平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』(文春文庫)

 18世紀のパリ。孤児のグルヌイユは生まれながらに図抜けた嗅覚を与えられていた。異才はやがて香水調合師としてパリ中を陶然とさせる。さらなる芳香を求めた男は、ある日、処女の体臭に我を忘れる。この匂いをわがものに……欲望のほむらが燃えあがる。稀代の“匂いの魔術師”をめぐる大奇譚。全世界1500万部、驚異の大ベストセラー。(粗筋紹介より引用)
 1985年、ドイツで発表。1988年12月、文藝春秋より邦訳単行本刊行。2003年、文庫化。

 

 ありとあらゆる匂いを嗅ぎ分けることができる男、ジャン=バティスト・グルヌイユの一代記を綴った物語。もちろん、空想の人物だが。性にも食にも衣にも金にも興味はなく、苦痛にも何も感じず、ただ匂いについてのみに執念を傾ける男。舞台が18世紀のパリということもあり、当然のように香水作りに手を染め、瞬く間にありとあらゆる香水をつくるようになり、最高の香水を作るために若い女性を殺して処女の香りを集めていくようになる。
 グルヌイユという人物、ある意味で純粋である。なにしろ匂いのこと以外には何も必要がないからだ。グルヌイユという人物、ある意味で冷酷である。匂いのこと以外には何も必要ないから、何もかも切り捨てていく。彼の生涯に関わり、彼の能力を利用していった者たちは不幸な末路を迎えることになる。主人公であるグルヌイユは、悪人である。ただ本人は、自分の行動が悪であるとは何も思っていない。ただ自らの目的を達成するために一途に生きてきた結果だからだ。変な話だが、そんな主人公に共感してしまった。周りを取り巻く人物があまりにも醜悪で滑稽だからかもしれない。
 香水の文化が発達した、当時のフランスならではの物語。時代背景をうまく取り込んだ物語であり、そして居間につながる当時の文化や歴史を皮肉った物語でもある。ベストセラーになるのもわかる。悪事に手を染めるとはいえ、主人公の成長物語でもあったからだ。面白くて一気に読んでしまった。
 2007年に『パフューム ある人殺しの物語』のタイトルで映画化されたらしいが、最後までちゃんと映像化したのだろうか。何とも衝撃的な最後なのだが、あそこまで演じてもらわないと、本書の面白さと感動が伝わらないだろう。

水上勉『水上勉社会派短篇小説集 無縁の花』(田畑書店)

 本書は水上勉が一九六〇年から一九六三年の間に書いた短篇小説から九作品を選んで編んだものである。
 この時代の水上は『霧と影』(一九五九年)でいわば二度目のデビューを飾り、『海の牙』(一九六〇年)で日本探偵作家クラブ賞を、『雁の寺』(一九六一年)で直木賞を受賞、そして『飢餓海峡』(一九六三年)を発表するという充実期に入っていた。読書界は推理小説ブームを迎えており、その中で過去の『フライパンの歌』(一九四八年)のような私小説路線から松本清張と並ぶ社会派推理小説(当時の言い方だと「社会派」)の作家へと転じた水上は、一躍売れっ子作家となったのである。
 本書に収めたのは、この「社会派」時代に数多く発表された短篇小説である。『飢餓海峡』が代表的だが、水上の社会派推理小説には長編に傑作が多いことが知られている。しかし、こららと並行して矢継ぎ早に発表された短篇にも、現代から見て価値の高いものが多い。これらは多くが絶版でまたおそらく水上の意思で全集未収録であったが、そのまま埋もれさせるには惜しいと考え新編集での単行本化を企画した次第である。
 現代の推理小説はトリックの面白さ、謎解きの見事さを競ういわゆる「本格」の系譜に人気の中心があるようだが、これに対して「社会派」は犯罪者がその事件を起こした動機を重視するもので謎ときに主眼はない。さらに、当時の「社会派」は純文学と大衆文学の間を狙った「中間小説」の成立の中で、間口の広い芸術小説を目指した、いうなれば戦後の「純粋小説」(横光利一)運動であり、ルポルタージュなど小説以外の作品をも包含する呼称であった。とりわけその一翼を担った水上の「社会派」小説は、純粋なジャンル小説とは異なる物語性や問題意識に満ちている。そのような認識から、本書のタイトルには現在一般に用いられている「社会派推理小説」「社会派ミステリー」ではなく「社会派」のみを冠することとした。(「刊行にあたって」より抜粋)

 

 昭和20年2月24日の大雪の朝、日本海側のP県S郡にある猿ヶ嶽国民学校の家政科教師津見菊枝は山上にある分教場に向かっていた。出発したはずの津見が、助教水島勇吉と生徒が待つ分教場に着いていないことがわかったのは雪がやんだ27日のことだった。津見は分教場に向かう途中の山の窪地で死体となって発見された。昭和19年4月から、途中入隊除隊を挟んで20年9月まで、故郷の青郷国民学校高野分校に代用教員として勤めた水上自身の体験を基に書かれた作品。「雪の下」。
 昭和12年11月末の夜、京都の六孫王神社で起きた殺人事件。偶然現場を通りかかった近所の屑物回収業の田島与吉は、落ちていた凶器の包丁を拾ったことから殺人犯として逮捕される。冤罪は晴れたが、厳しい検事の取り調べで衰弱した与吉は、釈放後一人娘で6歳の蝶子を残し死亡。20年後、成長した蝶子は上七軒で芸妓となっていた。「西陣の蝶」。
 福井県大飯群岡田の西方寺に残る無縁仏の過去帳。そこに書かれていた昭和12年5月に縊死した女性の身元の手がかりは「宮川町、島」と書かれていた御守りのみ。同じ頃に京都で青春時代を過ごし、宮川町遊郭でも遊んだことのある作者はその縁から彼女の身元を調べ始める。当時の巡査を訪ねた作者は、女性がある男性のもとを訪ねていたことを知る。「無縁の花」。
 疎開先から終戦早々に上京し、浦和に住みはじめた瀬野誠作きみ子夫妻。昭和23年、失職した誠作に代わってきみ子は日本橋ダンスホールに勤め、人気を呼び、羽振りが良くなる。きみ子は、故郷から姉を呼び、浦和の崖下の一角に家を建てることを考える。そんな時、きみ子はダンスホールの常連客佐沼からあることを頼まれる。昭和23年、神田から浦和に移り住んだ水上の体験をもとにした作品。「崖」。
 昭和20年8月1日、第二小隊第五分隊所属の瀬木音松は、宇治黄檗山万福寺に向かって行軍をしていた。招集されたばかりの寄せ集め部隊には、左眼に大きな傷を負った片目の男がいた。休憩中、彼は自分の眼を傷つけたのは畠山軍曹だと話し、強い憎しみを瀬木に語る。休憩後、行軍が再開されてしばらくすると、部隊後方から叫び声が聞こえてきた。昭和19年に召集され輜重隊に所属した時の体験をもとにしている。「宇治黄檗山」。
 昭和3X年10月12日の夕刻、佐渡の宿根木から沖に漕ぎ出た漁師が、岩陰に浮かぶ大きな木箱を発見する。中から現れたのは美しい女性の絞殺死体だった。現場に駆けつけた新潟県警の多田利吉は、女性が着ていたゆかたを唯一の手がかりに捜査を開始する。と同時に新潟大学の内浦保教授から、民間伝承として伝わる死体を入れた舟「うつぼ舟」の孫自在を知らされる。「うつぼの筐舟」。
 福井県南部の山岳地帯の寺泊部落に住む古茂庄左とさと夫妻。渓下の日蔭田のつらい労働にも仲良く精を出す評判の夫婦だった彼らだったが、ある時以来、さとの姿が見えなくなっていた。近所の人が庄左に問いただすと、さとは神護院に参詣に行って留守なのだと答えた。だがいつまでも帰ってこないことを不審に思った知人が家を訪ねると庄左は意外な言葉を口にした。水上本人が気に入っている作品で、作中の沼や田んぼは幼少時代の記憶をもとにして書いたのだという。「案山子」。
 昭和26年4月26日に那智滝に無理心中した二人の男女。男は輪島に住む漆工、女は京都燈全寺塔頭昌徳院住職の妻だったという。二人の接点はどこにあったのか。「那智滝投身人別帳」を読んだ作者は、そこに書かれた情報をもとに、生前の二人の足取りを調べ、その結果を語り始める。「奥能登塗師」。
 昭和1X年の10月2日、京都にある真徳院は17歳の少女によって放火された。京都神崎村出身の孤児だった彼女は、真徳院近所の下駄屋で下女をしていた。片目が不自由だが美しい彼女は真徳院に散歩に出かけるうちに、ある一人の寺の小僧と親しく言葉を交わすようになっていた。この作品は昭和37年に起きた壬生寺の放火事件から着想を得て書かれている。「真徳院の火」。(すべて粗筋紹介より引用)
 他に角田光代「序 時代と場所と水上勉」、野口富士男による水上論「慕情と風土」を収録。
 2021年10月、刊行。

 

 「社会派」の代表的作家であった水上勉の、全集・単行本未収録を含む社会派短編小説傑作選。
 作者の生まれ故郷である福井県、そして最初に奉公に出された京都を舞台にした作品が多い。ここに出てくる登場人物は、いずれも弱者ばかりである。それも時代や地域、慣習などに縛られた人が多い。そして弱者は最後まで弱者である。そんななか、懸命に生きてきた証と、絶望の果てに手を染めることになった殺人。水上勉は、弱者の悲哀と叫びを書き続けてきたのではないか。そんなことを考えさせられる短編集である。
 確かにミステリに謎とトリックを求める読者からしたら物足りないかもしれない。しかし、小説には人が出てきて、人にはそれぞれの歴史と感情がある。それは日本の歴史には全くかかれない歴史であろう。だがそんな小さな歴史の積み重ねで、世の中は動いている。歴史から見たら名もなき人たちの叫びを、我々は読むことができる。そんな幸せをかみしめられる短編集である。

仁木悦子『冷えきった街/緋の記憶』(創元推理文庫 日本ハードボイルド全集第4巻)

 〈日本ハードボイルド全集〉第四巻には、仁木悦子の私立探偵・三影潤ものから厳選した傑作・秀作を収めた。資産家の竪岡家に相次いで降りかかる変事の解明に乗り出した三影の眼前で起きる悲劇の顛末を書く、シリーズ唯一の長編「冷えきった街」に、著者の得意とする子供を題材にした短編「しめっぽい季節」「美しの五月」、女子大生の見た夢が契機となる依頼が思わぬ展開を呼ぶ「緋の記憶」など五短編を収録。端正な私立探偵小説とハイレベルな謎解きを両立させた、仁木ハードボイルドの精髄を集成する。巻末エッセイ=若竹七海/解説=新保博久。(粗筋紹介より引用)
 2022年4月、刊行。

 実を言うと、『昭和ミステリー大全集 ハードボイルド篇』(新潮文庫)に収録された「どこかの一隅で」を読むまで、三影潤という私立探偵を全く知らなかった。仁木悦子がハードボイルド作品を書いていることも知らなかった。ただこの一編を読んだだけでは、これといった印象を持ち合わせなかった。『わが名はタフガイ』(光文社文庫)にも「美しの五月」が入っているが、こちらについても特に強い印象はない。
 ハードボイルドに決まった形はないと思う。別に私立探偵がタフである必要はないと思うし、利いた風な言葉を発しなくてもいいと思う。社会への怒りとかが必要であるとも思わない。とはいえ、一人称視点で私立探偵が出てきたらハードボイルドというわけでもないと思う。じゃあハードボイルドってどう定義すればいいのだろう。ハードボイルドであるかどうかということは、作品の価値には関係ないと思う。ただ、これが日本ハードボイルド全集に含まれるかどうか、ということになると話は別だ。だが若竹七海のエッセイや新保博久の解説を読んでも、さっぱりわからなかった。
 三影潤という探偵は、広告代理店の会社員時代に妊娠中の妻が襲われて殺害されたという暗い過去を持っている。酒浸りの毎日だったが、たまたま見かけた探偵社の広告を見て再就職し、後に同僚であった桐崎秀哉と桐影秘密探偵社を共同経営する。
 三影の性格や暗い過去、一人称視点、そして事件を追う三影の行動や心理状況などを見ると、ハードボイルドと定義してもおかしくはない。ただ、どこか違う感じがする。個人的にハードボイルドって、時代を映す鏡みたいなところがあると思っているのだが、本シリーズは時代背景に関しては希薄である。逆に言うと、今読んでも古臭さは全く感じない。『冷えきった街』が、そしてこの三影潤シリーズがハードボイルドであると言い切れる自信が私にはない。ただ、端正に書かれたシリーズだと思うし、面白い本格ミステリであることも間違いではない。この一冊を機会に、再評価されてもいいと思う。

渕正信『王道ブルース』(徳間書店)

 全日本一筋で来たプロレス人生。ジャイアント馬場ジャンボ鶴田から直接「王道」を受け継いだ男が老舗団体の激動の真相を始めて記す。全日本プロレス50周年記念出版。●「鶴田友美」といきなり30分スパーリング ●「クーデター未遂事件」の真実 ●「モハメド・アリジャンボ鶴田」 ●私は見た「馬場さんと猪木さんの真の関係」 ●ザ・シークとブッチャーに助けられる ●「天龍革命」は正直、キツかった ●鶴田さんが「四天王」を叩き潰すことの意義 ●ラッシャー木村さんのマイク」でモテ期到来!? ●「俺が泣いたのはあの時だけだ」馬場さんの絶句 ●馬場さんを最後に見た日 ●三沢に詰め寄った「鶴田さん追悼」への違和感 ●川田、渕、2人だけの全日本プロレス ●敵地・新日本プロレスに乗り込む(帯より引用)
 2022年3月、刊行。

 

 渕は大学を一年で中退し、北九州から上京。茅ケ崎でアパートを借りてアルバイト生活。1973年3月、全日本プロレスの事務所を訪れた次の日に、当時の練習場だった山田ジムでジャンボ鶴田とアマレスのスパーリング。さらに入門テストを受けた。それから2週間、毎日通い、当時のコーチであるマシオ駒から合格をもらう。地方巡業中の八戸大会のバトルロイヤルでデビュー。しかし父親が倒れたとのことで実家に帰る。しかし鶴田凱旋帰国のニュースを見て再びプロレスへの情熱が高まり、半年後に茅ケ崎のアパートに戻る。1974年4月10日、馬場のもとへ挨拶に行き、翌日、再入門。そういう経緯から、渕が再入門前に入った大仁田厚は後輩でもあり、先輩でもある。4月22日、大仁田厚戦でデビューする。
 内容としては、今までのふちがインタビューで語ってきたことをまとめたという印象。プロローグでは、柔道の元全日本チャンピョンの岩釣兼夫との5分間のスパーリングとなり、渕が優勢のまま終わってしまい、岩釣がヘロヘロになった話が書かれている。この先は知らなかったが、来日していたコシロ・バジリ(アイアン・シーク)とスパーリングを行い、岩釣が柔道技で投げた瞬間、下からタックルを決められ、腕を関節技で決められてタップしたという。
 江ピローグで「俺は悪口は言わない。死んだ人間を悪者にするような真似はしたくないからな。だから、全然面白くない本になると思うけど、それでよければ出してくれよ」と出版社に言ったと語っている。その通りで、本書では出てくる人たちの悪口は出てこない。渕自身がいい人だからなんだろうが、自分が見た馬場、鶴田、天龍、四天王達のエピソードを披露しており、そこに悪口も悪意もない。海外修行では苦汁をなめたこともあっただろうに、悪口は一つもない。さすがに当時の新日本プロレスに対しての批判があるし、長州力たちのハイスパートプロレスに対して受け身もできずスタミナもない、という評はあるものの、悪口はない。新日本と全日本の、練習やプロレスに対する考え方の違いについても興味深かった。いざという時の対処についても心構えができているところはさすがと思った。
 当時の「善戦マン」だった鶴田の苦悩のあたりは、読んでいてとても興味深い。鶴田の本音が出ている部分である。また、ラッシャー木村のボヤキはいろいろと考えさせられるものがあった。「今考えたら、こんなの(額の傷)何にもなんないな。マイクの方がよっぽどお客が喜ぶんだから――」。国際プロレス時代を悔やんでいるわけではないだろうが、それでも一種の虚しさがあったのかもしれない。
 エピローグで語られる、ザ・デストロイヤーザ・ファンクスアンドレ・ザ・ジャイアント、スタンハンセンとの日本最後の試合の相手は渕。馬場も鶴田も、マシオ駒の最後の試合は渕だった。これについてはどういうつもりで書いたのかはわからないが、渕にとっても思うところがあったに違いない。
 さすがに武藤時代以降の全日本プロレスについてはほとんど触れられていない。やはり渕にとって、全日本プロレスとは馬場であり、鶴田であったのだろう。すでにリングに上がるのは時たまという状況だが、それでも全日本プロレスを愛し続けてリングに上がり続けたのは、レスラーとしては渕だけである。これからも渕には色々と語ってほしいものである。今、馬場や鶴田について深く話せる日本人プロレスラーは、渕だけなのだから。

デズモンド・バグリイ『敵』(ハヤカワ文庫NV)

 英国の某情報部に勤務するジャガードは聡明な生物学者ペネローペ・アシュトンと婚約した。だがその幸福もつかの間、彼女の妹が何者かに硫酸を投げつけられるという事件が発生する。ジャガードは犯人の捜査を開始するが、やがて奇怪な事実を探り当てた。ペネローペの父ジョージ・アシュトンの経歴が情報部で最高機密になっているのだ! 黒い噂ひとつない富裕な実業家の彼がなぜ? 謎が深まる中、突然アシュトンが失踪した。情報部の命を受けたジャガードは彼を追って厳寒のスウェーデンへ飛ぶが……バグリイ自身が最高傑作とする大型冒険小説。(粗筋紹介より引用)
 1977年、英国で発表。作者の第十一長編。1981年2月、早川書房より邦訳、単行本刊行。1986年4月、文庫化。

 

 バグリイは『高い砦』しか読んだことが無い。帯で「著者自身が最も好きな作品にあげている」と書いていたので、手に取ってみた。
 主人公のマルコム・ジャガードはイギリスの諜報部員が、失踪した婚約者の父親、ジョージ・アシュトンを追いかける、という話だが、実はアシュトンの過去は、イギリスの最高機密であった。失踪したアシュトンを追いかけてスウェーデンに飛ぶマルコム。まあ、そこまでは楽しんで読むことができたのだが、全く考えてもいない展開に進んでいき驚かされた。しかもその展開があまり面白いものではない。婚約者の父親の行方を捜してピンチを救う、という展開だと思っていたのに、その裏に隠された真相が明後日の方向を向いているのだ。
 なんというか、読みたかった冒険小説はこういう方向じゃないんだよな、という感じ。こんな終わり方でいいんだろうか。作者、迷走していないか、と聞きたい。そりゃディティールとかはよく描かれているし、迫力や緊迫感はあるところはさすがだと思ったけれど。