺人事件の凶器が発見され、ペルの指紋がついていた。ペルはキャプトーラ刑務所からモンテレー郡裁判所に連れられ、キャサリン・ダンスの尋問を受ける。ペルは無罪を主張。ダンスは違和感を抱き、凶器が発見された経緯を調べ、それが仕組まれたものだと気付く。しかし間に合わず、ペルは外の手助けを借り、刑務所より警備が薄い裁判所から脱獄した。
 追われつつ、犯行を重ねて逃亡を重ねるダニエル・ペル。キャサリン・ダンスは捜査を指揮するとともに、当時の“ファミリー”でペルと一緒に暮らしていた女性3人を集めてペルの実像を調べるとともに、惨殺事件の唯一の生存者、次女テレサ接触を試みる。
 逃げるものと、それを追いかけるもの。天才と呼ばれる二人の知力と知力のぶつかり合い。サスペンスあふれるノンストップの展開。そしてディーヴァーお得意のどんでん返しの連鎖。ディーヴァーならではの展開ではあるが、特に本作品の“どんでん返し”は見事と言いたい。ライムシリーズの物的証拠を重ねていく捜査とは逆に、人間心理の分析も含めた心理闘争を軸にした逃亡劇だと思って読み進めていたが、あっと驚かされる見事な反転劇は、ディーヴァー作品の中でもトップクラスといっていいだろう。振り返ってみると作品の至る所に伏線が引かれているのだが、それを全く気付かせない作者の筆遣いは大したもの。その分、ラストの展開がやや蛇足に思えてしまう事になったのはちょっと残念。
 新シリーズ1作目としては、全く問題のない出来だろう。ダンスを囲む魅力あふれる登場人物、会話のやり取りも楽しめる。次の作品も早く読みたくなった(ということで、次に取り掛かりたいのだが、どこに収めているのかわからないのである)。

ピーター・スワンソン『だからダスティンは死んだ』(創元推理文庫)

 そのふた組の夫婦は、よく晴れた風の強い日に、屋外パーティーで知り合った。――版画家のヘンは、夫のロイドとともにボストン郊外に越してきた。パーティーの翌週、二人は隣の夫婦マシューとマイラの家に招待される。だがマシューの書斎に入ったとき、ヘンは二年半前のダスティン・ミラー殺人事件で、犯人が被害者宅から持ち去ったとされる置き物を目にする。マシューは殺人犯だと確信したヘンは彼について調べ、跡をつけるが……。複数視点で語られる物語は読者を鮮やかに幻惑し、衝撃のラストへなだれ込む。息もつかせぬ超絶サスペンス!(粗筋紹介より引用)
 2019年、発表。作者の第五長編。2023年1月、創元推理文庫より邦訳刊行。

 版画家、児童書の挿絵画家であるヘンリエッタ(ヘン)・メイザー。その夫で広告業者の会社員であるロイド・ハーディング。隣に住んでいるのは、サセックス・ホール高校の教師であるマシュー・ドラモアと、その妻で教育ソフトウエア会社の社員であるマイラ・ドラモア。ロイドとヘンがマシューたちの家に招待された時、ヘンはマシューの書斎でフェンシングのトロフィーを見つけて気を失いそうになる。そのトロフィーは、二年半前に殺された大学生ダスティン・ミラーの部屋から盗まれたものの一つだったからだ。そしてダスティンは、サセックス・ホール高校の卒業生であった。
 最初はヘンとマシューの視点が交互に変わりつつ、物語は進む。ヘンはマシューを疑い、マシューはそのことを知っている。さらにマイラ、ロイド、そしてマシューの弟・リチャード・ドラモアの視点も加わる。この場面転換の切り替えが非常に巧みで、物語が進むにつれてサスペンスが増し混迷が深まっていく展開は見事というしかない。
 疑う人物と疑われる人物。それを取り巻く人物たち。登場人物たちが傷と闇を抱えており、そのことが物語に複雑さを増していく。読者の予想できない展開、そして読者の予想できない登場人物の行動。結末までノンストップで物語は進み、さらに肩透かしを食らったと思った瞬間に新たな驚愕が待ち受けている。
 タイトルのつけ方も巧い。原題は"Before She Knew Him"。邦題は『だからダスティンは死んだ』。このどちらもセンスにあふれている。それは読み終わってみると、納得するだろう。
 早くも今年のベスト候補登場といってもいいだろう。過去のスワンソンの作品は『そしてミランダを殺す』『アリスが語らないことは』しか読んでいないが、その二作よりも面白かった。