平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

R・V・ラーム『英国屋敷の二通の遺書』(創元推理文庫)

 植民地時代に英国人が建築し、代々の主が非業の死を遂げたと伝えられるグレイブルック荘。元警察官のアスレヤは、現主人であるバスカーの招待でこの屋敷を訪れた。財産家の彼は何者かに命を狙われており、数々の事件を解決へ導いたアスレヤの助力を求めたのだ。バスカーは二通の遺書を用意していた。どちらが効力を持つのかは、彼の死に方によって決まる。一族の者と隣人たちが集まり、遺書が彼らの心をざわつかせるなか、ついに惨劇が! アスレヤは殺人事件と屋敷をめぐる謎に挑む。インド発、英国犯人当てミステリの香気漂う精緻な長編推理。(粗筋紹介より引用)
 2019年、ハーパーコリンズ・インディアから刊行。2022年3月、邦訳刊行。

 

 作者はインド生まれで、コンサルタントとして永年活動。2014年に作家デビュー。本作は初の犯人当てミステリで、2020年にはアメリカ、2021年にはイギリスで刊行された。
 インドの南部にあるタミール・ナードゥー州、ニルギリ丘陵にあるグレイブルック荘が舞台。地崩れで道が封鎖された屋敷の敷地にある礼拝堂で、殺人事件が発生する。招待されていたアスレヤが事件解決に挑む。
 読んでいて思ったのは、古き良き英国本格ミステリの香りである。スタンダードすぎる舞台。当主の息子や甥、姪たちに加え、地元の村人たちが集うという、動機がありそうな面々がそろうパーティー。紳士的な名探偵が、殺人事件だけではなく、屋敷を取り巻く謎を解き明かす。まさに古典といってもいい設定である。ただ、地崩れで封鎖された道はすぐに復旧されて警察はやってくるので、そこはちょっと残念。
 ちょっと気に入らないのは、後出しの情報が多いところ。それも名探偵役のアスレヤが、どうやって推理して探させたのだろうかと思う情報が次々に出てくる。警察だったら地道に多くの道をしらみつぶしに探すところを、地図も無しに解決まで近道を一直線に進んでいくところがどうしても気になった。結局大した推理もなく、探し当てた情報だけで解決してしまうし。帯には「犯人当て」と書かれているけれど、読者が推理で犯人を当てるのは無理だよね、これ。
 ただその点を除けば、読んでいて楽しかった。黄金時代の書式に沿って書かれたとしか思えないぐらい、本格ミステリの舞台と登場人物たちが丁寧に書かれている。ここまで基本通りに書かれた作品を読むと、逆に面白い。インドが舞台という点が新鮮であるからだろう。
 古き良き本格ミステリの雰囲気を楽しみたい人にはお勧めしたい一冊。アスレヤシリーズの続編もすでに出ているとのことなので、邦訳を待ちたい。

河野典生『他人の城/憎悪のかたち』(創元推理文庫 日本ハードボイルド全集第3巻)

 妹の真理を探してほしい――作家の高田は、三村という青年医師から依頼される。真理は、高田が以前書いたルポルタージュに登場する女性だった。捜査の過程で、関係者の死体や三村家の内情などに直面する高田だが、真理本人にはなかなかたどりつかない……。一見ありふれた失踪事件が忘れがたき余韻を残す直木賞候補作の長編『他人の城』に加え、五つの傑作短編を収録。日本独自のハードボイルドを生み出すことに極めて意欲的であり、人物・構成・文体とあらゆる面で模索を続けた河野の初期代表作を集成する。巻末エッセイ=太田忠司/解説=池上冬樹。(粗筋紹介より引用)
 2022年1月、刊行。

 

 正統派ハードボイルドの第一人者であった河野典正の代表作を集めた一冊。長編の代表作の一つ『他人の城』は、ロス・マクドナルド風のハードボイルドを自らの作風として取り込み、日本ならではのハードボイルドを生み出すことに成功した輝かしい作品である。
 戦後の混乱によって生み出された者たちが織り成す悲劇を、ハードボイルドの視点で書かれた作品群は、時代背景こそ古いかもしれないが、今読んでもその光の輝きを失っていない。
 ただ作者は、徐々に純文学や中間小説、SFなど様々な作品を書くようになり、『アガサ・クリスティ殺人事件』のような本格推理小説の傑作も残している。できれば後期にも名を残すようなハードボイルドの傑作を描いてほしかったと思うのだが、これは単に私の見識不足だろうか。

若竹七海『錆びた滑車』(文春文庫)

 女探偵・葉村晶は尾行していた老女・石和梅子と青沼ミツエの喧嘩に巻き込まれる。ミツエの持つ古い木造アパートに移り住むことになった晶に、交通事故で重傷を負い、記憶を失ったミツエの孫ヒロトは、なぜ自分がその場所にいたのか調べてほしいと依頼する――。大人気、タフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。(粗筋紹介より引用)
 2018年8月、書下ろし刊行。

 

 「仕事はできるが不運すぎる女探偵」葉村晶シリーズ第五作となる書き下ろし長編。
 尾行中に喧嘩中に階段から落ちてきた二人に巻き込まれ、怪我をする葉村。冒頭から不運としか言いようがない。おまけに建て替えのためにシェアハウスを引越ししなければならない。その後も色々と不運な出来事に巻き込まれ、挙句の果てに報酬を超えた働きを続けなければならない。怪我も負って散々で、さらに胸糞悪くなるような事件に挑む羽目になる。不運の連鎖が続くと、作者に嫌われているとしか思えない(笑)。
 タフな葉村の活躍と苦悩を描き続けているこのシリーズだが、本作は本当に最悪最低な事件。前半に関しては、読む面白さよりも内容の腹立ちの方が強くて、読み続けるのに苦労した。結末まで読んで、事件が解決しても、何も救いがないというのは本当につらい。だけど、読んでいると面白いし、葉村晶に共感してしまう。そこがやっぱり、作者の腕なんだろうとは思う。
 飛び飛びで読んでいるので、ここらでシリーズの残りの作品を読んでしまおうかとは思っているのだが、ここまで苦みが心に残ってしまうのもちょっとなあ。

多岐川恭『的の男』(創元推理文庫)

《的の男》靴屋の小倅から野心と詳細で伸し上がった鯉淵丈夫は、還暦を迎えてなお頑健を誇り、我が世の春を謳歌する。こうした人間の常として周囲は敵だらけ。恨み骨髄の鯉淵を葬ろうと爪を研ぐ刺客も一人や二人ではない。ところがこの男、そう簡単には死んでくれそうもなく……。
《お茶とプール》雑誌社に勤める輝岡亨は、星加邸を訪れた折、居合わせた人々の間に漂う違和感を察知する。その場の不穏な雰囲気が、やがて人ひとりの死を招くことに。『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルを思わせる亨の身辺は、怪死事件以後様々に騒がしくなっていく。(粗筋紹介より引用)
 『的の男』は『週刊小説』1978年2月24日号~5月26日号連載。1978年7月、実業之日本社より刊行。『お茶とプール』は1961年8月、角川書店より書下ろし刊行。本書は2000年12月、刊行。

 

 『的の男』は、数々の恨みを持つ実業家の鯉淵を殺そうと、数々の刺客が様々な方法で狙うのだが、失敗ばかりでなかなか目的を達せられないというクライムコメディ。各章が「網」「銃」「穴」と、それぞれの刺客の殺人手段をタイトルにしており、その刺客の一人称で話が進んでいく。第一章の網については、何を考えているんだとしか言いようがない殺人手段であるし、その後もこいつは本気かと思わせるものが続く。ところが段々と計画が練られたものになっていき、今度は成功するんじゃないかと思わせるところは達者としか言いようがない。そして最後まで読んでいくと、読者は作者の仕掛けに思わず唸ってしまう。登場人物の造形の面白さと、隅々まで考えて練られたストーリー。やはり技巧家である、多岐川恭は。
 『お茶とプール』は、作者が「小ぢんまりとしたサロン推理小説とでも言ったもの」と書いている。週刊誌の経理部員である主人公の輝岡亨が、不動産会社を経営する星加太一郎の娘で亨の同僚である卯女子の兄、要の誕生会に飛び入りで参加する。亨の妹で卯女子の同僚かつ友人である協子はともかく、要の恋人の小倉まゆり、そして銀行頭取である永井基雄の娘、百合子がいて、不穏な空気を醸し出している。銀行から金を借りている星加夫婦は、基雄の要請で要と百合子が結婚するしかないと考えている。そしてエキセントリックで回りに不快感を与える百合子も、要との結婚を強く求めていた。その誕生会で百合子に渡されたハイボールの味がおかしかったことから、今後は亨が毒見をすることになった。しかもプールでの悪戯に巻き込まれ、泳げない百合子はプールに落ちて溺れかけた。そしてベッドで休んでいた百合子は、亨が毒見をしたココアを飲むも、苦しんで死んでしまった。ココアの中には毒が入っていた。
 初文庫化とのことだが、どうしてどうして、捨てたもんじゃない。いや、なかなかの佳作である。確かに作者がいう「サロン的推理小説」ではあるが、本格推理小説としての骨格を持ちつつ、ピカレスクロマンとしても仕上がっており、序盤での若者たちの楽しいやり取りとはかけ離れた結末に驚かされる。特に主人公である輝岡亨の造形は素晴らしい。人に好かれる表面とは裏腹の冷酷さと、何を考えているかわからない不気味さ。それでいて、目標に向かって突き進もうとする冒険小説の主人公や、何事にも屈しないハードボイルドの主人公とも異なる、不思議な存在感である。
 『的の男』『お茶とプール』ともに初めて読んだが、まだまだこんないい作品があるじゃないかと、改めて作者の技巧ぶりを知らされた。